微笑みかける死体

ベネトンの広告写真で有名なカメラマン、オリビエーロ・トスカーニは、自らの広告哲学を本に書いている。タイトルは「広告は私達に微笑みかける死体」。
政治的で挑発的でセンシティヴな写真表現のできる人は、言語表現のセンスも高いのだろうか。素晴らしいキャッチコピーである。これを使用できる広告は無いだろうが。「広告」のところに、いろいろな言葉を入れてみると面白い。


「ペット・セメタリー」(1989、メアリー・ランバート監督、スチーブン・キング原作)というホラー映画は、死んだ者を蘇らせたために起こった悲劇を描いている。
主人公はペットの猫の事故死をあまりに悲しむ子供を慰めようと、ネイティヴ・アメリカンの言い伝えのある墓地の秘密の場所に、その死体を埋める。すると翌日猫は生き返って帰ってくる。しかしそれは、もとのペットとは似ても似つかない性質の、ものすごく狂暴な猫になっている。
やがて不慮の事故で、子供が死ぬ。悲しみのあまり、やめときゃいいのに主人公はまた、その死体を墓地に埋めに行く。子供はペットと同じく、翌日生き返って家に帰ってきたが‥‥というわけで、悲惨な出来事が連鎖していく。


自分に近しい者の死を受け入れられないのは、強過ぎる愛情のためかもしれない。でも一度死んで蘇ったものは、いくら姿かたちが似ていようと前と同じものではない。それは「微笑みかける死体」でしかない(「エイリアン 4 」のやたらと強いリプリーが魅力に欠けていたのは、クローンだからだった)。
それでも外側だけの「そのもの」を、失われたものと中身も同じだと看做したい願望、「そのもの」によって、失われた幸福が召還されると信じる愚かさを、私達は笑えない。

私達の愛しているものは、死体だ。私達は死体と寝ている。