男子にはなれない ● 第五回 ● 中3トリオの宿命

想定の範囲外

プロレスごっこではなく、マジ切れ(私が)の喧嘩。先日久しぶりにそれをやったお陰で、今腕がちょっと筋肉痛だ。夫はその際手首に引っ掻き傷を作ったので、暑いのに外で腕まくりができないと文句を言っている。そんなもの、犬に噛まれたとでも言っておけばいいではないか。人のことを狂犬呼ばわりするんであれば。


のっけから卑近かつ野蛮な例で申し訳ないが、私は初対面の人には概ね、冷静で穏やかで控えめな人と印象づけられている(と思う)。そう人に印象づけるのは実は割と簡単なことだが、ある程度親しくなっても、その印象をほとんど崩さないで持ち続けてくれる人もいるのである。
そういう相手に、「2年に1回くらい、夫と取っ組み合いの喧嘩をします」と言ったら、確実に引かれる。
取っ組み合いの夫婦喧嘩など、それこそ犬も喰わない話である。そんなことを40過ぎてやってるなんて、と呆れ返る人もいよう。しかし、どんなに冷静沈着に見えても、呆れるようなことを不可避的にしてしまう人は、いるだろう。恥ずかしいので人には報告しないだけである。
だからいざという時人は、イメージと実態のギャップに驚いて引いたりする。何事も「想定の範囲内」と嘯いていても、驚く時は驚くものだ。


2月初めの森昌子の”自殺未遂騒動”に始まった、「芸能界おしどり夫婦」の離婚劇は、その意味で典型的な出来事であった。
有名芸能人の妻という優雅なイメージとはかけ離れた、森昌子の悲惨な主婦ライフ。イメージと実態のギャップを一般論として知っていても、普通は想定の範囲外である。


離婚報道も収まった4月終わりの週刊文春ゴールデンウィーク特大号)は、特別読物「中3トリオ30年「夫」「子育て」「復帰」」として、森昌子桜田淳子山口百恵を比較している。

中学生でデビューした少女たちは、瞬く間に国民的アイドルの座に上り詰めた。結婚、引退、出産。女性としての幸福もすべて手に入れたはずだった。しかし三十年以上が過ぎた今、彼女たちの人生ははっきりと明暗が分かれている。命運を分けたものは何だったのか。

なんというか、「明暗」の「暗」の方の人が読んだら落ち込みそうなリードである。
芸能界デビューした14歳の時から何かと比較され、主婦になった40半ばを過ぎても比べられているわけだが、森昌子の離婚がなければこんな記事も書かれまい。


それによれば、三人の「命運を分けた」大きな要因の一つは、「子育て」だということになっていた。山口百恵の息子は既に二人とも大学進学を果たしたが、森昌子の長男はジャニーズからデビューした直後に素行で問題を起こし退学。桜田淳子のところは子供が三人ともまだ小学生で、家族関係は良好のようだ。
「子育てが命運を分ける」というのは、女についてしか言われないことである。「命運」がかかっているから、女は子育ての失敗が許されない‥‥そういう文春記事の見方と、長男の問題を妻のせいにしている森進一の考え方とは、基本的に同じである。


しかし子育ては「命運を分けた」要因ではなく、たまたま浮き彫りになった事実の一つではないか。
では「命運」は夫選び? それも「女の幸せは結婚で決まる」程度の話だ。


結論から言うと、今現在こうなっているのは夫や子育てのせいではなく、「宿命」である。
宿命は、彼女達を国民的アイドルの座に押し上げた最初のヒット曲(デビュー曲)と、その時に決定づけられた各々の「女子のイメージ」によって、30年以上前に既に予言されていた、と私は見る。

上目遣いの諦念

森昌子のデビュー曲は、『せんせい』。「淡い初恋消えた日は‥‥」から始まり「‥‥それはせんせい。」で終わる歌詞の形式は、独白あるいは日記である。そしてしょっぱなから「諦念の歌」である。
単なる失恋ではなく、相手が先生(自分より立場も年齢も上の男)であるところがポイントだ。可愛い女子生徒に淡い恋心を抱かれたいと密かに思っている、全国の男性教師のツボをついた内容。歌詞といい演歌な曲調といい、アイドルにしては年配受けする歌であった。


森昌子は目と眉が接近しているので、ちょっと黒目を上にもっていっただけで、かなり上目遣いが強調された感じになる。『同級生』を歌っても、目はいつも上の男を見つめる低姿勢。顔からして生徒なのである。
そういう生徒体質の森昌子が、歌謡界で彼女にとって先生的立場である大物演歌歌手、森進一と結婚したのは当然であろう。


