ある夜の出来事

つい数日前のこと。夫から後で聞いた話。
その夜夫は友人と遅くまで飲んで、深夜2時近くに駅からタクシーで帰宅した(私は既に寝ていた)。夫がタクシーを降り家に入ろうとすると、道路の反対側に停まっていた車から降りてきた女性に「すみません」と声を掛けられた。
「あそこで人が倒れているんですけど。さっき警察に通報したんですけど」
指された方を見ると、10メートルほど先の路上に若い娘が突っ伏していた。
夫は傍まで行き、「ちょっと、大丈夫か」と話しかけた。反応がないので「おいおい」と言いながら軽く揺すってみた。すると彼女は目を開けて起き上がり、「あ、すいません」と言った。
「ちょっと酔ってしまって」
「あんた、家どこ」
「ここです。どうもすいませんでした」
彼女はそう言って、すぐ前の家にスタスタと入っていった。どうやらそこの家のお嬢さんだったらしい(親御さんは知っていたがお嬢さんの顔は知らなかった)。


やれやれと思いながら、車の女性に「なんですぐ起こしてやらなかったの」と言い、女性が「どうしていいかわからなかったので」などと言っているところに、パトカーが来てしまった。
そこで夫が警察官に事情を話していると、外の気配に気づいたのか、さっきの娘さんが出てきた。どうも飲み会の後で友達に家まで送ってもらったのだが、車を降りたとたんに睡魔に襲われ、そのまま路上で寝てしまっていたらしい(そういうこともあるのかなぁ、泥酔していると‥‥あ、あるわ。←遠い記憶が蘇った)。
車の女性はたまたまそこを通りかかった人。あわてて警察を呼んでしまったようだ。それでも不安で夫に声をかけたと。


そんなこんなで夫は家の前でタクシーを降りてから10分以上経って、やっと家に入れたのだった。
夫曰く、「人が倒れてるんですけど、じゃないよなぁ。まず声をかけてやらなあかんだろ。具合が悪いのかもしれないし。警察呼ぶ前にそっちが先だろ。順番間違っとるよなぁ」。
車で通りかかった女性はなぜそうしなかったのだろう。
たとえば倒れている人を見て、なんか「事件」かもしれないと思った。下手に手を出したらマズいかもしれない。というか、知らない人に自分が直接関わるのに抵抗が。でもほっとけないし。じゃあ警察‥‥。そんなふうに考えたのだろうか。
倒れているのがヤクザ風の男だったりしたら、私も躊躇うかもしれない。変に声をかけて「なんで気持ちよく寝てるところを起こしたんじゃあ!」などと逆切れされたら怖い。しかし相手はごく普通の身なりの若い娘さんだった。


秋葉原の事件以降、ネット上の自殺予告や殺人予告の書き込みについての通報が急増したらしい。実際警察が出動しているケースもあるようだ。「死にます」「殺す」に「ちょっと待て」と言葉を掛けるよりは、警察に通報。
どこの誰ともわからない人間に関わってトラブったり、逆に刺激しちゃったりするより、さっさと公の第三者に任せた方が安全ということだ。書き込んだ側は誰かの「ちょっと待て」を期待していたかもしれないが、そこまで考えて親切に介入できる人はそんなに多くはないと思う。
でも目の前で起きていることについては? 第三者が必要かどうかの状況判断は、普通の大人ならできる。それが混乱してしまうのはなぜだろう。判断を他人に委譲し、人と直接的に関わることを避けたい気持ちはどこから来るんだろう。