「爆笑問題のニッポンの教養」7月15日放映が酷かった件

爆笑問題東京芸大を訪ね、学長の宮田亮平氏と「激論」を交わすという企画。私が見たのは後編だけで、番組冒頭にざっと紹介された前編ダイジェストを見るに、まず「表現の現場」みたいなものを紹介する感じだったようだ。
で、後編。宮田学長が太田に「本当のことを言ってない」とツッコむところから始まるのだが、なんかもう‥‥酷かった。
「言葉が多過ぎる」という学長の批判に太田はキレ気味。言葉で勝負している芸人が「言葉が多過ぎる」と言われても困ると思うが、学長は「表現とはもっとシンプルなものであるはず」と言っていた。「ものつくり」系の人に非常にありがちな言い方だ。


「表現していることが伝わらなければ意味がない」と言う太田に対して、「伝えたい思いが重要」と言う学長。そんなの大前提だろうと思う。しかし「ものつくり」を自認する人は、よく言うのである。「能書きはいらない」と。「考え過ぎるとダメだ」と。学長も同じようなことを言っていた。
一応「ニッポンの教養」だよ? ゲイジュツカに「教養」なんぞいらん、手を動かして作品さえ作ってればいい、と聞こえる。仮にそれが"本音"だったとしても、芸大の学長ならそんな素朴過ぎる話ではなく、ちったあ「教養」っぽいことを喋るべきではないかと思った。


学長の言う「時空の違い」というのは、その場で伝わらなくてもいい(いつかは伝わるかもしれない)、さまざまな解釈に向けて作品は開かれているものだ、という意味のようだった。しかし、太田の「あんたの作品っていったい誰に何を伝えようとしているの?」という疑問に応えているようには思えなかった。
ともかく話が噛み合っていない。太田がツッコミに食い下がっているのに対して、学長は曖昧な言葉でケムに巻いているように見える。


木彫室で制作している院生を紹介して学長は、「背中を見ていると彼の思いがわかる」というようなことを言っていた。教える側だったら、何年も見ていればそれなりにわかるだろうと思う。で?という感じが否めない。
展示中の学生の木彫彩色の首の作品を評して学長は、「青春の葛藤というかモヤモヤというか、そういうものがある」。青春の葛藤‥‥。テレビで見ていても、そんなものには見えない。その後で太田が述べたユニークな解釈のほうが、よほど面白い。


宮田学長は工芸科(鍛金)出身の作家で、東京駅の「銀の鈴」など制作しているらしい。人々が目印にするモニュメントの素晴らしさを学長は語っていたが、「銀の鈴」はそれで四代目である。高名な工芸家ということで制作依頼されたのだろう。別に宮田氏が発明したものではないのに、あたかもそこに哲学的な価値があるかのような語りにウンザリした。
私の在学していた頃でも、教官はもうちょっと捻ったことを言っていたように思う。先端芸術表現科教授の日比野克彦のほうが、まだあれよりはマシなことを言えただろう。どうせなら、もっと学生に自由に喋らせればいいのに。「京大」編みたいに、太田と学生達の討論にするとか。そこに教官も何人か混ざる感じで。
それほど期待しないで見たのだが、テレビ番組ということを差し引いても予想以上に酷かった。一緒に見ていた芸術門外漢の夫もほぼ同意見。「へえ〜」みたいな感じで感心した人は案外多いのだろうか。