わたし、あなたのこと好きになってもいいですか? -2

9日の記事に、id:kawapon99さんからトラックバックを頂いた。以下、お返事も兼ねてつらつらと。

♪ 君を抱いていいの

記事の最初の方に、オフコースの歌詞があげられている。

君を抱いていいの 好きになってもいいの
君を抱いていいの 心は今何処にあるの
オフコース「YES-NO」

オフコース「YES-NO」 - 忘れさられるべき日々について

そうだ、すっかり忘れてました。
「君を抱いていいの」でちょっと「お」というインパクトを与えた(当時)ので、次の「好きになってもいいの」は逆に普通に入ってくるような気もしたが、印象的な歌詞だった。
しかしこの「YES-NO」って曲、やたらと疑問文が多い。もう恋心を隠しておくのがつらくなって、目の前の無邪気な女に次々問い質して、そんでその女を抱きたくてウズウズしている煩悶状態の若い男の姿が浮かんでくる。
などと書くと身もふたもないが、そこはきれいなメロディと小田和正のハイトーンボイスで聴かせているのである。

上に掲げた歌詞の次に出てくるのが、「ことばがもどかしくて うまくいえないけれど」。
つまり「君を抱いていいの 好きになってもいいの」などともどかしく問うているのだが、言いたいのは「君を抱きたいよ、好きなんだよ、いいって言ってくれよー」だ。ほんと、もどかしいですなあ恋というものは‥‥と。
ちなみに、こちらのサイト(試聴もできます)の解説には、

「さよなら」を凌ぐ大ヒットとなった「Yes-No」には、「男のくせに“君を抱いてもいいの”とは何だ」といういわれなき批判も登場し、“オフコースは軟弱”という奇妙なレッテルも一人歩きしていった。

とある。「女なんてものはなぁ、いちいち訊かずに黙って押し倒しゃこっちのもんよ」というマッチョな思想は、80年当時まだあった。だから逆にこの歌詞は、女性に受けが良かったのだろう。いきなり行動に出ることはない生真面目な男、こちらの意志を尊重してくれる優しい男、でも次々質問して自分から目は離さないでいてくれる男、ということで。

一方、小田和正はこのように語っていた。

この曲の歌詞について小田は「『抱きしめよう』はともかく、『君を抱いていいの』は、当時の歌詞の中でも一線を越えてた。でも、そこを超えたから、みんなのアンテナに引っかかったんだよ。世の中には、いい曲だけど地味な曲って、たくさんある。それは、歌詞が一線を越えてないから、アンテナには引っかからないってことなんだよ」「ずっと疑問文で成立している。そして最後に相手に責任を取らせる歌なんだ。“どうなんだ”って、突きつける。当時それならタイトルは『Yes or No?』じゃないかって言った奴がいたけど、突きつけてるんだ。だから『Yes-No』なんだ」と、『YES-NO 小田和正ヒストリー』(小貫信昭 著 1998年12月18日初版 角川書店)でのインタビューで答えている。
Yes-No(オフコース)Wikipedia

「どうなんだ」って女に「突きつけ」ていたのか。「最後に相手に責任を取らせる」とは、思わせぶりな態度を取り続ける女に、「じゃああれはいいの、これはいいの」と問い詰めて、Yes/Noを迫るということだ。というよりYesと言えと。‥‥全然「軟弱」ではない。
でもリアルで「君を抱いていいの」なんて言われるの、私なら厭だったろう(過去形)。言われたことはなかったが(過去形)。どうでもいいか。
「君を抱いていいの」でえらい引っ張ってしまった。

抵抗できない言葉の企み

好きだと言えないならあの手この手で連れ去ってしまえばいい。恋愛巧者ならそうも考えるだろう。告白は文字通り明確に為されるべきだ、そういう意見もあろうかと思う。
オフコース「YES-NO」 - 忘れさられるべき日々について

私は必ずしもそうは思っていない。変な言い方してないで、はっきり言えよということではないのです。
あの記事に書いたのは、本音と実際に口にされる言葉の奇妙なずれについてだった。本音と言葉が完全に一致することは(恋愛においては特に)ないだろうから、想像力を働かせたり、いろんな情報を読み取ったりして判断する。だから結局は、そのずれについての好みの問題になる。それで、こういうずれ方は好きじゃないなあということだ。
理由1 判断を仰げないようなことで仰ぐポーズをとっているのが厭。
理由2 相手が正面切っては断りにくいだろうというセコい計算と保身も感じられる。
わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?

