消費中毒の女

買い物依存症

目的を持って買い物に行くのではなく、特にこれと言って欲しいものはないのだが、ウィンドウショッピングをしているうちに実質的なショッピングをしてしまっていた、ということがある。
イメージがあらかじめ自分の中にあって、それとぴったり合致するものを偶然見つけたというわけではない。それを見た時に、これは自分が前から買いたかったモノだと思ってしまうのである。
さっきまでは全然なかったはずの欲望が、瞬時にして作られてしまう不思議。


消費欲が物欲より先行しているという現象は、今に始まったことではないだろう。
買い物をすると気分がスッキリするのは買い物依存症だが、それは物が欲しいだけでなく、お金を使いたいのである。少しでもお金を使うと、ストレスが発散されるから。それで月末生活が苦しくなってまた別のストレスが溜まることもあるが、それも欲しいものが買えないからというより、お金を使えないというストレスである。
なるべくお金のかからない生活を望んでいるにも関わらず、お金が使えないとイライラするという、この矛盾。


お金が入ると、喜んで右から左に使ってしまうという人の気持ちが、私は少しわかる。昔の私はそうだった。お金をプールしておくことができないのである。
お金を使わないように、休日などはなるべく家に閉じこもっていればいいのだが、そういう人は何かと口実をつけては外に出て行く。「何かあるといけないから」と多めに預金を引き出したりする。
そして冒頭に書いたような状況になり、「ちょうどお金もってるし」と理由をつけて買ってしまうのである。カードをばんばん使うほどの勇気はないので、いつもキャッシュ。


「何かのついでに」デパートに集ってくる主婦などは、そこに来ればお金を使う理由が見つけやすいからである。
夕方駅前のデパートなどに行くと、なんとなくぶらぶらと商品を見て回っている主婦や仕事帰りの女性が多くいる。ああお金を使いたくてうずうずしているのだなと思う。
観察していると、同じフロアをぐるぐるといつまでも回っている人もいる。もう一通り回って欲しいものはないと確認したにも関わらず、立ち去れないのである。何か買うまでは。
そしてさっきは素通りしたニットなどを手に取ってみる。
さっきは欲しいと思わなかったけど、もしかしたら欲しいのかもしれない。
こういうの今まで趣味じゃなかったけど、意外といけるかもしれない。
いや結構いいじゃない。これ欲しいよ。欲しいと思えよ、私。何か買わないことには家に帰れないのよ。
なんて自分で自分を強迫してまで買う。欲望を無理矢理作り出してまで。
買い物依存症じゃなくて、買い物強迫症か。


昔、西武デパートの宣伝コピーに「欲しいものが欲しいわ」というのがあった。「欲しいもの」が何かはわからないのだけど、欲しいという事実だけがある。
ではただで「欲しいもの」が手に入ったらそれが一番いいのか。確かにいいように思えるが、お金を使った時ほどのカタルシスは得られない。


買い物依存症の女は、思いきって大金を使うと一時的に心が軽くなるという(中村うさぎはそうらしい)。
そのあとがタイヘンなことはわかっていても、そのカタルシスを味わわないではいられないので、同じようなものでも何かと理由をつけて高い方を買ってしまう。
高い方と言っても、車や家などになるとケタも大きいのでそういう時は誰でも「正気」にならざるを得ない。しかし数十万円くらいまでの商品の中で、高い方を買っておけば安心という、消費者の大雑把な心理を読んだモノは多いだろう。
つまり商品にかかっている実質的な製造費の差より、また見た目の感じより、価格差の方が大きく設定されているモノ。
そこで高い方を買った時、無駄金使ったという事実よりも、八千円払うより思いきって一万円払った(金額がセコいが)という満足感の方をその人は選んでいるのだ。 常に安くてもいいものを見極めて買うような賢い消費者には、そういう人はなれない。
それはその人がお金持ちがどうかとは、あまり関係ないことのような気がする。「お金をばんばん使える自分」というイメージが欲しいのだ。

フェロモン系女性雑誌

消費欲と言うと、買い物だけに限らない。視覚的なものの消費依存もなかなかのものがある。
例えば、女性向けのファッション雑誌。今全部で何誌出ているのかわからないほど多いが、ああした雑誌のファッション情報を、女は単に買い物の参考にするためだけに見ているとは思えない。そうした実用性とはかけ離れたところに、ファッション雑誌が読まれる(見られる)大きな理由があるように思う。


