回答の自由とネガコメ書き捨てのリスク

「回答義務はなし」を原則とした上で考慮したいこと


そのメッセージ、相手が読んだかどうかはわからない - ekken(コメント欄も)


はてなメッセージidコール)に回答義務がないのは同意。ブコメidコールされた場合、私もすべてに答えてはいない(TBも答えないことはある)。質問文になっているものは極力応答するが、相手が特に反応を求めてない、こちらが反応するほどの内容ではない、と判断した場合はスルーする。
たとえば、自分の記事のブコメに疑義が書き込まれ、同じ場所でその人をidコールして答えた場合など、「読んでおいてね」くらいの意味だから相手からの返事は期待しない。


つまり「回答義務はなし」を原則とした上で、(自分がメッセージを受け取って読んでいる場合なら)書かれた中身によって、答える必要のないもの、答えた方がいいもの、答えておくべきものを適切に判断して対応するのが望ましいと考えている。
その判断には個人差が出てくるだろうが、少なくとも揶揄、批判的なニュアンスのあるブコメを書き、それについて同ブクマページで本人から訊ねられているのなら、反応した方が良い場合が多いと思う。
以下、その理由を書く。


メッセージのメールを受け取り拒否設定にしており、自分がブコメしたページもほとんど再読しない人が、ある記事のブックマークにコメントを残したとする。揶揄や批判や否定のニュアンスが感じられれば、それを読んだブログ主のほうには普通良い感情は起きない。仮にネガコメかどうか微妙で判断できない場合も、モヤモヤしたりはするだろう。
しかしもう少しそのブコメの意味や意図がわかれば、この感情が思い込みや誤解だったということになるかもしれない。そうでなければそうでないで、改めて反論すべきかどうか決めたい。そう考えて、ブログ主が同じブクマページでidコールして質問したとする。だが、相手はメッセージを読まない方針の人だから、当然返事は返ってこない。
そうすると質問した側は、「この人は揶揄や批判っぽいことをしておいて、質問されても答えない不遜な(あるいは言いっ放しの)人なのだろうか」などと感じてしまう。相手へのネガ感情やモヤモヤを解除したい気持ちもあって訊いたのにも関わらず、逆にそれらが膨らんでしまうこともある。


idコールに答えないと決めて(相手から見ての)ネガコメを書く人は、「事実、ネガコメ書き捨ての人になっている」わけだから、このような見られ方をされるのは避けられないのではないだろうか。その人のいつものブコメがどちらかというとネガティブなものが多い印象があれば、尚更だ。
同様に、読んだが答える気がない場合も、その人がネガコメしている限りにおいては、相手から「ネガコメ書き捨ての人」と看做されやすい。
無駄にネガ感情を喚起してしまうことの及ぼす影響(ネガコメ書き捨てで随分批判されている人を幾人か見たが、まともなコミュニケーションができない人だとの印象を与えがち)を考えると、基本的に書き捨てはしない方がいいと思う。


既にブコメ欄に字数の余裕がなければ、メタブクマするなり、直接記事のコメント欄に書くなりの方法はある(個人的には、メタブクマ、メタメタブクマでやりとりした挙げ句、コメント欄でも続きをした経験がある)。
ネガコメについて訊かれているのにあくまで記事のコメント欄に行きたくないという人は、よほど相手をまともなコミュニケーションできない人と看做して軽蔑しているか、きちんと反論されたくない、面倒なのでブコメで書き逃げしたいという心理があるのだろうと思う。そういうことは相手にも何となく伝わるもので、また無駄にネガ感情を喚起する要因を作りがちだ。
もっとも「ネガコメ書き捨ての人」だと思われるリスクを負っても回答しないことを優先するのであれば、それはその人の価値観だとしか言えない。


相手にとってネガが拡大される場合

ちょっとした皮肉や揚げ足取りをし、たまたま質問にスルーしただけで、「ネガコメ書き捨て」認定されるのはおかしいという意見はあると思う。確かにたった1、2回のことをもって「認定」するのは、乱暴かもしれない(これについては後で)。
問題なのは、その人が「ちょっとした皮肉や揚げ足取り」に過ぎないと思って軽い気持ちで書いたことが、相手にとってはそれ以上の効果をもつ場合だ。


たとえば今回、id:kanimasterさん(ekkenさんの記事コメント欄ではKenさん)はブコメを書いた後、私のコメントを読んでいたが、それが自分への質問とは理解せず、ただ「おうむ返し」をしているだけなので回答する必要を感じていないとのことだった(http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-843.html#comment3668)。
以下、当該記事のブクマから。

kanimaster [長文] 書評に対して著者が物申す行為は何の恥部だったのか。
        http://b.hatena.ne.jp/kanimaster/20080510#bookmark-8508819


ohnosakiko id:kanimasterさん、書評に返信するのが恥部という考えは何の恥部ですか?
        http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080510#bookmark-8508819


