丸くなるということ

1年くらい前の話。デザイン専門学校が終わって帰る道すがら、授業で組んでいる若い講師の人に「しかし大野さん、丸くなりましたよね」と言われたことがあった。
「この間Mさんも、大野さん昔に比べてほんと丸くなったよねって言ってましたよ。私、一緒に授業で組んで3年だと思うんですけど、最初の頃に比べてもそういう気がします」。
確かに体型は前に比べるとちょっと丸くなりましたが‥‥って体型の話ではありません。「学生に対する指導態度」のことを言われているのだ。
ベテランのデッサンモデルのMさんは美大予備校で働いていた時から知っているので、たぶん私の実技指導を一番長く見ている人だ。わりと言いたいことをポンポン言い、ダメなのはスパスパ切り捨てていた昔のイメージに比べると、オダヤカになったということなのだろう。それを「歳を取って角が取れた」と言うのは直接的過ぎるので、「丸くなった」と言ったのだろう。
美大予備校講師の時代も含めて30年くらい若者を相手にデッサンなどの実技指導をしてきたが、こう言われたのは初めてだったので、仕事の上で歳を取るとはどういうことだったか、自分の場合を振り返ってみた。


20代から30代にかけては、今思うと相当キツい言葉、尖ったキレキレの言葉を学生に吐いていた。芸大受験生だからビシビシしごくのが当たり前という雰囲気もあったし、なまじ自分が通ってきた道だけに学生に求めるものも高かった。
講師チームで学生を振り分けして見る際、私は概ね「藝大組(東京藝大合格の可能性の一番高いグループ)」の指導要員に回された。打てば響くように応える学生の多い上位クラスの指導は、言葉がストンストンと相手のツボに入っていくような快感があって面白かった。中途半端なところで妥協しなくていいということが、気持ちいい。
予備校の若い講師というものは、自分の言葉の切れ味の良さと勢いとデッサン技術で同世代の他の講師と競い合うようなところがあるが、私はその典型だった。下位レベルでもがいている学生と我慢強く付き合っていく忍耐力は、なかったと思う。


それが、30代の終わり頃にデザイン専門学校に来てから、変わらざるを得なくなった。
ほとんど初心者の、美大予備校のレベルで言うと中の下から下位クラスの学生が集まっていたので、今までのような精鋭育成方式は通用しない。さらに、美大予備校にはいなかった「すぐやる気をなくす奴」の指導も初めてだった。だから最初のうちはよくキレて怒っていた。
しかし私が予備校で蓄積してきた指導技術は、自分のあまりの下手クソさを目の当たりにして意欲を失いかけた学生には役立たず、大幅な組み立て直しが必要なことは明らかだった。立方体一つ描けないということがいったいどういうことなのか、なぜそうなってしまうのか、どうやったらその最低レベルから抜け出させることができるのか、そこで初めて真剣に考え始めた。
デッサン指導を長年しているのなら、そんなことは本当はもっと昔に考え尽くし、指導技術を開発し尽くしていなければならないことだったが、それまで実質的にデキる学生ばかり見てきた私は傲慢にも、初心者指導などタルいしやり甲斐もないと舐めていたのだった。


描ける人、やる気のある人をさらに伸ばす指導と、描けない人、やる気のない人をどうにかする指導と、どちらが大変だったか? もちろん後者だ。より面白かったのは? やっぱり後者だ。
(芸大入試レベルの)「描け具合」はわりと似ているが、描けない人の「描けなさ」は千差万別である。そして(芸大入試レベルの)「描けること」よりも、「描けないこと」の中にこそ、三次元のものを見ることとそれを二次元上に表現することの間の分裂、人の観念やイメージの不思議さ、不自由さが、くっきりと残酷なかたちで浮かび上がってくる。
「描けない人を指導する」とは、そういう渾沌と困惑の世界にその人と共に降り立って、一緒にテクテク歩くことだ。目の前にある「描けなさ」の山を一緒に登り、登ったところから景色を見て、「あの谷はあそこが一番深かったんだ。大変だったはずだよね」と確認する。「描けない人」に上から目線の指導は一切不要なのだと、私は遅まきながら知った。
学生に腹が立つということが、次第に少なくなっていった。自分の得意としていたキツめのツッコミというのを、前ほどはしなくなった。彼らの親の年齢を自分が越えようとしていることに気付いた時、もう昔のような指導は(たとえ「描ける人」相手でも)できないとつくづく思った。


「丸く」なるきっかけは、指導の対象が変わったことだけではなく、若手の講師と組んで二人で一つの授業をもつようになったことにもあった。
美大や芸大を出て数年の、画家の卵で高い理想をもっている講師には、好きなように伸び伸びやってもらうのが一番良い。講評会の時も「ガンガン言っていいですよ、後でフォローしますから」と言っておく。
若くて芸術に情熱を燃やしている人の、絵について語る言葉のリアリティと閃き。それは私にはないものだ。かつてはあったかもしれないが、今はない。自分が失ったものを相手は持っているのだから、それを最大限に出してもらわないことには、私がその人と組んでいる意味がなくなる。
年齢差があるので最初はやや遠慮がちだった講師も、だんだんと調子が乗ってきて持ち味を発揮するようになり、ツボを突いたシャープな指導が板についてくる。3年目ともなれば、講評会でも若手が前衛、私が後衛というような感じに落ち着いてくる。
若い前衛はあくまで尖って意識の高い学生を刺激し、古参の後衛は落ちこぼれそうなところを丸く受け止める。これが逆ではいけない。


若い時と同じ感じで仕事をすることはできないし、その必要もないと私は40代の終わりでやっと悟った。若い人が競って尖るところで同じように尖ろうとしても無理がある。
しかし、「丸くなる」を”老成”と読み替えてそこに安住していれば、「丸さ」は「甘さ」にすぐ堕ちるものである。そうならないで仕事を続けている年輩者を観察していると、皆、丸い中に角を隠し持っている。普段はそんなもの見せないけれど。
「丸くなる」のは簡単だ。歳を取り経験を積めば、だいたいそうなっていく。丸さの中に角を失わないでいることが難しいのだ。
長年続けた仕事に慣れ過ぎてしまい、「まあここはいつものようにアレしてコレしてナニすればいいか」と流れていきそうになる時、「おまえの角はどこへ行った?」と私は呟く。



●追記
そう言えば最近、「35病」という言葉を見た。
35病 - AnonymousDiary
35病から考えるいい年の取り方 - Togetter
私の35歳は20年近く前に過ぎたが、目の前のことに夢中で、自分の歳のことなど考える余裕はなかった。「いい年の取り方」という言い方で説明できるようなHow toは多分ない。人によって違うからだ。「いい年の取り方をしている」とは常に誰かが誰かを指して言っている言葉であり、自分で実感できるものでもない。結局はその人に見合った加齢があるだけだと思う。