朝型生活、犬型生活

以前、専業主婦の妹が毎朝5時半に起きて旦那さんと娘の弁当を作っているという話を聞き、子供のいない私は「えらいなぁ、私みたいなグータラにはとても務まらない」と思った。
グータラかどうかなど関係なく、しなければならないからする‥‥ということだろうけど、私から見ると毎朝普通の人より早く、同じ時刻にきちんと起きる人は、それだけで尊敬に値する。


子供の頃から、夜遅くまでゴソゴソ何かやっているのが好きだった。親に早く寝ろと怒られても、ノートにマンガやイラストを描いていたり、布団の中に本を持ち込んでいつまでも読んでいたりした。
大人になって毎日早起きしなくてもいい仕事に就いて一番嬉しかったのは、夜更かしできることだ。明け方まで友達と飲んだり、推理小説を一晩中読み耽ったり、夜中に突如怪しい料理を作り始めたり、部屋の模様替えをしたり、深夜に放映していたB級映画を見たり、展覧会前は徹夜したり。20代で完全に夜型が定着した。
これで結婚した相手が朝から出勤する人だと、それに合わせて生活時間帯も変わるだろうが、夫も私と同じようなパターンで働いている、夜遊びと朝寝の大好きな人だったので、夫婦二人の生活は宵っ張りになりがちだった。近所の家が朝、雨戸を開ける頃に布団に潜り込むなんてことも時々あった。


犬を飼い始めても、あまりそのスタイルは変わらなかった。大人しい犬で、朝早くから散歩に連れていけと吠えることもなかった。散歩は冬は日が高くなってから、夏は夕方。
次に猫を飼い、私だけ少し早起きになったけれども、それでも起床はだいたい朝8時過ぎ。
昨年犬が死に、猫を里子に出し、私の生活はまた昔に戻りかけていた。さすがに50代も半ばになると、体力的にあまり遅くまでは起きていられないが、12時や1時くらいまでなら普通だ。朝からの仕事のない日はつい惰眠を貪る。


それがこの一ヶ月くらい前から、朝5時に起きるようになった。起きなければならなくなった。二代目の飼い犬のせいで。
そろそろ7ヶ月になる今の犬は玄関横のケージで飼っているのだが、夏に向かって日の出が早くなってくると、それに合わせて目覚めるらしい。
今は4時半を過ぎた頃、雀のさえずりに混じり、「フウン‥‥フウン‥‥」という鼻声が二階の寝室まで聞こえてくる。少し鳴いてしばらく黙り、また鳴き出す。半分夢の中で「ああ、タロが」と思っていると、「フウン」が「ハウー」になり、次に「ワン!」が混じるようになる。
要求吠えに応じるのは躾上は良くないのだが、早朝からあまり鳴かせておくのもご近所迷惑と思い、眠い目を擦りながら降りて行く。私の気配を察したとたんに、「ヒャヒャヒャ、ヒャヒャヒャ」というハイテンションな声。外に出てケージを覗き込むと、散歩に行く気満々で小躍りしている。もう行かざるを得ない。


東の空に上ってきた太陽の位置もまだ低く、眩しいので目を細めながら、半分犬に引っ張られて歩いていく。
5時を少し過ぎたばかりで、既に犬の散歩している人に二人遇う。それから、家庭菜園でナスとサヤエンドウを摘んでいるおばあさん。朝食の味噌汁の具にするのだろうか。ジョギングしているランニングの若い男性。完全武装の遮光スタイルでウォーキングの女性。早朝から仕事なのだろうか、軽トラに梯子を積んでいるおじさん。みんな早起きだなぁ。
田植えが終わったばかりの田んぼの上を渡ってくる風が、とても涼しい。「気持ちいいねぇ」。犬に話しかけながら歩くおばさん(私)。「え、タロ、ここでウンコするの。待て、ちょっと待て。ハイハイ。ハイー」。



こうして、早起きの犬のお陰で私の生活スタイルは一変した。朝5時前に目を覚まし、夜は9時半から10時の間に就寝。およそ3時間ほど時間が前にずれただけで、午前中がとても長い。
早朝の散歩から帰ってきて犬にゴハンをやって、庭の雑草を少しむしって、コーヒーを淹れて、気が向いた時は狭い庭に置いてあるパイプ椅子でコーヒーを飲み、家に入ってパソコンを立ち上げて、メールチェックして(大抵はほとんどないのであっという間に終わる)、はてなのお気に入りブックマークに上がった記事を眺め、時々ブクマし、ネットをやりながらテレビのワイドショーをチラ見し、その間に洗濯機を回し、そろそろお腹が空いてきたので朝食(ハムとチーズのトーストと茹で卵とトマトのサラダ、コーヒー2杯目)を作って食べて、片付けて、ゴミ出しをし、冷蔵庫の中身を点検して今晩は何を食べようか考え、また外に出て犬とボールで少し遊び、洗濯物を干し、2階のベランダから「タロー、タロちゃーん」と呼んで犬がキョロキョロするのを面白がり、布団を干し、ざっと掃除機をかけ、またパソコンの前に戻って書きかけのテキストを開いて読み返して、それだけやってもまだ8時! いつもの休日なら、やっと起きてくるかどうかという時間。


