先生のお気に入り(続・伴奏者)

中学校の地雷

中学に入って最初の担任は、50がらみの金縁メガネをかけた音楽の女性教師だった。ちょっとしたことでヒステリックに怒り、一旦怒るとしばらくツンケンしているので、みんなビクビクしていた。
しかし早々に音楽方面に志望の決まっていた私は、明らかに依怙贔屓されていたと思う。


その中学は毎年、学生合唱コンクールに出場しており、先生は指導に大変に熱を入れていることで有名だった。コンクールの優勝に全人生を賭けているような人だった。
2年になって担任も替わった年の秋、呼び出され伴奏をしなさいと言われた。私は合唱部ではなく、読書部である。しかし絶対に断らせない雰囲気。その雰囲気に気圧され、しぶしぶそれを引き受けた。またレッスンそっちのけで練習しなければならない。
それで始めたのだが、ひょんなことから私以外にあと二人、同じように伴奏を頼まれた生徒がいることがわかった。つまり、三人に練習させておいて、後で一番上手な人を採用しようという魂胆。別に私を信用して頼んだわけではないのだ。小学校のS先生のように賭けに出たわけでもない(前記事参照)。
そうならそうと最初に言えばいいのに。なんかイヤらしいやり方だなと思った。


ピアノの先生は、「そんなもの断れば済むこった」と言った。
「レッスンが忙しいからやめますと言っとけ」
そんな簡単に言うのは、あの先生の恐ろしさを知らないからなんだよ。
悩んだが、別に宿題でもないのだから、我慢してやらなきゃならない義務はない。数日後思い切って職員室に行き、丁重に辞退を願い出た。先生は、
「あ、そう。じゃ楽譜返しなさい」
とだけ言って、それで済んでしまった。
キラッと光った眼鏡の奥の目がちょっと怖かったが、何を言われるかとヒヤヒヤしていたので、とりあえず安堵して帰宅した。はあ肩の荷が降りた‥‥。
ところが、コトはそうは簡単に運ばなかった。私は地雷を踏んでいたのである。次の日から、先生の私への嫌がらせが始まった。


嫌がらせというより、それはイジメであった。
音楽の時間、いきなり「大野さん、伴奏しなさい」と言われた。
「あなた、初見に強かったでしょ」
絶対に断らせない雰囲気。仕方なく頑張って弾いた。先生は指揮である。少し間違えると怒号がとんだ。
「伴奏が早い!」
「そこはフェルマータ!どこ見てるの」
ピアノレッスンなの?これ。空気がピリピリして、他の生徒たちは強ばっていた。こういう時に「イジメじゃないですか、先生」と声を上げる正義感の強い女子も、「おい先公、いい加減にしろよ」と言ってくれる頼もしい不良男子もいないのである。


その後、生徒相談室に呼び出しをくらった。
そこで延々と、誰に入れ知恵されて断ったのか、これまで何かと目をかけてやったのに断るとはどういうことか、あなたのためを思ってやらせていたことがわからないのか、あなたのためにいろいろしてきた私の好意と誠意をどう思っているのか、こんな恩知らずの生徒は私の教員生活で初めてだ、あなたには本当に失望させられた、などといろいろなことをネチネチトゲトゲ一時間近くも言われた。
私はほとんど一言も口がきけなかった。蛇に睨まれたカエル同然。半泣きである。
先生に一旦目をつけられるとエラい目に遭うというのは、生徒間では密かに知れ渡っている話であった。
先生に特別扱いされていた私だけが、そういう情報に疎かった。

"報復"が怖い

その後の音楽の時間も同様のイジメが続き、私はとうとう登校拒否になった。学校に行きたくないと言い張って泣き、親は困り果てていた。
私はやはり打たれ弱い、我慢のきかない子供なのであった。それにすぐ泣くというのが、自分でも情けない。
最初私は、「これは教育を越えた生徒へのイジメだ」とはっきりとは認識していなかった。「なんかこの人とんでもなく怒ってる、どうしよう」という恐怖が、先に立っていた。
何をどう言い訳しても決して受け付けてもらえないような、私には理解不能な大人の怒り。それが、突然一身に降り掛かってきて私を責め立てている。ただ怯えるだけである。
やがて、こんな目に遭わされるのは「反抗」したからだとわかった。目をかけた生徒が自分の「好意」を無下にしたということが、その先生にとっては許し難い「反抗」なのだ。この私に逆らうとは何事だ、というわけである。
こっちは逆らっているつもりはないのだが、先生には通用しない。


親がその時の担任に相談し、担任が教頭に相談したため、教頭と担任が揃って家に来た。どうやら先生は、以前にも生徒との間でトラブルを起こしたことがあったらしい。今回のことは厳重注意するので、安心して登校するようにとのことだったが、受け入れることができなかった。
私の意思表示に、あの先生は恫喝でもって応えたのである。あのイジワルな顔は二度と見たくない。声も聞きたくない。もうあの中学の敷地内にも入りたくない。先生に会わなくて済む場所ならどこでも行く。
担任は説得にかかったが、私の頑なな態度に無理強いしてもしょうがないと思ったのだろう。隣の学区の中学に転校ということで、事態は収まった。親も、このストレスでピアノのレッスンにまで影響が出るくらいなら、と考えたらしい。その3ヶ月後に今度はピアノをやめることになるとは、その時思ってもいない。
もちろん転校することは"極秘"だった。先生の耳に、噂が前もって入ることだけは避けたい。そんなことになったら、また何をされるかわからない。事情を知っていたのは極一部の教師と親しい友人だけ。
私は中2の二学期の途中で、「お家の事情で」突然転校していった変な生徒になった。