体内のニコチンが新たなニコチンを欲するように、一旦ファッション雑誌を見るようになると、それは習慣となり中毒となる。中毒症状とは、常に新しい雑誌を見ないではいられないということである。一度見た雑誌は二度と手に取る気がせず、新しい次のを見るとイライラが消えていく。
そしてすべてのページをめくり終えてしまうと、タバコを手許に切らした喫煙者のように、また不安定になるのである。 中毒者になったことがある私はそうだった。
買い物という行為が欲望を作り出すように、ファッション雑誌も欲望を作り出す。それは単なる物欲を刺激するには留まらない、イメージ消費欲とでも言うべきものだ。
ELLEとかフィガロとかマリ・クレールといった外資系(?)の気取った雑誌で、スタイリストとカメラマンの優れたページというのは、眺めるだけで一定の視覚的快楽が得られる。きれいな人やモノの映っているきれいな写真のイメージというものが与える、ほとんど即物的な快感。それは常に更新され、瞬間的に消費される感覚である。


ところで、女性の中にこういう情報が欲しいという潜在的な欲望があって、それをリサーチして雑誌が作られているのだろうか。確実に売れる雑誌を作るならそういうことが必要とされるだろうが、女が何を欲しているのかという点について、各雑誌を見るとだいたい一様である。
ファッション、メイク、美容・ダイエット、インテリア、グルメ、旅行、恋愛・結婚、セックス、運勢。それが年齢、趣味志向傾向に合わせて差異化されている。
その差異は女のイメージの差異である。


そこに最近、また新しいイメージの二つの雑誌が創刊された。
一つはNIKITAといい、「あなたに必要なのは"若さ"じゃなくて"テクニック"」というキャッチコピーがついている。まるでオヤジ向け雑誌のナンパ記事にでも使われそうなフレーズである。創刊号の惹句は「コムスメに勝つ!」。
中身を見ると、下着みたいなドレスに豹皮のコートをはおるって感じの非常に挑戦的なファッション。ananを読んでいた20代が小金の溜まった30代になって、開き直ったような鼻息の荒さを感じる。
もう一つはGLITTER。
最初、男性向けの雑誌が場所間違えて平積みされているのかと思った。黒いブラとパンツ姿のロングヘアの外人が、腰に手を当ててウインクしている表紙だったから。タイトル横には小さく「エイジレスな女を目指す25才から30代のファッションマガジン誕生」とあった。まあ大人の女向けということだろうか。
NIKITAと傾向は似ているが、もう少し俗っぽい感じの作りで、ハリウッド女優やアメリカのセレブの紹介記事が多い。


これまでの30前後独身女向け雑誌だと、モード系では自己満足の、コンサバ系では恋愛から結婚に向けてのフェロモンが表現されていた。
この二誌では普通の結婚志向の匂いは感じられず、フェロモンももっと剥き出しである。「悪女」をロールモデルとした雑誌と言おうか。
しかもかなり金がかかってそうな、あえて言うと高級コールガール風のファッション(というかコスプレ)。日本では叶姉妹杉本彩くらいしか似合う人がいなさそうな。
その上で「コムスメ」と張り合って、高めの男を色気でひっかけて遊ぶという強気な姿勢。
小金持ちな「負け犬」の逆襲を煽っているのだろうか。


いったいどんな人がこれを買っていくのか?ということが気になる。
つい最近まで手堅いファッションして地道に恋愛して結婚して‥‥と思っていた女が、こうした雑誌を見て、このフェロモン全開の悪女のイメージこそ、自分が前から欲しかったイメージだと確信するのだろうか。


さっきまでは全然なかったはずの欲望が、瞬時にして作られる現場は、いつも強力なイメージと共にある。消費中毒は、そのイメージと自分とのギャップに生まれる。
「お金をばんばん使える人」のイメージと「悪女」のイメージは、もちろん現実の自分とは合致しない。現実の自分は「つつましく地味に生きてる女」。
なぜそれに満足していられないのだろうか?