現代アートとヴァイオリン少女

大学3年くらいだったと記憶しているので、今から30年前、80年代冒頭の話。
芸大の彫刻科は3年から素材によってコースが分かれており、私は金属を選択していた。そして、現代美術の底抜けの泥沼に足を踏み入れかけていた。
もちろんその時は泥沼などとは思わず、現代美術こそが新しい価値を創造するのだと信じていた。
当時、金属室の先輩たちの作品は、石や木を彫っている人たちの作品より「新しく」「刺激的」に見えたから、金属室は私にとって面白く居心地のいい場所だった。


学期の最後だったか先輩たちと飲みに行って、私と数人が助手の人の家に泊まった。朝、二日酔いの寝ぼけ眼で起きてくると、皆がテレビを見ていた。ヴァイオリン少女のドキュメンタリー。まだ子どもなのに凄いテクニックだ。お母さんがつきっきりで教えている。
「ステージママだな」
「子どもの時からあれじゃあ大変だよなぁ」
「きっとバイオリン以外何にもしてないんだろうな」
先輩たちの会話には明らかに、その必死な親子への揶揄があった。
クラシックが好きな人はその場にいなかったのだろう。それに加えて、みんなそれぞれ現代美術の信奉者。「現代美術こそが新しい価値を創造するのだ」目線からは、クラシック演奏家の卵の修行の世界は”古い”ものに見えたのかもしれない。


少し居心地が悪かった。物心ついた頃からピアノを習っていて、できれば将来は演奏家になりたいと思っていた時期があったからだ。裕福な家ではなかったが親も投資をしてくれた。
そのピアノを中二の冬にやめ、美術方面に進路を変更した。当初は不遜にも、人の作った曲を人より上手く弾くことに全力を傾けるより、「オリジナリティ」や「個性」重視の「自由」な絵の世界の方が私に合ってる、などと思おうとしていた。
もちろんその比較の仕方は間違っている。人の作った曲を弾くことの中に「オリジナリティ」や「個性」を輝かせる人が、クラシックの演奏家である。そのためには才能と、血の出るような修行と、それに耐え抜く根性が必要。
私にはどれも少しずつ、だが決定的に足りなかった。今、テレビに映っているその子を見れば、何が違ったのかは火を見るより明らかだ。
ピアノに挫折した時の思い出がトラウマのように蘇ってきた。同時に、そっちの世界の厳しさもよく知らないのに安易に揶揄するなんて‥‥という、先輩たちの会話に反発する気持ちが湧き起こり、私は押し黙ってテレビを見ていた。


「新しい価値の創造」の下にアートが拡散に拡散を重ね、そこでの「個性」や「オリジナリティ」がお題目と化した20年後、私は制作活動を休止した。その”後片付け”をする中で、美術 - アートについては多少文節化できるようになった。
しかし音楽は未だにわからない。アートの底の抜けた「自由」より、音楽、特にクラシック音楽のもつ宿命的な「不自由」が数段魅力的に感じるのは何故なんだろう。音楽のとてつもない情動喚起力はいったいどこから来るのだろう。
音楽の前に私はいつも無防備で、優れた演奏に打ちのめされている。今はもう昔のツラい思い出が蘇ることはない。
(因に、ヴァイオリン少女五嶋みどりはテレビに出た翌年、お母さんとニューヨークに渡った。その後の活躍はご存知の通り)






●関連記事
ピアノレッスン
プロとアマ、場所とお金と人の話‥‥月見の里学遊館のシンポジウム