あちこちでセクハラの解釈がぐしゃぐしゃになっていて

かなり混乱しているような気がするので、個人→個人へのセクハラの必要十分条件、その他最低限言えそうなことをメモしておきます。


■ 相手が「セクハラだ」と言ったらすべてセクハラになるのか。
なりません。セクハラとなるには、以下の2点を共に満たしていることが必要。*1
1. 性に関与していると一般に解釈可能な言葉、行動、表現が見られる。
2. 1を相手が性的に不快なもの、不安にさせるものと感じている。
1は訴えがあった時、事実関係を確認し、第三者によって判断される事柄です。言葉に限って言えば、容姿年齢服装(性的魅力と関わるもの)だけでなく、セクシャリティの傾向、恋愛経験、結婚・離婚経験、子どもの有無について言及することも、セクハラとなる場合があります。しかし「性」とはかけ離れた言葉、行動、表現であれば、ハラスメント効果があっても「セクハラだ」という訴えは無効です。
2は当事者同士の関係、環境、文脈、相手側の性的感受性によって大きく左右されます。1と2を考慮せずにある言動や表現だけを取り出して、それがセクハラか否かを第三者が個人の感覚から論じるのはナンセンスです。
例を挙げます。上司の「俺に口答えしたら減俸だぞ」は、1の要件を満たしていないのでセクハラとすることは当然できません(これはパワハラ)。同僚の「今日は暖かいからコートいらないくらいだね」を、「今日は暖かいからそのコートを脱いでミニスカートの脚を見せろという意味だ。セクハラだ」とすることもおそらくできません。やはり1の要件を満たしていないからです。
しかし「今日は暖かいからコートいらないくらいだね」と言いながらコートを脱がせようとしたら、セクハラと看做される可能性は高くなります("プレイ"としてお互い了解済みでない限り)。また、かつてそのような言動をしてセクハラ認定されたことがあるにも関わらず、再度同じ相手に同じような言葉を発したら、言葉だけでも相手に性的不快感や不安を与えるおそれがあるので、セクハラになる可能性が高くなります。


■ セクハラ認定に当たって、性的嫌がらせの意図があるかないかを確かめることは必要か。
必要ではありません。その言動をした人の意図の如何に関わらず、1と2を満たしていれば、セクハラとなり得ます。セクハラとは行為者の意図に関わらず「広義の性的暴力として機能するもの」ですから、行為者側の意図や真意は問わないことになっています。
従って、1、2が確認された場合、「性的嫌がらせのつもりはまったくなかった。真意は‥‥」という言い訳は通らず、被害者の感情が優先されます。
「嫌がらせ」という言葉が行為主体の意思を含んだ言葉であるために誤解を招きがちですが、重点がおかれるのはそれを「嫌がらせに感じてしまった」側の感覚、感情です。
なぜそうなっているかというと、何でも「性的嫌がらせの意図はなかった」で済んでしまえば、被害者は一方的に不利な立場に立たされ、結果的に加害者となった者の反省、謝罪を求めることが困難になってしまうからです。*2

もちろん明らかに嫌がらせの意図があり、より悪質であると看做された場合、「罪状」はより重くなる可能性はあります。ただ見方を変えると、嫌がらせの意図がある行為者は一定の「自覚」をもった確信犯ですが、無自覚なセクハラは内面化された性(差別)意識が期せずして現れただけで、本人に悪意がなかったりするので、逆に一層厄介かもしれません。


■ セクハラをされたと感じた側は、まず直接相手に抗議し、謝罪を求めるべきか。
とは限りません。ケースバイケースです。相手が「上」の立場なので言いにくかったり、言えばさらにハラスメントされそうだという恐怖を抱いたり、「上」でなくても相手と個人的にやりとりすること自体が既に苦痛な場合があるからです。そのために第三者機関(職場や学校のセクハラ防止委員会など)が設置されていますが、そうした機関に頼れない場合は、どちらとも利害関係のない信頼できる第三者に間に立ってもらうことがお勧めです。


■ セクハラ概念は、権力関係が前提とされる場合にのみ適用されるのではないか。
とは限りません。部下から上司への性的嫌がらせも(希少でしょうが)ありうるし、対等な関係同士、同性同士でもセクハラは成立します。セクハラという概念が日本に持ち込まれた時、職場における男女の権力関係の上にそうした言動が行われていたという事実が多く見られたので、男から女への、「上」の者から「下」の者へのパワハラの一種として認知されてきた経緯がありますが*3、今はもっと範囲を拡大して使われています。
しかし、訴えそれ自体は依然として女性から男性へのものが圧倒的に多いようです。ここには、男性に対する企業の対策が遅れている他に、男性は女性からの性的言動をセクハラとは感じない場合があったり、感じていてもジェンダー規範によって口にしにくく抑圧してしまう場合があることなどが関与しているためではないかと推測されます。


