「うち」の記憶の容れ物

私が実家に住んでいたのは高校までだった。浪人と大学時代は東京に住み、その後帰郷してからはなんとなく親と生活空間を別にしたくて、実家の近くの庭付き長屋を借りて住み、結婚して賃貸マンションに引っ越し、やがて市外に中古住宅を買って移り住み、そこがもう20年になる。
今は、老母が一人で住む実家を月1回くらいの頻度で訪ねている。昨日ふと思い立って、実家の写真を撮った(携帯なので写りはあまり良くない)。


● この辺りが雑木林だった昭和30年頃に、父が建てた家。築60年近い。
「山小屋風」の家に憧れていた父の趣味で、屋根に急な勾配をつけ、外壁を丸太で覆っている。昔は大きな木々に囲まれた鬱蒼とした雰囲気で、口の悪い友達に「お化け屋敷」と言われた。
実家よりずっと後に建った近所の家々が軒並み建て替わりつつある現在、この近辺では少々異彩を放つ外観である。時々立ち止まって眺めている人もいるようだ。あまりに古色蒼然としているので、いったいどういう人が住んでいるのかと思って見ているのかもしれない。


● 門を入って前庭の角から。
右手前が玄関、左奥が勝手口。幼稚園くらいの頃、玄関前の短い「橋」の下や、石畳を抜けて南の庭に至る狭い西の通路で、妹と「探検ごっこ」をした。かつては木が茂っていたので、かくれんぼにも最適だったが、やぶ蚊にもよく刺された。ここに立つと、夏の夕方の日差しと草木の匂いが蘇る。



● 勝手口の前から門の方を見る。
前庭に生えていた松や椎の大木に、時折父が梯子を掛けて剪定をしていた。学校からの帰り道、家の前の坂を上ってくると、頭上で「オーイ」という声がし、松の木の随分高いところにハチマキ姿の父がいて仰天したものだ。濃い木陰で、夏はひんやりと涼しかった。今はこの小さな植え込みを母が手入れしている。


● 勝手口の横から南の庭に至る東の通路。
子どもの頃は特別注意も払わなかったが、今見ると丸い石を積み上げてコンクリで固めた壁の造形が面白い。ここをよじ登ろうとしたことがある(失敗)。


● 東の通路を抜け庭へ。右は母屋の縁側。左上は祖父母のいた離れ。
昔は庭に雑木林がほとんどそのまま残っており、シダもたくさん生い茂っていた。その中に父が石を並べ、ブロックを積んで階段を作った。木登りに適した枝振りの木に、私と妹は名前を付けていた。母が年を取り、落ち葉の掃除や庭木の手入れが大変になって、数年前に樹木は全て伐採された。


● 庭から母屋を見る。
いまだにサッシのない家は珍しいかもしれない。この縁側で昼寝をし、宿題の絵を描き、庭で捕まえた虫を観察し、アイスクリームを食べ、妹と遊んだ。軒下にはいつも小鳥の籠があった。オカメインコカナリア、ジュウシマツ、文鳥、迷い込んできた雉、怪我をしていた伝書鳩‥‥など。



● 縁側から庭を見る。離れは今は物置になっている。
大きな木ばかりか花を咲かせていた庭木もいつのまにかなくなり、昔に比べてあまりに殺風景になってしまった庭を見るのは少し淋しい。祖母が元気な頃は、離れの前でニワトリやウサギを飼っていた。離れの奥には初めは菜園、後に父が温室を建てたが、それもだいぶん前に取り壊した。正面奥の木立はこの一角でもっとも大きなお屋敷の庭の一部。60年前の自然林の面影をそのまま残している。


● リビングから庭を見る。
妹と私が小さい頃は、鉄棒や卓球台を置いていた。それで遊ばなくなってからは、庭に面した隅に父が座卓を置いて書き物をしていた。母もここで裁ち物台を出して洋裁をした。私と妹の服、頼まれもののワンピースなど。母がさまざまなプリントの生地を広げ、型紙をあてているのを見ていた記憶がある。



近くのマンションに住んでいる叔父(母の弟)は「古くなって家の中も外も趣が出てきたのに、売るのは惜しいよなぁ」と言った。「俺に金があれば買い取って住みたいくらいだもんなぁ」。
「ダメダメ。あんたに売る気はありません」と母。
「じゃあお母さんが住めなくなったら、サキちゃんとダンナさんと二人で住んだら?」
「いや、だって向こうの両親がいるし、その家もいずれ管理しなくちゃならないんだよ」
「あ、そうか」
「それに、もしダンナと二人で住んでも、ちゃんと維持管理ができるか自信ないわ。庭も広いし、床や柱しょっちゅう磨かなきゃいけないし」
「でもこういう古民家借りて住んでみたい人、絶対いると思うんだよね」
「それはまぁ、いるかもしれないね。奇特な人が」
「ダメダメ。誰にも貸す気はありません」


かつてこの家には、祖父母と両親と私と妹が住んでいた。そこから祖父母が欠け、自分が家を出、次いで妹も出、長らく父と母だけだったのが、昨年父が老人ホームに入って、母一人の家になった。
その前後から母は大々的に家の内外を片付け始め、さまざまな物を処分し、家も庭も異様にスッキリさせてしまった。娘二人がこの家に再び住むことは(おそらく)ないので、夫が死に、自分が老人ホームに入る時には売るつもりでいる。
家はまだ住んでいるので壊せないが、少しでも売却しやすいように庭木などをせっせと取り除いたのである(売られた後は更地になり、幾つかに区切って建て売り住宅かアパートが建つだろう)。
仮に、私と妹が相続しても固定資産税を払うのも大変だし、結局売ってお金に換えるということになるだろう。


家族がいなくなり、家族にまつわる物もほとんどなくなった家。それは「うち」の記憶を残した容れ物のようだ。
いずれはその家もなくなり、「うち」の記憶だけがかつての家族の中に残る。そしてその記憶をもっている人が一人もいなくなって、すべてが消える。