もしかするとkanimasterさんは、ekkenさんの言うように「悪意ではなく」「しゃれ」のつもりで書いただけだったのかもしれないが、私のほうは看過できなかったので訊ねた。
少し説明しておくと、この記事は、私の本についてのumetenさんの書評に対して応答したものである。当然のことながらその本にはかなりの精力を傾けており、先方から読んで書いてみたいというリクエストがあって送り、その上で書かれた真摯な書評でもあるので、こちらも真面目に返事を書いた。
そうした応答の姿勢を著者の私がかなり重要視し堅持していることは、記事に目を通した人の多くには(たとえ内容が細かく追えなかったとしても)伝わっていると思う。
だから、記事「内容」を批判する‥‥本を読んでないとできないが‥‥ならともかく、著者の「姿勢」を「何の恥部だったのか」と軽い気持ちで揶揄する感覚は、私には理解し難かったのである。それが相手にとってどういう効果をもつのか、少しも想像しなかったのだろうと思った。そのあたりで、かなり反発を感じたことは事実。


とは言え、ブログ主の姿勢を批判気味にあげつらうこと自体は、まったく自由だ。そこで、「どういう根拠でそれを言うのか」という意味で、ブコメを書いた。あの「おうむ返し」の書き方には、「そんな考え方こそ恥ずかしいし失礼なのでは?」という皮肉と怒りを込めたつもりだが、それも通じなかったようで残念である。
ekkenさんの記事のコメント欄で、「訊き方が悪いから答えなかったのか、最初から答えるおつもりがなかったのかを教えて頂けるでしょうか。そうすれば、今後気をつけることができますので。」と御本人に訊ねたのも、これを機会にkanimasterさんがどういう考えの人か知って、以降の参考にしたいと思ったからだ。


以上のような私の振る舞いについて、ekkenさんはコメント欄で、「ちょっと過敏に過ぎるんじゃないかなあ」「「相手の言動が何を意味するのか分からない」場合はポジティブに受け取ったほうがいいと思うよ!」と書いている。
だが、真面目に応答しているのを「何の恥部だろうか」と書かれたことを、どうやって「ポジティブ」に受け取ったらいいのか、私にはわからない。そうした言動の意味を批判的に訊ねることが、なぜ「過敏に過ぎる」のかもわからない。
ekkenさんには「しゃれ」にしか見えなくても、私にとってはそうではない。また、「著者が書評に応答は何かの恥部」という意見に違和や疑問を感じている人が当該記事のブックマークページに散見されるところを見ても、私だけが特別「過敏」であるとは思えない。ブクマに限って言えば、私の姿勢についてネガティブなコメントをしているのは、kanimasterさんとtomo-moonさん(書き換えられる前はこちら)だけである。


他人からすれば、大してネガティブでもなく思えるコメントというのはある。だが、それが書かれた当人にとってどういう意味をもつのか、コメントを書く際、多少は考えてみてもいいのではないかと思う(書くべきではないと言っているのではないので注意)。
まして、意図して「ポジティブ」には受け取りにくいコメントを書いたのなら(私はやはりkanimasterさんが「しゃれ」めかした皮肉のつもりで書いたと思っているので)、当人から疑義が来るかもしれないことは想定するべきだ。その上で質問をスルーするなら、相手から「ネガコメ書き捨ての人」だと思われたとしてもやむを得ないのではないか。


最後に、冒頭の記事での、「ネガコメ書き捨ての人」と書くのはマイナスのレッテリ貼りで「人格批判」だ、とのekkenさんの批判について。
安易なレッテル貼りが良くないというのはその通りだと思うが、あれが「人格批判」になるとまでは思っていなかったので、やや違和感を感じている。それを言うなら、最初に書評への応答を「恥部」扱いされた私は、著者として「人格批判」されていなかったのかと言いたい。「〜の人」という言い方だけがマイナスの操作ではないだろうと。
そもそも、「idコールで訊いたけど答えてくれないので、基本的にネガコメ書き捨ての人だと思っています。」という私のコメントからわかるのは、「大野はidコールに応えない人を「ネガコメ書き捨て」認定する人だ」ということでしかない(現にそう思われた)。そこから、kanimasterさんが「常習的にネガコメ書き捨ての人である」と言えるのかどうかは、読んだ人が判断すべきことではないかと思う。


ekkenさんは、idコールしてもメールを受け取らない場合もあるし、回答義務もないので、応えてくれないからと言って批判するのは筋違いだということを言いたかったのだろう。それについては理解できた。
ただ今回、読んで回答する必要なしと相手の人に看做されたことについては、最初のコメントが決して「ポジティブ」には受け取れなかったこともあって、納得できない思いが残っている。