id:ululunさんへ(相対化と「人それぞれ」と「正解」)

※アップした5分くらい後で、タイトルわかりにくいと思ってちょっと書き直しちゃいました。だからトラバ先のと違います。ごめんなさい。


正解を見つける為に、私は生きる - 煩悩是道場


特に返事を求められているものではないですが、TBを頂きいろいろ考えるところもあったので、例によってマジレスしてみます。レスというよりは、引用された私のブコメの捕捉説明(にしては長くなってますが)と思って頂ければ。


一読すると、多様な価値観の中で答えを見つけることの困難について書いておられるのかな、という印象です。物事には常に決定不可能性がつきまとうと考えれば、人生は答えが見つからないまま思考し続けていく過程だと言うことはできますね。


ただ、私個人は今回そこまで哲学的な話はしていませんでした。
前の記事及びそのブコメで言っているのは、「人それぞれの価値観がある」といった意味の言葉には、最初の問題提起なり提案なりを棚上げ(相対化)する効果が期待されているのではないか?ということであり、それへの疑問です。
「さまざま」で「個人差」があることは前提の上で書いているものを、またそこに差し戻して「いろんな人がいるんだよ」と言っても、現状認識以上の意味はありません。
なのにそう言いさえすれば何か言ったことになっているかのような雰囲気に出くわすことが時々あり、今回も一部でそうだったので可笑しかったのです。


「人それぞれの価値観が」とメタ的に言う人も、実際はその人の価値観に従って言動を決めているわけですから、「あなたの意見にはこういう理由で納得できない」と言えばいいし、わざわざ言いたくなければスルーするか、わからなければ「判断保留」でいい。
そこに「人それぞれの価値観」や「自由」をあえて言わねばならないのは、どういった感情からなのだろうなぁと思いました。まあありていに言って反発なんでしょう。
反発はしたいが、メタレベルの考え方を提示して議論の枠組みをひっくり返す(それこそ本当の相対化)ほどの意見もないので、「人それぞれ」であることだけを指摘しておくと。


ついでで書くと、私のその前の記事回答の自由とネガコメ書き捨てのリスクを、「自分はこうしているからお前もこうしろ」と強要していると読んだ人もいるのかもしれません(まあ事実いたので)。一ブロガーが意見や提案を長文で書いただけで(しかも「○○した方が良い場合が多いと思う」「基本的に△△はしない方がいいと思う」という穏やかな表現!)、価値観を押し付けられているように感じるとしたら、それも興味深い心理です。
じゃあこれをもしアルファブロガーと言われる人が書いたら、もっと酷い押し付けに感じてしまうのか? 誰が書こうとそんなふうに私は受け取らないですが。


他の人はどうか知りませんが、自分の考えや感じ方にどのくらいの人が共感してくれるのか、またどんな反論があるのか確かめてみたいという気持ちが、基本にあります。それには、なるべく曖昧さを排して立場や表現を明確にしないと、賛同にしろ批判にしろまともな反応が返ってこないことにある時気づきました。
「ああも言えるしこうも言えるし」の自己内相対化で終わっては駄目なのです。「それらを懸案した上で、こう言う」でなければ。でもそのように書くと一方で、反論するのではなく「押しつけだ」「人それぞれだから」と言う人も必ずいる。面白いですね。


人それぞれ価値観が違うのは、当たり前のことです。「人それぞれ価値観が違う」という認識をもっていることにおいて、人は皆似たりよったりと言ってもいいくらいに当たり前です。
ネガコメに質問しスルーされた結果、「私はネガコメ書き捨ての人です。そう思われても結構」というその人のスタンスを知ることは、「人それぞれ」の一つを知ったことにはなるでしょう。
しかしそれより、そのネガコメの理由や意図を知らされたほうがはるかに、いろんな人の価値観や考えに接することになるでしょう。だってネガコメの理由や意図は、「書き捨て」という一つの行為より、もっと「人それぞれ」なはずですから。
そういうことが相手に対面せずとも知ることができるのが、ネットコミュニケーションの良さかなと私は思っています。


何にせよ、「正解」があるのかどうかはわからないということでは、基本的にululunさんに同意です。
そもそも自分がこの世に生まれてきたこと自体、どういう意味や答えがあるのかわかりません。ないかもしれないし、無数にあるのかもしれません。すべては不可知と言えば不可知です。約束事は最終的に不履行で、世界の底は抜けています(あ、ちょっとishさんっぽい言い回しになった)
でもそれは「人それぞれ」と同じく、ファイナルアンサーではなく前提に過ぎないと思います。よく考えると恐ろしい前提ですが。
その上で、その都度物事に暫定的な答えを出し、さしあたっての言動を決めていく。答えが間違っていたら修正する。わからなければ判断保留(もちろん保留できない場面では無理にでも決めねばなりませんが)。あらゆる場面で人はそういうことをやりつつ、「ものを考えさせられている」のではないかと思います。
ululunさんの記事も何事かに「考えさせられている」、そういう感じがしました。



余談ですが、ululunさんの記事のブクマ、いろんな人のコメントに、それぞれの価値観の一端や世界観までもが伺えるようですね。結果的にさまざまな意見を喚起する記事になっているんだろうなぁと思いました。