一週間ほど前に美容室で手に取った『婦人公論』誌上にて、北原みのりが東電OL殺人事件の被害者、渡邉泰子と、結婚詐欺・連続不審死事件の被疑者、木嶋佳苗との共通点を、「父の娘」であることだと書いていた。それが二人の性的逸脱行動になんらかの影響を及ぼしたのではないかという趣旨のエッセイで、関係が詳しく論じられていたわけではない。*1 自他ともに認める「父の娘」だった私としては気になるところ。
渡邉泰子と木嶋佳苗。いずれも長女で、知的階層の高い厳格なタイプの父親に愛され、教育的な家庭環境で優等生として育てられた。そしてどちらも父を亡くしている(渡邉泰子の父は病死、木嶋佳苗の父は事故死だが自殺の可能性も疑われている)。
以下、彼女たちのプロフィールをざっと書き出してみる。
1957年生まれの渡邉泰子は、東大出身で東京電力勤務の父をもち、幼い頃から父の期待に応える優秀な娘だったという。20歳の時に、役員昇進を目前にしていた父を癌で亡くしている。80年に慶応大学経済学部からかつて父のいた東京電力に就職。仕事に全力を賭けるが「男社会」の壁は厚く、ストレスの中で徐々に神経を摩耗させ拒食症になっていった。
89年頃から夜はクラブホステス、91年頃から渋谷界隈で体を売るフリーの売春婦になる。性的に奥手でむしろ潔癖性だったと言われる彼女が売春へと進んでいった理由は、父の代わりを果たしたいと思いながら果たせないことによる、自分の身体への復讐感情が自傷行動に発展した結果ではないかと言われている。
昼間は東電のエリート女性管理職、夜は底辺売春婦(泊まりはせず、必ず母と妹のいる家に帰宅していた)という二重生活を続けた末、97年3月、円山町の古い木造アパートの一室で何者かに殺害された。彼女の数年に渡る”売春手帳”には客の特徴や得た金額などが几帳面に記してあり、一日4人のノルマを自らに課していたという。
1974年生まれの木嶋佳苗の父は行政書士(因に地元の名士である祖父と同じ司法書士になろうと試験を何度か受けていたが、合格しなかった)で、子どもの教育には惜しみなく金を遣い、本格的なオーディオセットや多くの本や映画のビデオの揃った家庭環境だったという。娘はピアノ講師の母からピアノの手ほどきを受け、読書の楽しみを教えてくれたダンディで優しい父を慕っていた。学校でも作文コンクールで選ばれたり英検3級を取るなど優等生。しかし”良家の子女”の顔とは裏腹に、中学2年で援交の噂が立ち、高校2年の時、窃盗罪で保護観察処分を受けている。
1993年、高校を卒業した木嶋佳苗は上京し就職するが研修期間三ヶ月で辞め、以降はデートクラブの収入、そして複数の男性たちとの愛人契約によってリッチな生活を送り始める。2005年に父が事故死。七千万円もの金を貢がせた70代男性の不審死(2007年)に始まり、6人の男性の不審死(内、起訴事案は3件)と7人の男性への詐欺、詐欺未遂、窃盗の罪を問われ、今年4月に死刑が求刑された。本人は殺人を否定している。
渡邉泰子と木嶋佳苗、こうして比較してみると表面的には正反対に思える点も多い。
身体的特徴からしても、渡邉泰子は亡くなった時39歳だったというのが信じられないほど、ガリガリに痩せて老婆のような体だったというが、木嶋佳苗は標準体型からするとかなり太っている。
渡邉泰子は最初の頃は数万、終わりの方では数千円という安い値段で体を売っており、金への執着がほとんど感じられない。おしゃれや贅沢な生活には一切興味がなかったようだ。木嶋佳苗は逆である。
渡邉泰子の性行動は過度に自罰的、自傷的に見えるが、木嶋佳苗は男性からの評価を堂々と口にしつつ結末は他罰的だ。前者は被害者、後者は加害者。
しかしこれらの一見対立的な相違点は、むしろ「普通」「平凡」と言われる性行動から大きく外れているという点においては、似ていると言うこともできる(北原みのりの論点もそこにあったと思われる)。
