「結婚+子ども」という「幸福」のセット通念

中出しハッピー! - ナイトシフト
妊娠しにくい体質の彼女に5年間「中出し」し続けて、やっと妊娠したので、相手の親も泣いて喜び、晴れて結婚したというオメデタ記事。このブックマークに多くの「いい話」タグがついたことから、いろいろ議論になっている。
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他多数。


このカップルが結婚に際してどうしても二人の子どもが欲しいと思っていただけなのか、女性が男性に「妊娠が確認できるまで結婚できない」と言われていたのか、あるいはその逆なのか、不妊可能性の高い女性との結婚に親が難色を示したので"証拠"を作らねばならなかったのか、そうなることを見越して努力していたのか、このまま結婚してもし子どもができないと"嫁の立場"が悪くなることを心配してそうしていたのか、その辺の事情はこの記事からはわからない。
ただ、紹介されたエピソードが「いい話」として成り立つ背景には、不妊(可能性の高い)女性との結婚は祝福されない(あるいは結婚できない、する意味がない)という通念がうっすらとあるようには感じた。記事の書き手やエピソードの主人公がそう思っているというのではなくて。
そうした通念が社会的抑圧として働くことへの懸念は、一定限必要なものだと思う。


その上で、戸籍制度をバックとした婚姻制度が、もともとはイエの存続のためにあり、国民の再生産(とそれによる国体の維持)を目的として位置づけられてきた制度であったことは、再確認しておいたほうがよいと思う。「愛する人の子どもが欲しい」「子どもを産み育てたい」「家族を作りたい」という自然な(と言われる)欲求を回収し、この社会で子育てしやすい条件を用意するものとして、婚姻制度はかなり効率的に機能してきた。
だから多くの人は「結婚→子どもを作る」という流れに従い、それが自然であり幸福なことだとされてきた。結婚しないのなら別として、結婚したら早かれ遅かれ子どもを作るのはデフォルト。結婚と子どもをもつことは、ほぼセットと看做されている。子どもを作って初めて本当の夫婦になれる、くらいに思っている人も案外多いと思う。
そこには、「結婚=子作り=善」という価値観が刻印されている。「結婚=子作り=幸福」でもある。良い悪いは別として、結婚って基本的にはそういうものとして認識されているよね世間には、という話である。


結婚してしばらくすると、「お子さんはまだ?」と聞く人が必ずいる。もっとも、安易にそう訊ねないほうがセンシティブな態度だとはされる。それは、「結婚=子作り=幸福」を願いながら、果たせないでいるかもしれない相手の感情を鑑みた配慮である。その配慮の中には、別に子どもを作ることだけが結婚の幸福ではないという価値観もある。人は生殖のためにのみ結婚するのではないと。多様な結婚のかたちがあっていいのだと。
だが、結婚したのに子どものもてない人は「気の毒な人」という見方はまだ根強い。それは当然だろう。世間では、結婚したら子どもを作って「幸福」のセットを完成させるものだという通念があるのだから。



‥‥という一般論の後で、個人的なことを書いてみる。


私は結婚して22年になるが、子どもを作らなかった。結婚前、相手は「子どもは欲しいなぁ、やっぱり」と言った。私は「あんまり欲しいと思わないなぁ」と言った。ずっと二人だけでいいと思っていた。そこだけ意見が食い違っていたが、双方あまり気にせず結婚した。しばらくしたら欲しいと言い出すんじゃないかと、相手は思っていたらしい。私も若干そういう気もしていた。
しかし私は欲しくならなかった。子どもを産み育てること以外に関心が向き過ぎていたのもあるかもしれない。夫はたまに「あんた、ほんとにいらんの? 俺欲しいなぁ」と言った。そこまで相手が欲しいなら‥‥とも一瞬思ったが、やっぱりその気にはならないまま何年も過ぎて、とうとう彼も諦めた。子どもをもつ楽しみを、別の楽しみに切り替えてくれたようだった。


結婚してしばらくの間は、「お子さんはまだ?」と他人によく訊かれた。結婚したら子どもを作るのは"当然"なのだ。もちろん作ろうと頑張った結果できないのは仕方ない。できないのは本人の責任ではないので、恥じることはない。
だが最初からいらないというのは、あまり理解されない場合がある。「欲しいと思わない」と言うと、「二人だけのほうが気楽かもね」「子育てよりやりたいことがあるなら、それでいいよね」などと言う人もいるが、釈然としない顔をされることもしばしば。「どうして? 産んだらいいのに」「早く産んどいたほうがいいよ」「子どもっていいものだよ」「子どもいないと年とって寂しいよ」。
そうかもしれないね。でも私は欲しくないんだ、悪いけど。


そういうことが時々あって、人に訊かれると私が何か言う前に夫は、「俺が種無しだもんで、できんかったんだわ(笑)」と冗談めかして言っていた(もしその場に本当にそういう立場で悩んでいる人がいたら、ちょっとデリカシーに欠ける発言かも)。そう笑いながら言われると、他人もそれ以上は訊こうとしない。
周囲の問いかけを気に病んだことはなかった。もし私が子どもが欲しくてもできにくい体質だったら、「お子さんはまだ?」に圧力を感じ時に傷ついたかもしれないが、価値観が違うんだと割り切っているので気にはならなかった。


だがそれが家族となると微妙である。母は何も言わなくても理解してくれたが、父には「早く作ったらどうだ」と言われ、夫の両親も面と向かって口にはしないものの、期待していることはありありとわかった。
私の方の親は、妹が結婚して子どもを産んだのでまだしも、夫は一人っ子で、親は初孫を楽しみにしていたのだ。ほとんどそれだけを楽しみに老後を過ごしたいと思っていたと思う。夫婦というものは子どもをもって完成されると信じている人々である。そして、子育ての楽しみや苦労を息子や嫁に知ってほしい、親心というものを私たちと分かち合いたいと、おそらく心から願っていただろうと思う。


そういう人々に対して、私ははっきり「子どもを作る気はありません」とは言わなかった。というか、言えなかった。
もちろん子どもを産むか産まないかの最終判断は、産む立場である私が下すことである。それでも私は、自分の意見をはっきり述べることを躊躇し、曖昧なままにしておいた。ずっと後になって夫に訊いたら、義母は夫に「いつになったら‥‥」というようなことを漏らしたことはあったらしい。だが夫も曖昧なままにしておいたという。
夫の両親は結局私には何も言わず、ずっと変わらない態度で接してくれた。こりゃあ望みはないなと途中で諦めたのだろう。夫と同様に。


結婚しても子どもをもたない人生を選択したことを後悔はしていない。けれども正直に告白すると、夫や夫の両親に対して「わがまま通してごめんね」という気持ちを今でも私はもっている。
「そんなこと思う必要全然ないよ。あなたの人生なんだから」と友人は言った。その通りだとは思っているが、「ごめんね」という感情は、小さいけれどもいつまでも消えない染みのように残っている。
そして、そういう自分に時々軽くうんざりする。