『抽象の力』と『描かれた大正モダン・キッズ』を観て

(※Twitterでの呟きに大幅加筆・編集しています)


先週末、会期があと一週間となった『岡崎乾二郎の認識 抽象の力──現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜』展*1を観に、豊田市美術館へ。

チラシデザインがカッコいいので追加。
表題文字の線、サム・フランシスっぽい。


会場入り口。


監修者の言葉(パネルの写真を撮ったが可読性が低いので書き起こし)。

          抽象の力

 
 キュビスム以降の芸術の展開の核心にあったのは唯物論である。
 すなわち物質、事物は知覚をとびこえて直接、精神に働きかける。その具体性、直接性こそ抽象芸術が追求してきたものだった。アヴァンギャルド芸術の最大の武器は、抽象芸術の持つ、この具体的な力であった。
 だが第二次世界大戦後、こうした抽象芸術の核心は歪曲され忘却される。その原因の一つは(アメリカ抽象表現主義が示したような)抽象を単なる視覚的追求とみなす誤読。もう一つは(岡本太郎が唱えたような)抽象をデザイン的な意匠とみなす偏見。三つめは(具体グループが代表するような)具体という用語の誤用である。これらの謬見が戦前の抽象芸術の展開への正当な理解を阻害してきた。ゆえにまた、この世界動向と正確に連動していた戦前の日本の芸術家たちの活動も無理解に晒されてきたのである。
 本展覧会は、いまなお美術界を覆うこうした蒙昧を打ち破り、抽象芸術が本来持っていた、アヴァンギャルドとしての可能性を検証し直す。坂田一男、岸田劉生恩地孝四郎村山知義吉原治良、長谷川三郎、瑛九などの仕事は、ピカビア、デュシャンドゥースブルフ、モランディ、ゾフィー・トイベル=アルプ、ジャン・アルプ、エドワード・ワズワースなどの同時代の世界の美術の中で初めて正確に理解されるはずである。戦後美術史の不分明を晴らし、現在こそ、その力を発揮するはずの抽象芸術の可能性を明らかにする。                              
                                岡崎 乾二郎

  

「前衛の核心にあるのは唯物論である」という古くて新しい命題を提示したこのキレッキレな「宣言文」だけでワクワクするが、展示室ごとに刺激的な展開が待っていた。
フレーベルやシュタイナーの教育玩具、ボイスの毛布と蜜蝋、夏目漱石熊谷守一、1900年代の扇風機に椅子、落下傘部隊の写真、村山知義と雑誌「マヴォ」、タービン工場や自動車工場の写真、ジョン・ケージの楽譜、ブランクーシの彫刻、戦前日本の抽象画家たち、ベーコンにフォンタナ、そして岸田劉生‥‥‥。
展示方法は絵の高さやキャプションの位置など、見た目のコンポジションだけでなく観客の身体に働きかけるような工夫がされており、エレガントでシャープ。モダン・アート史の語り直しの中で、身体と物質、事物との日常的且つ社会的な関わりが浮び上がってくる。美術を隣接ジャンルと繋ぐ試みはかなり前から盛んだが、広範な文脈とアクロバティックな接続が際立っていて、不思議な開放感を覚えた。
しかし、フレーベルで始まって岸田劉生で終わるとは思わなかったなー。興奮しました。*2


ちなみに、明治九年に日本に導入され一部の幼稚園で試みられていたフレーベルの恩物教育(積み木、折紙、切り紙、組み紙、豆細工、砂遊び、粘土などの造形遊び)については、拙書『アート・ヒステリー』の中で言及したが、学校の美術教育について書くのが主眼だったため数行に留まっている。*3 その美術史的な位置づけを確認できたのが、個人的には大きな収穫だった。


同時開催の『東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展』を観にきた比較的年輩の観客が、『抽象の力』の方にも流れ込んでいた。通常、東山魁夷ファンの多くはわざわざ観に行かない展示だろう。
昨年のジブリ立体建造物展と杉戸洋個展もそうだったが、豊田市美が時々やる”合わせ技”でいい「誤配」が起きてる感じ。


【artscape 2017年06月01日号(キュレーターズノート)】岡崎乾二郎の認識 抽象の力―現実(concrete)展開する、抽象芸術の系譜|能勢陽子
ポイントを的確に押さえた良い解説(会場写真あり)。戦前のアヴァンギャルドが挑戦した「美術の枠組みを超えて、芸術を改めて人の生に結びつけ」るという根源的な試みに光を当てていることへの評価。
確かに恩物教育の積み木は、「人の生」の始まりに出会う物質、事物として、「美術の枠組みを超えて」存在している。



『抽象の力』、一回観ただけではとても消化しきれない感じを残して、刈谷市美術館で最終日の『描かれた大正のモダン・キッズ 婦人之友社『子供之友』原画展』に滑り込む。



さっき豊田市美で観た村山知義に再会。たーのーしー♪ ひたすら楽しかったです。
デッサンと描写の巧みさが前面に出ている北澤楽天や岡本帰一の童画は、当時の子どもの風俗を知ることができるので面白いが、絵としては断然、村山知義武井武雄の方に惹かれる(下はいずれも図録より。1枚目が村山知義、下2枚は武井武雄)。