二人とも恋愛や結婚には興味がなかった。適当な相手と結婚し、子どもを作り、幸せな家庭を築くという「幸福」は、はなから眼中になさそうだった(木嶋佳苗は上京までは結婚願望があったようだが)。そして、ベクトルは違うが、異性に対する行動は「普通」から逸脱していた。そこには性欲も嫉妬も執着も愛も感じられない。これらと「父の娘」であることはどう関わっていたのだろうか。
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「父の娘」とは、平たく言ってしまえばファザコンのことである。
母と娘は同性同士の支配関係(それに似た共依存関係)が作られやすいというが、「父の娘」は母を遠ざけ、父と精神的に密着する。フロイトはこれを男児とは異なる女児のエディプス・コンプレックスであるとした。幼少の頃の父への思いが固着してしまった場合、それはのちに神経症となって現れると言う。
「父の娘」は父にとって、ある時は娘の顔をした長男であり、ある時は「恋人」である。父の思いを素直に内面化した娘は女の集団に馴染みにくく、男社会の中で己の才能と努力を評価されようとする。もっともそれは多くの場合、所詮名誉男性的な位置に過ぎず、「父の娘」は一方で、自分は「女」だ(「女」でしかない)という自覚も持たされる。
「女」で何が悪い、「男」なんかじゃなくて良かったと言えるのは、非「父の娘」である。しかし「父の娘」は、父の望むような「男」になりたいという気持ちと、父なる「男」に「女」として愛されたいという葛藤に引き裂かれる。人ごとのように書いているが、これは私のことだ。
私の父は、何が問題があると容赦せずとことんまで追求する厳格な人であった。謝っても簡単に許してくれるということはなく、怒りが爆発すれば大声で恫喝し私を張り飛ばした。それは父が私を溺愛するがゆえであるということは、子ども心にも知っていたので、私は褒めてもらいたい一心で父の投げてくる豪速球を汗だくでダッシュして獲った。そして、「男の人は怖い」と「男の人に認められたい」という思いを、人一倍強くもって育った。
何らかのかたちで男の人に認められれば、その人は私に優しくなる。怖がらなくてもよくなる。可愛い女の子になって愛されれば‥‥という方向に行けなかったのは、どう考えても自分がブスにしか思えなかったからである。思春期になり、可愛く振る舞って男の受けを狙う計算高さを憎む程度に、内心「女」であることを疎ましく思っていた。実はそういうことをしてみたいのに、素直にできない自分への苛立ちもはっきりとあった。[中略]「女」であることを堂々と楽しめる女の子とは別のルートしか自分にはないという思い込みと、男にはどう頑張っても勝てないんじゃないかという諦めは、子どもの頃から「男の子」であることと「女の子」であることを、同時に父に求められてきたせいかとも思う。
(『「女」が邪魔をする』より)
「父の娘」は、父に気に入られようと努力して父の自慢の娘になる。それがある時限界に達してポキリと折れ、父を裏切り、父と険悪な関係になる。さらに「父の娘」である自分への嫌悪も募り、なんだかんだとあってからやっとそんな自分と和解し、父のことも客観視するようになる。まだその底に複雑な感情を残しつつ。そうした一通りの過程を私は辿ってきた。
今でこそ父を距離を置いて眺められるようになったが、幼少の頃の私は「パパのお嫁さんになる」と公言して憚らない子どもであり、思春期に父と対立する前後からは、父への愛憎半ばの感情に悩まされていた。父の私への「おまえには○○ができるはずだ(お父さんの子なんだから)」「おまえは○○を手に入れられるはずだ(お父さんの子なんだから)」という態度が、どうにも重かった。かと言って期待されないのも嫌なのだ。
激しく頑固で支配的で思い詰めると爆発するという父の欠点を、そのまま自分が受け継いでいることに気付いたのは、大人になってだいぶ経ってからだった。「父の娘」は表面大人しそうに見えて、エベレストよりもプライドが高く、無根拠な自信と負けず嫌いの心性を持つ。
父を裏切ることが、「父の娘」にとっての逸脱である。