■ セクハラだという言明それ自体が、権力性を帯びているのではないか。
これは、被害者感情(や被害者の言明)が重視されるという点によるものと思われます。例えば、本人にとっては実は性的嫌がらせとまでは感じられなかったような性的言動を、あえて「セクハラであり甚大な精神的苦痛を被った」として訴える場合が、まったく無いとは言えません。この見極めは非常に難しいです。訴えた人の来歴、環境、それまでの対人関係、振る舞いなどを精査しなければ、判断できないこともあります。
また、性とは無関係な事柄を性と結びつけてセクハラだと公言されてしまった場合、事実関係が確認されるまでは、当人は多くの場合周囲から「セクハラをするような性的モラルを欠いた人」という視線で見られることになります。これは中傷を受けて名誉毀損されたに等しく、同時に無根拠な性的レッテルを貼られたことによって、その人こそセクハラ被害を受けていることになります。
セクハラという言葉に人がことさら敏感になるのは、性的意識や感受性が人のアイデンティティや自尊心に深く根付いているものだからです。従ってセクハラ被害を訴えるに当たっての判断を誤ると、逆に人を傷つけ貶めるものになりかねないので注意が必要です。


以上、これまで複数の職場で見聞きした事例、セクハラ防止(対応)マニュアル、説明会で担当者から聞いた話などを元にして、少なくともこのくらいの認識は必要であろうと思われることをざっと書いてみました。
足りない点はまだいろいろあるかと思いますが、今回はてな界隈で見られた議論と関係あると思われる点のみピックアップした、ということで御了解下さい。


●付記
私は授業の性格上、性的な話をたくさんしているので、時々「これはセクハラと言われないかな」と不安に思うことがある。ベッドシーンの登場する映画を見せた時、「あのシーンは不快だった。できれば見たくなかった」と感想文に書かれたこともある。表明するのは一人でも、内心思っている場合はもっと多いかもしれない。
学生からセクハラ相談を受けたこともある。是非学生相談室に行き、相応の対応措置をとってもらうように、一人で行けなければ付き添うからと説得したが、「一年以上前のことなので蒸し返したくない。話を聞いてもらってスッキリしたのでもういい」と固辞され、知り合いの専任講師にも相談したが「本人が嫌がっているのを無理にはできないのでは(但し委員の先生には話しておく)」と言われ諦めた。私の行動が正しかったかどうか、いまだに自信がない。
自分がセクハラに遭ったことも数回ある。ネット上でのセクハラに限っては三回ほど。そのうち二人には個人的に質問、抗議したが謝罪はされなかった。そこで対話できる相手ではないとして諦めたのは私の判断だが、いくつかの記述がまだネット上で公開されていると思うと、正直ちょっと憂鬱な気分ではある。


セクハラは取扱いが非常に難しい問題だと思う。何に性的嫌がらせを読み取るかは個人差があり、「性に関与していると一般に解釈可能な言葉、行動、表現」についても、常に統一的見解が見出されるとは限らないからだ。
セクハラを「広義の性的暴力」としたが、そもそもあらゆる性的振る舞い、表現は、多かれ少なかれ暴力的なものを含んでいるとも言える。性的不快感は性的快感と限りなく隔たっている場合もあれば、紙一重である場合もある。そしてセクハラを指摘し糾弾し謝罪や賠償をさせることで、表面的には問題解決できたかに見えても、セクハラ的悪意はさらに潜在化し巧妙なかたちで発現するという可能性もある(だからといってセクハラを指摘しなくていいということではない)。
性的振る舞い、表現を一切排除することは不可能である。私たちは常に既に性的不快感/快感と隣り合わせの環境にいる。そこで声を挙げる権利も、表現する自由も、同時に保障されている。それらを行使した結果は、どういうかたちであれ自分に返ってくるということを改めて自覚しておきたいと思う。

*1:賠償を求めて法廷に持ち込まれた場合は、これに加えて被害者が実際にどれだけの損害を被ったか(勤労、学業、日常生活に支障が出たなど)が要件となります。ここでは、そこまでは行かない段階の話とします。

*2:セクシャルハラスメントが特別にガイドラインを設けられ、ハラスメントの中でも比較的重要視されてきたのは、セクハラの起こる環境、対人関係にジェンダー規範が浸透していることによって、行為側が無自覚になりやすく、不快を感じた側は声を上げにくく、問題が潜在化してしまう可能性が高いからだと思われます。パワハラアカハラなどとセットで起こることが多いことも問題の重要性を高めています。

*3:80年代後半にメディアで初めてセクハラが取り上げられた時は、「ヒステリー」「過剰反応」「無粋」などバッシング報道がなされました。