特に武井武雄、子どもの頃はキンダーブックなどで見ていて、その少し癖のある画風が脳裏に刻み込まれている。大胆で明快な構成と、太/細を使い分ける独特な線、ユーモア。周辺の童画家に影響を与えていたのが見てとれた。そして竹久夢二の優れたデザイン感覚も再認識。
展示は『子供之友』の原画が中心だが、明治から昭和・戦中までの幼年、少年、少女雑誌の流れなど、周辺情報の展示も充実していて見応えがあった。


しかし当時の坊ちゃん嬢ちゃんは、幼稚園で立方体、円柱、球体で遊ぶ恩物教育を受け、家では幾何形態を遊戯的に組み込んだ新感覚の童画を見て、なんと贅沢に先端文化を吸収していたことか‥‥‥。



連関するところのある二つの展覧会を一日で観たせいか、頭の中で円や四角や三角が踊り狂う中、ネットに公開されているPDFを読む(画像多数。250部しか刷られてなかったらしい図録は会期半ばで完売。論考掲載の小冊子が近日出るとのこと)。
『抽象の力』 岡崎乾二郎


すごくおもしろい。会場で情報に押し流されそうになりながら半ば感覚的に捉えていたところに、クリアで詳細な地図を与えられた感じがした。
主知主義、視覚至上主義で全体性を目指す、ある意味「男性的」なモダン・アート観への批判。マルクスフロイトの召還。特に岸田劉生の(写実からはみだす)「無形なもの」と、フロイトの「不気味なもの」との接続。幼児教育、クラフトやダンス、全体性の拒否、ゾフィー・アルプ始め女性作家の影響力など、ジェンダー論的なラインも引けそうに思った。
近代以降の芸術についての再考を促す点もそうだが、それ以前の、生活や労働や遊びやそれらを通した人間と物の関係へのさまざまな思索を誘う。芸術の基底部がそれらに向けて大きく開かれていて、芸術はその中に溶解していくイメージが湧いた。逆に、生活や労働や遊びや‥‥について考えさせない現代芸術(そういうものも多いと思うけど)とは一体何だろう、とも。


きわめて個人的な遠い記憶が蘇ってきた。
幼少期の積み木遊びの体験。妹が生まれたので、物心ついてずっと後まで積み木で遊んだ。その時の、木の手触りや色や重さ。車のついた四角い箱に積み木を隙間なくきれいに嵌め込むのに、何度かやり直したこと。
3歳から始めたピアノ。音楽は抽象芸術、楽譜も抽象的だ。慣れない定規を使って五線を引き、ト音記号やオタマジャクシを書き込む練習をした。幼稚園児の私にとってそれは、「書く」より「描く」に近かった。
洋裁をやっていた母が、部屋に広げていた洋服の型紙。生地に型紙を合わせてチャコペンで印をつけていた。その横で折り紙や切り紙で遊んだこと。これから使う型紙をジョキジョキ切ってしまって叱られたこと。*4


私の「抽象」との出会いも、「身体行為をともなった事物と事物の交感のプロセス」(テキストより)そのものだった。それは「美術」のずっと以前にあって、たぶん自分の中の意識されない重要な部分をかたち作っている。



おまけ。
ところで「抽象」と言えば、きものです。きものの文様には高度に抽象化されたものが多い。大抵は現実(植物、動物、自然現象など)から抽出したと見てとれるが、純粋な抽象模様にしか見えないものもある。
着物の文様・模様・柄:着物について:着物俱楽部


そして、きものほど抽象的なかたちをした衣服もないと思う。着れば体の具体的な凹凸や細部を隠して直線と一部曲線(抜き衿)で構成されたシルエットを作り、畳めば長方形、解いてもほぼ全部長方形だ。
更に、日本の建築にも畳や障子や庭石など抽象形態が一杯。
大正期に抽象美術が西欧と同時進行した背景には、日本の伝統的なデザイン感覚も関わっていたんじゃないかと思った。



刈谷市美のショップで買った「夢二」のミニ風呂敷になんとなく手持ちのアクリル帯留めを置いてみたよ)

*1:岡崎の崎の字は「大」が「立」。文字化けするので崎と表記。以下同じ。

*2:追記:一番言葉にし難い何かがあった最後の部屋の、ブルリュークの『家族の肖像』の中で、一人だけまっすぐこちらを見つめている赤ん坊(唯一まだ社会化されていない者)の姿が、第一室のフレーベルの教育遊具に繋がっていって、全体が大きく連環をなしているようにも思えた。

*3:フレーベルのこの造形教育は当時幼稚園に限られており、小学校では展開されていない。尋常小学校の図画は長らく臨画教育(お手本を見て描く)で、構想画や写生画が教科書に登場した後も「手工(工作)」導入については賛否両論だった。30年代に皇国主義が強まってから、バウハウスのデザイン教育を参照するかたちで工作が取り入れられている。

*4:そう言えば岡崎乾二郎の初期立体作品『あかさかみつけ』は、洋服の型紙の形が元になっていた。