トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 後半の記録

トーク:ダブルヒロインの「距離」 - 前半の記録
17日に静岡市のスノドカフェ七間町で行われたトークイベントの、私の喋りの続きです。

後半のトーク

後半は、小津安二郎の作品を例にとって考えます。
小津安二郎と言えば、戦後の作品、たとえば「東京物語」に顕著ですが、上の世代と下の世代のズレを通して古い家族形態が崩壊していくさまを描いた監督である、と言われています。そして、監督の目線は一貫して父親目線、あるいはおじさん目線です。
しかしここで重要なのは、彼のダブルヒロインものと言えるような作品で、そうした父権を後退させる若い女がしばしば登場しているということです。ここでは三つの作品を取り上げます。



資料にストーリーが途中まで書いてありますので、未見の方はまず最初の「淑女は何を忘れたか」のところに目を通して下さい。DVDで観て頂くのは、その後の箇所です。

淑女は何を忘れたか(1937)–––– 疑似所有型男性原理


【ストーリー】
大学教授の小宮は、妻・時子と麹町に二人暮らし。今、大阪からやって来た時子の姪の節子が滞在している。
ある週末、小宮は時子から無理矢理伊豆まで一泊のゴルフに行かされるが、行ったふりをして助手の岡田の下宿に泊まることにする。アリバイとして、伊豆からの葉書をゴルフ仲間に託す。
その夕方、口うるさい叔母の目を盗んで小宮の後を追ってきた節子にねだられて、二人で芸者遊びに。深夜、小宮は酔った節子を岡田に送らせる。家では帰りの遅い姪を時子が待ちわびていた。(略)


【キャスト】
小宮‥‥斎藤達夫
時子‥‥栗島すみ子
節子‥‥桑野通子
岡田‥‥佐野周二
 他


◆DVD上映(帰宅した節子に説教しようとする時子、取り合わない節子。岡田の下宿に泊まった小宮は、雨が降ったので時子に嘘がばれるのを心配している。帰宅後、節子について時子から注進され、小宮は話を合わせる。自室に節子を呼び、時子の目に触れないうちに自分の葉書を受取るよう頼む。そこに時子がやってきたので、小宮は節子を説教しているふりをする。37:30〜48:00)


コメディですね。人物相関図を見てみましょう。
 
これは、倦怠期の夫婦に小さな危機が生じ、いろいろあって一山乗り越えるという夫婦ものなんですね。さっきの場面では一見、節子がヒロインに見えますが、栗島すみ子は本作が引退作となった戦前の大女優、桑野通子は当時人気急上昇中の女優で、やはりダブルヒロインです。
姪・節子は、夫婦の危機を前面化する撹乱者として登場します。で、擬似的な三角関係が形成され、男はどちらともうまくやろうとするが失敗する。



次は、戦後の作品「彼岸花」。少し人間関係が混み入ってます。

彼岸花(1958)–––– 所有型男性原理と関係型女性原理の拮抗


【ストーリー】
大企業の常務・平山は、旧友に頼まれ、家を出て男と暮らしているというその娘の様子を見に行く。次いで、平山の知古である京都の旅館の娘・幸子が訪ねてきて、見合いを煩く薦める母親に困っていると、平山に訴える。
一方、自分の娘・節子の見合い話を考えていたのに、彼女には結婚を約束した恋人のいることがわかって平山は立腹、自分で自分のことを決めたい節子も父に強く反発。
よその娘には話のわかるおじさんを演じ、自分の娘には父権を発動して支配しようとする平山。それを知った幸子は、節子の窮地を救うべく一芝居打つことにする。(略)


【キャスト】
平山渉‥‥佐分利信
平山清子‥‥田中絹代
平山節子‥‥有馬稲子
佐々木初‥‥浪花千枝子
佐々木幸子‥‥山本富士子
 他


◆DVD上映(幸子は自分の嘘の結婚話をして平山を担ぎ、彼が口にしたものわかりのいい一般論を盾に、父が節子の結婚を認めたことにして、その場で節子に電話をしに行く。うろたえる平山。1:13:10〜1:19:05)


