「『風立ちぬ』戦争と日本人 - 宮崎駿 × 半藤一利」雑感

菜穂子がキャンバスの上に喀血した時の妙に粘性の高い血液と、二郎が設計した飛行機に乗って浴びる逆噴射した黒いオイルは、同じものだ。いくら洗っても取れないよ‥‥。
4日前に観た『風立ちぬ』にいまだにモヤモヤして*1、仕事のレポート採点やるのがしんどい大野です、お暑うございますね。


感想を書いた記事コメント欄でnesskoさんに教えて頂いた、宮崎駿半藤一利の対談(文藝春秋8月号掲載)を読んだ。御年83歳の半藤一利は歩く昭和史みたいな人なので、堀越二郎の親友として登場する本庄季郎に会ったことがあるとか、堀辰雄のお葬式で司会をやったとか、この対談には打ってつけのエピソードがいろいろ。漱石の話も(氏は漱石の遠縁)。
作品について宮崎駿の語っていることはネットに出ているインタビュー内容とだいたい同じで、半藤氏が述べる「その堀越は、宮崎さん本人ではありませんか?周りの欲求がどうあろうと、俺は俺の好きなものを作るという信念を貫く」に、「僕はそれしかできないからやっているだけです(笑)」と受けるのもシナリオ通りの感じ。
それより、むしろ世代の違う”おじいちゃんたちの戦争思い出話”の小ネタが個人的には興味深かったが、そこ以外で面白かったところを二、三。


「本庄さんのデザインは直線と円で構成されていて、実に合理的かつ大量生産に向いている。一方、零戦はあまりにも精緻で作りにくいんです」(宮崎)、「「兵器」ではなく工芸品」とまで評されるほど、零戦の製造は手間がかかったといいます」(半藤)など、ひとしきり零戦話が盛り上がった後で、宮崎駿が「実は、今回、零戦を描くのが嫌で嫌で仕方なかったんです」と言い出した。
そりゃそうでしょう、悲劇の代名詞になっちゃってるものね、それを”美しいもの”として描くのは反戦平和主義者として抵抗があったと言っておかないといけないでしょうよ‥‥と思ったら、「物凄く難しい上に、ちょっと形が崩れるとすぐに「違う!」とわかってしまう。胴体の放物線ひとつをとっても、途中で微妙に変化がついて‥‥」。
そっちの「嫌」だった。


半藤氏が文藝春秋の記者だった頃、『日本航空戦記』という雑誌を作らされたという話になった。真珠湾上空を飛ぶ零戦のイラストを表紙にしたら、「零戦零戦でも五二型で、真珠湾には行っていない」というマニアからの抗議が殺到したという。
その雑誌を半藤氏が取り出して見せると、監督曰く「あ、これは違いますね。五二型でもないです」。オタクぶりを見せつける。


監督が試写を見ながら泣いたという話で、それは二郎と菜穂子の場面かという半藤氏の質問に、監督は、堀越と本庄がドイツ・ユンカース社の工場を訪ねる場面だと答える。その理由は「当時、日本の技術者たちは本当にひどい扱いを受けたそうなんです。僕は遅れてきた軍国少年でしたから、何かに触れたんでしょうね」。
「遅れてきた軍国少年」だと、戦後の愛国右翼少年という意味になってしまって、ミリタリーオタクとは違うと思うのだけど。ここで言っている「もうちょっと早く生まれていたら、絶対、熱烈な軍国少年になっていたはずでした」という文脈とも違うし。
‥‥って、もう細かいことはいいか。
「これは「宮崎版昭和史」」だと評価する半藤氏が相手だったせいか、全体に安心して好きなことを好きなように喋っている感じが、映画の印象とダブるのだった。以上です。


● 追記
宮崎駿監督がEテレで半藤一利と対談、『風立ちぬ』から昭和史まで語る1時間 - movieニュース:CINRA.NET
NHK Eテレのインタビュー番組『SWITCHインタビュー 達人達(たち) 宮崎駿×半藤一利』8月3日22:00から放送とのこと。



ちなみに半藤一利大宅壮一ゴーストライターとして書いた『日本のいちばん長い日』を元にした同名の映画(1967、監督:岡本喜八)は、非常に面白い。完全にイッちゃった感じの黒沢年男の目玉演技にこっちも血管キレそうになるが、豪華俳優陣の演技は見応え十分。エアコンの効いた涼しい部屋ではなく、汗を掻きながら見ると尚のこと良いだろうと思ったが、私には無理だった。エアコンありでも暑くなった。

*1:モヤモヤの中心を吐き出すと、とにかくラストが酷い。「生きねば」云々が取ってつけたようでしらじらし過ぎる。この台詞を響かせるには、”地獄(戦争)への道は善意(飛行機への夢)で敷き詰められていた”結果としての、圧倒的な死の場面がその前になければならないのに肩すかし。なぜ零戦が火だるまになって突っ込んでいく悲惨なシーンを描かない?‥‥などと、ないものねだりのことを思った。