私にとってのそれは第一には、父の期待通りピアニストになる(「おまえには○○ができるはずだ」)という道を10代半ばで捨てることであり、次に父が憤死しそうな名前のバンドに参加することであり、最後に父が好むタイプ(「おまえは○○を手に入れられるはずだ」)とは正反対のタイプの男と結婚するというかたちで現れた。
もちろん当時そうはっきり意識していたわけではなく、心のどこかで、何とかして「父の娘」から脱皮しなければならないと感じていたということだろう。私が渡邉泰子や木嶋佳苗のような「性的逸脱」にいかなかったのは、ほとんど偶然だったと言うしかない。
しかし、彼女たちの行動を「父の娘」による「性的逸脱」だと仮定して、果たしてそれはどちらも同じく父への裏切り行為と言えるのだろうか。
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渡邉泰子は、男ばかりの東電の職場で「自分にはできるはずだ」と「男」として頑張り続けて心が折れた。父の理想を受け継ぐことのできなかった「女」の自分と直面した彼女は、その「女」を男社会の底辺で徹底的に切り売りするようになった。一日4人などというノルマを決めていたことからしても、昼間の仕事と同じく「任務」と考えていたに違いない。
「女」をセックスを通じて金に置き換えるとは、「父」なるものが君臨する男社会に完全に従うことだ。彼女は第二の「任務」を通して、あくまで自罰的に「父の娘」たらんとし続けたように見える。
木嶋佳苗は、男性たちを手玉に取りながら「自分は手に入れられるはずだ」と贅沢な暮らしを続けようとした。彼女の「私にはその価値があるのです」といった態度は人々を驚嘆させたが、セックスを提供して対価を得るという点では、木嶋佳苗も「父」なるものが君臨する男社会に従っている。渡邉泰子の「女」としての自己評価が低いのに対して、木嶋佳苗は非常に高いというだけだ。
男から得た金を彼女は貯蓄することなく、次から次へと散財していた。それは紛れもなく男社会の金であり、大きく見て「父の遺産」であり、「父の遺産」を搾取し己の贅沢のためにのみ食い潰すことは「父」なるものへの復讐になる。しかし、木嶋佳苗にそこまでの意志はあったのだろうか。
それよりも、少女時代から何でもできた他の生徒よりませた優等生で、「父の娘」の自信とプライドをあまりにも高く育て、それが挫かれることがなかったゆえに、自分はこれだけの対価を受取って当然、自分にとって邪魔になった男は消えて当然という、とてつもなく自己中心的な心性が作られたのではないだろうか。
むしろ、祖父のように司法書士になれなかった父を、思春期以降の木嶋佳苗は内心軽蔑するようになっていたかもしれない。渡邉泰子とは逆に、理想の父親像が崩れたことによって反動的に、「父」なるものに繋がる一切に対し、人間的な感情を持たないようになったのかもしれない。
‥‥と、いろいろ考えてみるのだが本当のところはもちろんわからない。ただ木嶋佳苗の父が不慮の死を遂げていることと、被害者男性がかなりの年上であること(父親世代の人も)が気にはかかる。
32歳で水商売に入り34歳で売春を始め、39歳で殺された渡邉泰子と、19歳で愛人契約を結び34歳前後から犯罪に手を染め、37歳で死刑を求刑された木嶋佳苗。「女」を売るキャリアに差はあるが、30代半ばから何かが崩れ始め、40歳を前に破綻している。
思い出すと私もその頃、メンタル的にはそれまでになくキツく、何かと足掻いている状態にあった。
自分にはできるはずだ。自分は手に入れられるはずだ。
そういう苦しい思い込みから私が解放されたのは、自分にできることも自分が手に入れられるものも限界が見えてきた、40歳の坂を越した頃だった。普通よりかなり遅いだろう。「父の娘」は高い理想を植え付けられているだけに諦めが悪いのだ。
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