では人物相関図です。
  


この図では、ストーリーの最初に書いてある、平山の級友と家を出たその娘は省いてます。煩雑になるのと、直接本筋には絡んでいないので。
この父は結局、すべての娘に好かれたい。尊敬され感謝されたいんです。ただ他人の娘にはいい顔をできても、自分の娘とはつい本音でぶつかってしまう。この人(節子)、さっきのシーンでは出てきてませんが、だいたいこういう顔です。父親譲りの頑固な娘です。
で、彼の知らないところで娘たちは同盟を結びます。幸子は口うるさい母親に少しうんざりしていて、自分の立場を節子に投影しています。結局、節子の母も娘に味方、妹も姉さんに加勢して、とうとう父は八方ふさがりになって折れます。男に見えていなかった女同士の関係性の前に、父権は敗退するという図です。



最後、「秋日和」です。この作品から11年前に撮られた「晩春」という、笠智衆原節子で演じられた父と娘の関係が、ここでは母と子に置き換わっています。原節子が母親役をやってます。

秋日和(1960)–––– 所有型男性原理の後退、関係型女性原理の台頭


【ストーリー】
旧友の七回忌に集まった間宮、田口、平山の三人は、未亡人の秋子とその娘・アヤ子と再会。年頃のアヤ子の結婚を心配した間宮らは、間宮の知り合いの後藤を紹介するが、アヤ子は一人残る母のことが心配で踏み切れない。
彼女がその気になるためには母親の秋子の再婚が先という話になり、それを伝え聞いて誤解したアヤ子は母に反発、同僚の百合子に相談に行くが‥‥。(略)


【キャスト】
三輪秋子‥‥原節子
三輪アヤ子‥‥司葉子
間宮宗一‥‥佐分利信
佐々木百合子‥‥岡田茉莉子
田口秀三‥‥中村伸郎
平山精一郎‥‥北竜二
後藤庄太郎‥‥佐田啓二
 他


ちょっとストーリーを補完しておきたいので、今度は先に人間関係を見ましょう。
 
このおじさん三人組。上から間宮と田口、彼らは妻帯者で、三番目の平山は妻に先立たれた独り者。彼らにとって母(秋子)は、学生時代からのマドンナです。その相手に平山がいいんじゃないかという話になり、平山もだんだんその気になる。田口が秋子に再婚話をもって行きますが、彼女が亡き夫の話ばかりするので、つい肝心の話をしそびれて帰ってきてしまう。その失敗は平山には知らされません。
一方、間宮が紹介した後藤とアヤ子は結局交際を始め、なんとなくいい雰囲気に見える。でもアヤ子はなかなか結婚に踏み切れない。それで間宮は、「お母さんに縁談があるんだがね。平山なんてどう?」てなことをアヤ子に言ってしまいます。
アヤ子はショックを受けます。自分の母親を、そういう性的な要素をもった女として見ることができないんです。この人は結構潔癖な女性だし、この親子関係はそもそも母子密着型ですから。で、母に強く反発しますが、秋子の方は何も知らされていないので、なぜ急に娘がツンケンし出したのかわからない。そういう状況です。では、今度は少し長め、20分くらい観てみましょう。


◆DVD上映(母親と噛み合わない喧嘩をしたアヤ子は百合子の家に来るが、逆に嗜められてヘソを曲げる。翌日、職場でアヤ子は百合子と口をきかないままだが、デートで事情を打ち明けた後藤に優しく諭される。その夕方、親友の様子を見にアヤ子宅へ行った百合子は、話が母・秋子に通じてないことを知り憤慨、間宮らのところに乗り込んで厳しく問いただす。間宮らは初対面の百合子に驚きつつ、手違いを詫びる。1:26:00〜1:44:00)


男たちは、全体を把握しコントロールしていると思ってます。でも、話を前に進められない。百合子は全体は見えていません。だからいきなり平山のところに突撃したりして、そういう間違いは犯すけれども、しかし彼女は結果的に、膠着状態になっていた人間関係に風穴をあける役割を果たすんですね。その行動は、男たちの想定外のところにあります。そういうものとして女性が描かれているということです。
全部そうなんですね。「淑女は何を忘れたか」の節子も、「彼岸花」の幸子も、女の行動はみんな必ずしも正しいとは言えません。にも関わらず、というかむしろだからこそ、それが淀んだ状況を掻き回し、結果的に物語を前進させます。