森進一は以前、女優の大原麗子と離婚している。離婚会見時の大原のコメントは、「家の中に男が二人いたからです」。かなり前ウィスキーのCMで古典的な大和撫子を演じてウケていた彼女だが、内面は男子だ。家で自分に献身的に尽くさない女を、俺様体質の森進一は受容できなかった。
森昌子ならそこは大丈夫。「三歩下がって師の影を踏まず」の生徒だから。しかし夫の意向で芸能界に”復帰”した彼女は、01年暮れ、紅白に出場した。では、本格的に歌手活動再開かと思いきや、出ているのは夫婦のジョイント・コンサートである。
そのステージが以前、ワイドショーで紹介されていた。夫と横並びに並んでいても彼女には、何となく「三歩下がって」な感じが漂っていた。森進一事務所の森昌子は、永久に彼を追い越せない。同列に立つこともない。一段低い生徒の立場で、大先生に花を持たせる役回り。


もっともあれは師弟ではなく、”夫婦愛”の演出である。夫がそこまでしないと売れない歌手になっているとすれば、妻としては協力せざるを得ない。一方、家事と三人の息子の育児はすべて妻の仕事。家でも尽くし外でも尽くせ。”しごき”である。優雅な主婦生活は諦めると言っても、エラいことである。
長男の素行不良を自分のせいにされて、「家事や育児に専念させたいなら、あなたのコンサートに引っ張り出さないで」と昌子はキレた。夫婦のジョイント・コンサートも「あなたのコンサート」だと妻はわかっているのである。
夫の監視区域内で、こんなクサい芝居やらされてるの、もううんざり。それだけで、離婚したい理由の半分にはなろう。


夫のステージに出演したり、息子をジャニーズに入れてみたり。芸能界とつかず離れずの森昌子の結婚生活は、完全に専業主婦に収まった百恵とは、一味違う路線であった。もしかするとそこには、百恵より一足早くデビューし、抜群の歌唱力を賞賛されたプライドの片鱗があったのかもしれない。


夫と決裂した時、「歌手をやめたかったから結婚しただけ」と口走った森昌子。「仕事しんどいから専業になっちゃおかな」と言う疲れた女性たちと同じだったのか。それとも百恵が憧れを込めて「百恵さん」と呼ばれるように、「昌子さん」と呼ばれたかったのだろうか。
夫の選挙演説にかり出される立候補者の健気な妻と、昌子はどこか似ていた。上目遣いの芝居は、やってる方も見てる方もつらいと思う。

幸福への眼差し、覚悟の視線

桜田淳子のデビュー曲は『わたしの青い鳥』である。♪ようこそここへクッククックーわたしの青い鳥。  
思えばちょっと変わった歌だった。アイドルの歌と言ったら普通は、独白か相手に語りかけるラブソングである。しかしこの歌は、鳥に語りかけている。「どうぞ行かないで」「幸せ歌っていてね」と。
「青い鳥」が運んできてくれた幸せとは、ここでは恋愛の成就である。そして、「木の実のなる下は天国の花園の香りです」という歌詞からイメージされるのは、とてもファンタジックでピュアな世界。桜田淳子のふんわりした天使みたいな雰囲気とマッチしていた。


淳子は「ピュアな世界」の住人である。だから山口百恵とライバルだと書き立てられれば、「仲のいい友達です」と泣いて抗議した。同期でアイドル歌手になったのだから、ライバルと見られるのは普通やむを得ないことであるが、淳子にとっては自分から見た世界の方が重要である。
天国まで想像させる「幸福の歌」を歌う桜田淳子は、本当に幸せそうであった。身近な人間を上目遣いで見ている目ではなく、もっと遠くを見つめていた。
 

20年以上経って、彼女の「青い鳥」は神様だったのだということがわかり、私はなるほどなと思った。
チルチルとミチルが旅をしながら探していた「青い鳥」は、幸福という抽象化されたものである。同じように、桜田淳子が本当に探していたのは、恋愛の成就や仕事の成功といった具体的現実ではなく、神を信じるピュアな心。女優としての堅実なキャリアを捨てて信仰生活に入った淳子は、最初の歌の通りの運命を歩んでいる。
夫は、青い鳥探しの旅をしていて出会った”チルチル”である。そして思想信条を共にする同志。今では彼女自身が、統一教会と家族の「青い鳥」だ。いくら統一教会が「ピュアな世界」ではないと批判されようと、結束は固いだろう。信仰と家庭と愛の三位一体が、淳子の幸福である。


山口百恵のデビュー曲はぱっとしなかったが、次の『ひと夏の経験』のヒットで事実上、森昌子桜田淳子を抜いてしまった。そのまま差を広げ続けて大スターに上り詰め、人気の絶頂で引退、結婚するというドラマを演じ、今や生きながらにしてほとんど伝説上の人物である。