1週間くらいして、前の学校のクラスメートと会った。
その話によると、先生は音楽の時間に一人一人を順番に指名して、
「大野さんがどうして転校したか、知っているでしょう、言いなさい」
と詰問したそうである。先生は教頭から話を聞いたはずなのに、わざわざ私のクラスメートに当たったのだ。知っていても、先生に面と向かって言えないであろうことは承知で。
鳥肌が立った。もちろんその時ワケを知っていたのは女子約2名だけで、彼女達は私との約束通り口を割らなかった。
少し経って、また友人が新情報を教えてくれた。
「○○(先生の名字)、すごく優しくなったよ。全然怒らなくなった。信じられる?」
そりゃ「厳重注意」が相当効いたんだと思うよ。
私の転校は、先生への「罰」となったのだ。ちょっと悪いことをしたのかとも思う。かといって、あの時我慢して登校したり、正面きって闘うという選択肢は、私にはなかった。


担任にもっと早く相談していれば、転校までしなくてよかったのかもしれない。
しかし私は先生の"報復"を怖れた。いくら何でもそんなことを中学の教師がするはずはない、というふうには、その時は思えなかったのである。

「あなたのため」

先生は、音楽教育に全精力を捧げている人であった。1年で担任になった時、私が音楽志望と知って、「この子は3年間私が面倒をみる」と思ったのだろう。
実際、先生は私を地元のジュニア・ピアノコンクールに2回ほど出場させた。私のピアノの師匠は、まだそういう場に出るのは早いという考えであったから、私はあまり気が進まなかった。しかし、ピアニストになるなら今からこういう場を踏んでおかないとね、と言うやる気満々の先生に、どうしても逆らうことができなかった。
先生と私を、クラスメートは遠巻きにしていた。誰もが敬遠している先生から依怙贔屓されるような女子は、あまり近親感を抱かれない。
数少ない友達でさえ「大変だよねえ」と同情はしてくれるが、同時に「しょうがないんじゃない?」という醒めた意見なのだった。


教師と生徒の間には、「階級差」がある。いくら反抗のポーズをとってみたところで、権力を握っているのは教師である。
先生がいかに頼りなくても「友達」みたいでも、厳然たる権力関係が崩れたら成り立たないのが、学校という場所。教師と生徒の年齢差が大きい小・中学校では、とりわけそうであろう。だから生徒にとって先生は常に「あっち側の人」だ。
そういう環境の中で「先生のお気に入り」は、他の生徒から見れば「あっち側」に取り込まれた、あるいは取り入った人。完全に「こっち側」には入れない人である。
ちょっと気に入られたばかりに、こっちがパスできないところを、悠々とパスさせてもらえている。うまいことやりやがって。そういう視線で見られるのである。


教師と生徒という関係だけであれば、
「あの先生、ウザいよね」
「だよねー。もう最悪」
「ねえ見て見て。似顔絵描いた」
「キャハハ、似てるー。ヒゲも描いちゃえ」
などと盛り上がれるのだが、「お気に入り」はその輪に入れない。「気に入られた」と言うより「絡めとられた」といった、微妙につらい立場。
そういうしんどさもまた、生徒達は直感的に察知している。だから「しょうがないんじゃない?」と「大変だよねえ」が同時に出て来るのである。


「お気に入り」になったからといって、「階級差」が消えることはない。それどころか、もっと緊密で強力な権力関係が生じる。そこでは、生徒に向かって「あなた(君)のため」という言葉がしばしば出る。
あなたのためを思って言っているのです。あなたのために、厳しくしているのです。だからあなたもそれに応えて。私を裏切らないで。これは「母親」の言葉だ。
「あなたのため」で相手をがんじがらめにする人は、そのことを通して「自分のため」を成就させんとする。先生は典型的に強権的な母親タイプであり、先生の私に対する態度には、そういう「業」が感じられた。私もまた、「業」をキャッチしてしまうような絶妙のポジションにいたのだろう。
もし私が男だったら、先生はあそこまで強権を振るわず、私はあそこまで先生を怖れなかったかもしれない。先生の恫喝がヒステリーなら、私の転校もヒステリーである。
よく「母のように慕っている(先生)」「娘のように可愛がっている(生徒)」と言うが、そこに「反抗」が現れたらそんなことはきれいごとは言ってられまい。一旦拗れたらヒステリーの応酬だ。そのことを、私は13歳で悟った。
それ以降、私は「女の先生」を無意識のうちに避けるようになった。


しかし自分が「女の先生」になってから、私の中でも極たまに「業」が顔を覗かせることがある。
「あなたのため」と決して口には出さないが。