ここで、「アナ雪」のエルサとアナを、この三作品のダブルヒロインたちに当て嵌めてみましょう。  
「淑女は何を忘れたか」(疑似所有型男性原理)  彼岸花」(所有型男性原理と関係型女性原理の拮抗) 
          
           秋日和」(所有型男性原理の後退、関係型女性原理の台頭)


左下の位置にいるのがエルサです。「淑女は何を忘れたか」の時子、神経ピリピリ尖らしていましたね。「彼岸花」の節子、思い込んだら引かない人です。「秋日和」のアヤ子、「私の気持ちは誰にもわからないんだから!」と顔に書いてありましたね。みんなエルサです。
一方、右下の位置にいるのがアナです。節子(淑女〜)、引っ掻き回す役でした。幸子(彼岸花)、明るくて悪戯っぽいキャラはアナです。百合子(秋日和)、猪突猛進、アナです。


前半で言いましたように、エルサは一時的に社会、共同体から自らを疎外する、あるいは浮いてしまう存在でした。時子さん(淑女〜)は家の中でちょっと煙たがられてました。この人言ってることはまあもっともなんですが、相手が真面目に耳を傾けてくれない。次に節子(彼岸花)も、お父さんと対立して家族の中で浮いちゃってました。この人が茶の間に登場すると、もうドーンと暗いんです。アヤ子(秋日和)のコミュニケーション拒否という態度も、まさにその共同体から自らを疎外することです。
そして、決して正しい行動をするわけではないアナの側、特に節子(淑女)とか百合子(秋日和)などは、エルサの気持ちをどこまで理解していたか怪しいんだけど、この二人の緊張関係(淑女〜)、あるいはこの同盟関係(彼岸花)、そしてこの人の友情や親愛の情(秋日和)がマックスとなった時に、エルサ側にとって重圧だったり悩みの種だったりしたもの、ここでは男たちの位相や彼らとの関係ですが、それがふっと軽くなる。そしてエルサたちは共同体に再び自分の場所を見出す。そういう構造になっているんですね。


アナの物語の肝は、「王子様なんかいらない」でした。ここではどうだったでしょうか。
節子(淑女〜)と岡田が最後のほうで会う場面があります。岡田はなんとなく節子に好感を抱いているようだけど、節子はちっともそんなムードではない。それから幸子(彼岸花)。美人だし母親は結婚を煩く薦めるけど、ある意味母子密着型でなかなか結婚しそうにないなという雰囲気です。そして百合子には結婚話はありません。それで別に問題ないという感じです。
特に百合子は、わりと自由な立ち位置にいる女性というところがポイントでした。アヤ子のように母子密着状態にはありません。お母さんとは仲はいいけど継母です。この作品、最初は秋子(原節子)とアヤ子(司葉子)がダブルヒロインに見えますが、後半この百合子が場を攫っていきます。
また、ここには主たる父の座がありません。アヤ子の父は亡くなっているし、百合子の父はほんの少し出てくるだけで物語に絡みません。おじさん三人は男社会を体現してますが、彼女たちにとっては基本的に他人です。その分、女性同士の関係性が前に出てきます。


映画の最後の方のシーンですが、アヤ子の結婚式の後、娘を嫁に出して一人になった母・秋子のところに百合子がちょっと顔を出して、「おばさま、私これからちょいちょい来ていい?」と言うんですね。ここに、親子でもなく姉妹でもない他人同士のゆるやかなシスターフッドが築かれるんだなということを感じさせます。これも、おじさんたちには見えない関係性です。
「晩春」は笠智衆の寂しげな姿で終わりましたが、この作品が一人になった原節子のかすかな微笑みで終わるのは、女性同士の関係性が前面化していたことと無縁ではないのではないか、そんなふうに思います。
話が一巡したところで時間も来ましたので、終わりにします。ありがとうございました。


※この後、10分ほどの質疑応答タイム。音源データから起こせたらまたアップします。