ただ、大野さんの言葉に違和感を感じないわけでもない。確かにそれは、YES-NOの歌詞の中あるいはドラマの中では音声化された。でも内面的な水準でその人のことを好きになっていいかという迷いというのはぼくにはある。簡単に言えば自分が相手にふさわしくないと思うのだ。もう一つ相手の心証を悪くしないかというさもしい感情もある。何より相手を好きだと伝えることで今の関係を壊してしまわないか、手を握ろうとして遠ざかってしまうぐらいなら今のまま、好きではないふりをしながら振る舞っていた方がいい。

この気持ちはよくわかる。誰でもそれなりに覚えがあるのではないかと思う。
だからこそ「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」という問いを実際に発した時、そこには話し手の謙虚さが匂わされる。「あなたは私にはもったいない人かもしれない」という謙譲、「こんなことを私に言われたら困るかもしれないけど」という気遣い。それによってこの問いは、相手にとっては自尊心をくすぐられる、ある意味気持ちいい言葉にもなり得る。
これは一種の「抵抗できない言葉」なのだ。そこに、話し手の無意識の企みが隠されているように感じられる。それが私がひっかかったところだ。

好きであることはひとつの権利として登場するとサルトルが言っている。告白は、対象にその権利を通告することだとしたらどうだろう。きみを好きなのだから、きみは悩みをぼくに相談するべきだ。
坂のある非風景 出会うこと別れること

果たして自分にはそんな権利があったのだろうか。いやあるのだ。でもその権利を行使するのに伴う喪失を考えたときカードは切れない。そんな迷いを持った人間が「あなたの合意のもとに好きになった以上、あなたは私の好意を受け入れる必要がある」なんてどうして考えられるのか。いやそういう風に最終的に変化するのかもしれない。ただし、スタート地点としては相手の好意の可能性をあらかじめ捨象した意味でのエゴイズムではなかったか。

kawapon99さんは、あくまで「いいですか?」と問いかける人の不安な心理に寄り添って書いているので、このように感じるのだと思う。ただ言葉の効果を考えると、別の見方もできるのではないだろうか。
上の引用部に続く「」で括られている文章を含んだ箇所を見てみよう。

「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」という問いには、あなたのことを好きになるかどうかという私の自由意志に属することがらをあなたの決定に、あなたの自由意志に委ねるという見かけをとりながら、同時に、私の自由意志に属することをあなたには決定する権利はないという主張を伝えている。しかも勝手に好きになるのとは違う。あなたの合意のもとに好きになった以上、あなたは私の好意を受け入れる必要があるのだと告げている。

決定権を相手に委譲しながら、その決定権をコントロールしようとするこの傲慢さを支えるもの、それが「好きであることの権利」である。
坂のある非風景 出会うこと別れること

つまりこういうことだと思う。
「あなたのこと好きになってもいいですか?」と訊かれて、「いけません」ときっぱり不許可を下せる人は少ない。それは相手の「自由意志」に属することなわけだし(それに無下に却下すれば、お高く止まっている冷たい人と思われる。人に好かれて悪いことなどないじゃないか‥‥)。
だが「いけません」と言わなければ、少しでもそれに肯定的な言葉を発すれば、「好きになってもいい」許可を与えたことになる。許可は「合意」である。
あなたは、わたしがあなたを好きになることに「合意」したんですよ。
だったら私の「好き」を受け入れてくれるんですよね?
言った本人の意図に関わらず、そう「告げている」言葉だということである。

会話シーンで考えよう。
A(女)とB(男)は知人同士。AはBに恋愛感情を抱いているが、Bは特になんとも思っていない。

A「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」(上目遣い)
B「え。あの、えーと、困ったな」
A「好きになったらいけませんか‥‥」(視線を落とす)
B「いや、いけないなんてことはないけど」
A「じゃ、好きになってもいいですか?」(再び上目遣い)
B「うーん、それはその‥‥まあ」
A「よかったー」(満面の笑み)
B「‥‥(え? ヤバい? なんか微妙にヤバい?)」

こうしてAは、「決定権の委譲」と「決定権のコントロール」という相反する言語的操作を一つの台詞で行う中で、「好きであることの権利」を十二分に行使しようとする。というわけです。


●おまけ
しかしBは何と答えればよかったのだろうか。
一度も言われたことのない私が切り返し方を考えてみましたよ。

「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」 
「なぜそんなことを訊くんですか?」
「なぜって‥‥」
「たとえば誰かを嫌いになるのに、いちいち相手に『嫌いになっていいかどうか』訊きますか?」
「それは‥‥」
「訊く前に嫌いになってるでしょう。それと同じじゃないですか」
「そういうことじゃなくて」
「じゃどういうことですか?」
「その、ことばがもどかしくて、うまくいえないけれど」
「ことばはもどかしいものです。うまくいわなくていいです。わかりやすく言って頂ければ」
「‥‥もう、いいです。ごめんなさい」
「もういいですとは? なぜ謝るのですか?」
「そんな言い方しなくても。すごく勇気出して言ったのに‥‥どうしてこうなるの」
「こちらが答えられないような質問を最初にしたのはあなたでした」
「なんなのよ、KY!もう嫌い!」
「なんで怒るんですか」

だめだこりゃ。いじめだ。