出かける用事のない日はその後、書きかけのテキストか描きかけのイラストか講義の準備やノート整理などをやり、当面差し迫った自宅仕事が何もない時は、自分と犬のおやつ(犬は「やわらか鶏ささみ紗」、私はドライフルーツか「きのこの山」)を持って犬を車に乗せて木曽川のほとりの緑地に行って遊び、木陰のベンチでおやつを食べ、お昼前に一旦帰ってからスーパーに買い物に行き、簡単な昼食を作って食べ、既に乾いた洗濯物を取り入れたり溜っていたアイロンがけをしたりし、その後は借りて来たDVDを見るか、ブログを書くか、いまだに片付け中(いつになったら全部片付くのか)の元アトリエの整理と捨てる物の分別をしたりし、その途中で探していた本とかマンガが出てきて読み出して気がつくと夕方で、もう5時過ぎたからビール飲んでもいいよねと思い、ビールを美味しく飲むためにゆっくりお風呂に浸かり(たまにスーパー銭湯)、犬にゴハンをやり、缶ビールをあけながらおかずを作り、ニュースなどを見つつ夕ご飯(大抵ビール+おかず的つまみというかつまみ的おかず、その後焼酎水割りかウイスキー水割り少々、時々ごはんと味噌汁)を食べ、暗くなった頃に犬の散歩に出て、帰ってきてテキスト書きの続きをやったり本を読んだりネットのお気に入りに入れているところを回って、いつもの人たちがいつものように語っているのを読んで何となく安心し、たまにテレビを見たりして、犬と少し遊んでからケージの中に入れてやり(昼間は繋いで出入り自由にしている)、軽くストレッチをして10時までに床に就く。


これが休日のだいたいのパターン。犬にしか話しかけない一日だが、全然問題ない。飲みにもほとんど行かなくなった。
仕事のある日も、だいたい5時起き10時就寝。以前の私からすると、考えられないような朝型生活になっている。



人はたとえば、学生時代に不規則な夜型生活を送っていても、会社などに就職して毎朝早く起きるようになったり、子供をもって子供に合わせた朝型生活になったりするというパターンが多いと思うが、私の場合はいずれもクリアできないまま馬齢を重ねてきた。
夜間の仕事をしている人、夜間でないと落ち着いて(家で)仕事できない人は仕方ないが、私は単に仕事の時間帯が不規則なのと家族の制約がないのをいいことに、頻繁に夜更かし朝寝をする生活を続け、*1そのことによってなんとなく自分が、一人前の人間にはなっていないような、少し後ろめたいような気持ちを抱えてきた。
毎日何時に寝て何時に起きようが、そんなことはその人の勝手であり、為された仕事の価値とは関係ないと思っていても、酔って寝過ぎてカーテン越しに高く上がった太陽の光を感じる時の、「ああなんかこうして人生を無駄にしているのかもしれない」という一抹の後悔と虚しさと諦めと途方もないダルさの混じった気分は、若い時は自分のダメさ加減を味わう意味でたまにはいいが、あまり歳を取ってからは体験したくない種類のものだ。


この歳になって、思いがけず規則正しい早寝早起き生活をするようになれたのを、私は犬からの贈り物だと思うことにした。
早起きしたから仕事が捗ったり、内容の濃いものが書けたりしているかはわからない(たぶんあまり変わってない)し、無駄こそ人生‥‥などと思うけれども、意志薄弱で酒飲みのだらしない女を、飼い犬が少しばかりきちんとした人にしてくれた気がしている。タロよ、ありがとう。


電線の雀を見上げるタロたん


ところでこの週末、単身赴任中の夫が運転免許の更新のために帰ってきていた。彼も新しい仕事に就いて生活パターンが激変し、朝6時50分に起床し7時半前にマンションを出るという。普通のサラリーマンみたいなスタイルになっている。
久しぶりに家に帰ってきてゆっくり寝たのに、朝早く犬の声に起こされたんじゃないか(見た目は寝ていたが)と思って聞いたら、全然知らずに爆睡してたという。あんなにワンヒャン言ってたのに? 私の耳は、飼い犬の声だけを特別敏感にキャッチしているのかもしれない。

*1:夜更かしして何か頑張った分の成果を上げているかというと、半分以上は酔っぱらっているので何とも。ここだけの話だがお酒の入った状態で書いたブログ記事も数知れず。