性的視線は遍在する

最近、数カ所のブログで展開されている、「非モテ」は他者の性的視線を恐怖するという話について。
私の把握している議論の流れは、
非モテ女性が見えないのはなぜ?(Ohnoblog)
非モテが晒される性的視線(烏蛇ノート)
非モテが晒される性的視点(2)(烏蛇ノート)
もし男性が「性的に欲情されること」を恐怖するとしたら、どんなケースが考えられるだろうか?(世界のはて)
といったところ(コメント欄も参照)。


「烏蛇ノート」では、「性的視線」を侮蔑視線と欲望視線二つのベクトルを含めて指しているのだが、性的視線=欲望視線と捉えられたので、コメント欄でやや混乱が起こっている。
いずれにしても、性的視線を恐怖、忌避するということにおいて、非モテ男女の性差はあるだろうという話である。つまり非モテ女は欲望視線を恐怖する。
一方で、「女は好みの男からの欲望視線ならOKだが、キモい男からの欲望視線は拒否したいのではないか」というという意見を、数カ所で散見した。つまり、女は男の欲望視線を男の外見で選別して、受け入れたり拒んだりすると(男は関係ないという話)。


これらの話はもともと、ウェブ上で非モテ男は目立つのに、非モテ女が少ないという話に端を発していた。私のエントリはそれを前提にしたものだったが、いつのまにか、リアル世界での性的視線の話になっている。リアルを想定しているから、女は一概に男の欲望視線を拒む訳ではない(イケメンならOK)という意見が出てくるのだ。
しかしそれには少なくとも、「互いが互いの外見を見て判断することが可能」という条件を必要とするはずだ。これはウェブ上ではありえないことである。


ウェブ上での「非モテ女」という言葉から多くの人が想像するのは、「恋愛経験のないブスな処女」というステロタイプなイメージである(実際はそれに当てはまらないことの方が多いだろうが)。
そういうイメージの女に男が、いったいどういう欲望視線を送るのか。
『喪女…処女だ(;´Д`)ハァハァ』 (10/20日の髑髏蟲さんのコメントより 07/11/20追記:コメント欄は復元不可能、髑髏蟲さんのコメントは奇刊クリルタイ2.0の拙文に掲載させて頂きました)くらいしかない。そういう男がモテ男と自称してようがしてまいが、非モテ女は忌避感情を引き起こされる。
だからネット上では、相手がどんな男であろうと非モテ女は「欲望」されることを拒むのである。


では、リアル世界では? 非モテ女をイケメン君がチラチラ欲望視線で見ていたとして、当の非モテ女はどう受け取るだろうか。「なんで見るの? まさか私の外見が気に入ったなんてありえないし。なんで?」
とまず混乱するのではないかと思う。
異性からの視線に不慣れであった十代の終わり頃、見た目の悪くない男(赤の他人)にそういう眼差しで見られたことが数回あった。私は男に見とれられるような顔はしてないし、男受けする恰好もしていなかったので、「なんで?」と思った。
そしてその男の視線がどこに向いているか確認して、ショックを受けた。
そいつは私の胸のあたりを見ていた。俗に言う「いやらしい視線」であることがわかって、私はその場から逃走した。
私が美人だったら、あの男はあんな無遠慮な視線を向けてきただろうか。美人だったらせめて顔と胸を見比べるだろう。相手に気づかれないように。


非モテ女への男の視線には、侮蔑の中に欲望が混入していることがある。非モテ女でもリアル世界で、いつも侮蔑の視線だけに晒されるとは限らないのである。欲望の混じった侮蔑視線(連れて歩くのは嫌だが、性欲処理だけだったらありか)に晒されるほど、苦痛なことはない。
女が男をそういう視線で見ることは、おそらく稀であろう。ブサイクな男の股間を注視して性的妄想に浸るような女は、あまりいない。


最後に、「女は好みの男からの欲望視線ならOKだが、キモい男からの欲望視線は拒否したいのではないか」について。
個人差はあると思うが、好みのタイプからの欲望視線に悪い気はしない女は多いと思う。それが片思いしている相手だったら嬉しい。心の中で考えていることが同じでも、タイプの男の視線はなんとなく好ましく、そうでない男の視線はいやらしく感じられてしまうという残酷な事実は、確かにある。
しかしいくら好みのタイプでも、電車の中で痴漢視線でジットリ見られたり、暗い夜道でつけてこられたりしたら、女には嫌悪感や恐怖しか生まれない(男の方はそれでもOKだとしても)。安全な状況でキモい男から見られるのと、タイプの男の欲望視線から身の危険を感じるのとどっちを選ぶかと言ったら、前者に決まっている。
男の視線はすべて欲望視線であると達観している女は、誰に見られても「またか」としか思わないだろう。でもそう思える余裕があるのは、安全が保障された環境においてのみなのだ。


ウェブにもリアルにも、性的視線は遍在している。
今回は男から女への性的視線について書いたが、逆も当然ある。その二つは同じところもあるが、異なるところもある。
その根拠はいろいろつけられるとして、では誰しも性的視線から自由ではないのか。
基本的に自由ではないと私は思う。でも自由でありたいと思うことが無駄だとは思わない。