わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?

リビングのテレビから、突然聞こえてきたセリフです。夫がチャンネルをあちこち変えている最中の断片的な音声で、私はテレビを見ないでキッチンの方にいたので、それがドラマだったのかバラエティの中のドラマ仕立ての1シーンだったのかは知らない。
躊躇いと不安とそれを上回る「どうしても訊きたいの」感が滲み出た、ささやくような細い声。10代終わりから20代前半の女にしか出せない声。画面を見なくても、若い美人女優が言ってるとわかった。
きっとテレビ画面にその女優の可愛い顔のアップが映し出されたところで、夫はちょっと興味を引かれてリモコン操作の手を止めたのだが、つまらんラブシーンだと判断したか、次に映った男優(たぶんイケメン)の顔が気に入らなかったかして、チャンネルを変えたのだろうと推測。


それは措いといて、変なセリフである。
「わたし、あなたのこと好きになってもいいですか?」
たとえば「わたし、バナナを好きになってもいいですか?」などという問いは発しない。そんなこと言う前に私はバナナが好きなんだし、自分の「好き」という感情を「いいかよくないか」と考えることもない。私はバナナが好きったら好きなんだ。「いいですか」なんて訊くまでもないことだ。
相手が人間だからこういう問いが出てくるわけだが。それにしても変ですね。


「もう帰ってもいいですか?」
「これ食べてもいいですか?」
「明日伺ってもいいですか?」
これらの場合、行動の決定権を握っているのは相手である。訊く方は相手に従うつもりでいる。
「ここ片付けちゃってもいいですか?」「いや、そのままにしておいて」「わかりました」
上下関係がある。相手の判断が「それをするかしないか」を決める。「〜してもいいですか?」は、自分のまだ為していない行為についての、許可を仰ぐセリフである。
だから「あなたをデートに誘ってもいいですか?」なら、質問として成り立つ。だが「好きになる」は行為ではない、感情だ。


「あなたのこと好きになってもいいですか?」と訊かれて、それにyes/noでクソ真面目に応答するとしよう。
答えは「(好きになっても)いいです」か、「よくないです(好きにならないで下さい)」となる。「いいですか?」と訊いて、「いいです」と許可されたら「では好きになります」、「よくないです」と不許可だったら「では好きにならないでおきます」となるのだろうか。
もちろんそんなことはない。もう好きになっちゃってるんだから。
好きになっちゃってるのに、「好きになってもいいですか」とはどういうことだ。
このセリフは初めて聞いたものではないなと思った。どこでだったかは思い出せないが、今までに数回聞いた気がする。なんとなく、ここ10年くらいの恋愛ドラマの告白シーンの定石の一つみたいにも思える。いったい誰がこんなセリフを考え出したんだろ。巷では普通に使っていたのか。


本当は「わたし、あなたのこと好きになって『しまいました』」と言い切りたい。それが本心だから。そして「『あなたとつきあいたいのですが』いいですか?」と訊きたい。それが本心。だがそれではあまりにストレートだと。
それで、前のセリフの『しまいました』と後のセリフの『あなたとつきあいたいのですが』を省いた残りを「も」で強引に繋げて、「わたし、あなたのこと好きになって‥‥も‥‥いいですか?」と、意味をなさない変テコリンなセリフにしているのだ、と勝手な理屈をつけてみた。
まあ恋愛の場面では、日本語として意味をなさなくても気持ちが通じればいいということなんだろうけども。


こういう気持ちの通じさせ方は、個人的には好きじゃない。判断を仰げないようなことで仰ぐポーズをとっているのが厭。「わたしに好かれたら迷惑かもしれないけど‥‥いいですか?好きになっても‥‥」みたいな。なんでそんな卑屈なんだよ。反面「好きになるだけだからいいでしょ?」といった、相手が正面切っては断りにくいだろうというセコい計算と保身も感じられる。


わざわざ「いいですか?」と相手の意思を問うなら、
「わたし、あなたのこと好きになってしまいました。地獄の底までついていってもいいですか?」
くらい言ったらどうか。そのくらいのヘビーな条件を提示して初めて「いいですか?」という問いが真剣味を帯びたものになる。
もっとも「わたしとつきあうと地獄を見ますが、それでもいいですか?」という恐ろしいことも読まれて普通に引かれそうだが、万に一つ「では一緒に地獄に落ちましょう」という悩殺的なセリフが返ってくるかもしれん。おお、言ってみたいね。でも改めて言う相手がいなかったか。
んで、テレビを見ている夫の横顔を見ながらコソッと呟いてみたのです。返事はなかった。