伝説の引き金となった『ひと夏の経験』は、「諦念の歌」でも「幸福の歌」でもない。目の前にいる「あなた」に向かって、「女の子の一番大切なものをあげるわ」と言い放つ「覚悟の歌」。「女の子の一番大切なもの」って何ですかと訊かれて、山口百恵は「まごころ」と答えているが、それがバージンであることは明らかであった。
その歌をにこりともせず、ひたと相手を見据えて離さない感じで中学3年生の女子が歌ったわけだから、インパクトがあるに決まっている。「汚れてもいい!」とか「泣いてもいい!」とか、そんな捨て身なことを微動だにしない目線で言われたら、言われた方は黙ってそれに従って責任とるしかないであろう。
近眼で焦点が決まってなくても、百恵のイメージは「見据える視線」であった。


貧しい私生児だった彼女が「一番大切なものをあげるわ」と決意表明した時点で、失うものはなかった。後は歌手山口百恵を燃焼し尽くして、母親と妹に楽をさせ、引退し幸せな結婚をするだけだ。目標を定めた完璧なセルフ・プロデュース。
三浦友和は、先生や同志ではなく最初から結ばれるべき相手として、繰り返し登場している。百恵+友和コンビの映画の本数は、足掛け7年で12本(百恵の映画で二人が共演してないのは、『エデンの海』と、三浦友和が年下役を演じるのに無理があった『野菊の墓』の2本のみ)。
それらの純愛映画はすべて、結婚の入念な予行練習であった。最初に覚悟を決めた人は、動きにまったく無駄がない。

回帰する選択

処女作には、その作家のすべてが出揃っているとよく言われる。後はそれを展開したり洗練させていくのであって、原型は処女作の中にあると。
最初に選んだモチーフ、最初に自己決定したイメージから、完全に離れて遠くに行ける作家はいないとも聞く。選んだモチーフ、イメージが決定的であればあるほど、ずっと後になって、思いがけない形で回帰してくる。それはおそらく、自分の意志でそのつど選択しているように見えても、何か見えざる手によって宿命的に選ばされているのである。


アイドルは、本人が作品だ。デビュー当時は「処女作」である。中3トリオは、ホリプロの「スター誕生」から出た同学年のアイドルとして常に比較されたから、一層それぞれの「処女作」性は際立ち、宿命にまで高められた。


三人は引退しても、その宿命性を人生においてきちんと背負ってきた。女子ならではの背負い方で。この先もおそらくそれは変わらない。
三浦百恵の視点はブレないし、三浦友和が彼女を裏切ることもありえない。「百恵さん」の覚悟を裏切ったら、ただでは済まないし。自分で自分の人生のシナリオを書いた彼女のこれからに、意外性は訪れないだろう。
文春の記事によれば、桜田淳子の夫は今無職だという。そして最近、一家揃って東京に引っ越した。物心両面で家族を支えていくつもりの彼女の芸能界復帰は、困難そうだ。でもまた『わたしの青い鳥』を聴きたいという人は多いだろう。世間のバッシングを受けても、「幸福の歌」を明るく歌う桜田淳子を見てみたい。


森昌子は、これからも上目遣いの女子生徒である。和田アキ子森昌子カップリングで曲を出す話が進行中という記事を週刊新潮で読んで、その確信はますます強まった。
周囲に煙たがられて取巻きがどんどん少なくなり、CDの売り上げも芳しくない和田アキ子。彼女が、本格復帰した森昌子を子分、いや生徒のように可愛がることは必至である。そして森昌子はその庇護を受ける。再び芸能界で生きていくためには、デュエットの相手が見上げねばならないアッコ姐さんでも諦める。
最初の歌は、忘れていても必ず回帰してくるのだ。

 
‥‥と他人のことをあれこれ書いてきて、ふと自分の21年前の最初の個展の作品を思い出し、今ぞっとしたところである。
私は一昨年”引退”するまで、美術方面で細々と活動していた。処女作は、コンクリートのあちこちから番線や鉄筋が突き出ているインスタレーション。そういう作品からスタートした理由はいろいろつけられるが、今思うと結局のところ、なんか荒々しくて痛そうな感じにどうしてもしたかったとしか言いようがない。痛そうと言えば、最後の作品にはピストルの映像が出てきた。


いったいこれらは何を意味するのであろうか。これらとあのことは宿命的に関連づけられるのか。荒々しくて痛そうな最初と最後の作品。「狂犬」及び夫との取っ組み合いの喧嘩(痛い)‥‥。
宿命とは悪い冗談のことではないだろうか。


(初出:2005年5月・晶文社ワンダーランド)