「世界のはて」10/25の記事コメント欄を読んで考えたこと

それは「性的視線」というよりも、「異性をモノ扱いする視線」ではないかと思った


異性をモノ扱いしたいという欲望そのものはある。
見知らぬ異性を、外見で無意識のうちにランク付けすることもある。
そんなことはあってはいけないと言って、なくなるものでもない。人の欲望なんて自分勝手なものだし、人はとんでもないことを妄想できる動物であって、問題は、それを言葉やふるまいに反映させてしまうのか、しまわないでおくのかということだけである。


男は女からのいかなる(性的)欲望視線も怖がらないのではないかという意見について、ではたとえば自分がやおい小説の主人公に想定されたらどうなのか?という意見が出た。で、それはやはり嫌だという話になった。
ここには捩じれがあるのではないか。「男から女へ」を考えたら、「女から男へ」を考えるのが普通ではないか。


女から男へのレイプやセクハラや「体目当て」の付き合いが、男から女に対するのに近いくらい多かったら、男も女の欲望視線を怖がるだろう。そうでないから、怖がらないだけだ。
そこに、やおい小説の男が男に犯される/犯す話で女が萌えるという、セクシャリティの位相の違う話をぶつけてくるのは、おかしい。
その想定が有効なのは、腐女子ヘテロの男と同数に近かった場合に限ってである。そしてそんなことは(今のところ)ないのである。
だから、欲望視線に晒される恐怖は女のものだ、そこでは男女は非対称だと私はずっと言っているのだが、なんか話がずれている(というか、どこに行こうとしているのかわからない)。


男は女の恐怖を想像できず、女にモノ扱いされる恐怖を自覚できないから、女に欲望視線を投げかけるのではない。想像、自覚できても、あるいは何の悪気もなしに、投げかける人は投げかけるのだ。
むしろ、女に「配慮」を見せるような男がそういうボロを出す場面を、私はウェブでもリアルでもしばしば見てきた。男の性とはそういうものだと言って、殺伐と希望のない話を終えることもできる。
しかし、想像、自覚できなくても、女の欲望視線歓迎の非モテでも、たとえ心の中でとんでもない妄想を膨らましていたとしても、しない人はしないのだ。なぜそういう違いが出てくるのかを考えた方がいい。


●追記
腐女子について、第三節目の記述に誤りがありました。やおい視線は現実の男性にも向けられるという前提で書いていますが、やおいは二次元ですので、腐女子が現実の男性に侮蔑と欲望の性的視線を送る(こともありうるだろう)という設定は間違っています。従って、腐女子ヘテロ男性の人口比でもって反論したのは、無意味です。コメント欄(07/11/20追記:復元不可能)のイカフライ氏の御発言と烏蛇氏の御発言を参照して下さい。