ヒステリーを起こす側と起こさせる側

ねえ、答えてよ!

今日私は、久しぶりにヒステリーを起こした。
午後、仕事が休みの夫がふらりとどこかに出かけ、小一時間ほどして帰ってきた時のこと。普段なら「どこ行ってたの?」とわざわざ聞かない。パチンコか本屋か喫茶店くらいしか行くところがないのは、よく知っているから。いつものことだ。しかしその時はなんとはなしに訊いた。
夫は、そういう質問に答えるのが面倒な時は答えない、非常にものぐさな人である。私の言葉遣いに咎めるような調子がある時は、特に答えない。
その時は別に咎めるような調子ではなかったはずだが、よほどめんどくさかったか、疲れていたのか、聞こえないふりしてやりすごそうとした。私も普段なら「あーまただよ、しょうがないな」と思い、自分の用事に戻る。
しかしその時はなぜか、どうしても答えさせたいと思ってしまった。それで私は夫のすぐ傍まで寄って、同じ質問を繰り返した。
「どこ行ってたの?」
「‥‥」
「ねえってば」
「‥‥」
「ちょっと。どこ行ってたのって訊いてるの」
「‥‥」
「なんで無視するの、人が訊いてるのに」
「‥‥」
「答えてよ、どこ言ってたのよ」
「‥‥」
「ねえ、訊いてるでしょ、どこ?」
「‥‥」
「どうして答えないの、いい加減にしてよ、ねえねえどこってばー」
「‥‥」
「こら!答えろよ! 答えるまで離さないからねっ」
「‥‥」
「どうしても答えないなら、こうしてやる!」
「いたい」
「じゃあ答えてよ! 答えるだけじゃん、なんで言えないのよ!」
「‥‥」
「答えてよ!私が訊いてんでしょ、答えてよ!何でもいいから答えてよー!!」
「大声出すなて」
「出させているのはそっちでしょ、答えて!ねえ!どこ?どこ?どこ?パチンコ?パチンコでしょ?本屋?喫茶店?ねえどこ?!」
「‥‥どこでもいいだろ」
「なに?! どこでもいいだろってどういうこと?こんなに訊いてるのに!答えるのが普通でしょ、答えないっておかしいでしょ?」
「もうやめ‥‥」
「いやだ!答えてよ!ねえ答えてよ!お願いだからぁ!私が訊いてんだからぁ!普通に答えてよう!!」
「‥‥」
「くそ、もう、答えるまでずっとこうしてるから!」
「‥‥」
「あ、あんた、私をもっと怒らせたいの? こういうことされたいの? ねえそうなの? ねえええ!!」
「‥‥」


別にコントではない。なんかのプレイでもない。犬も喰わない夫婦喧嘩、というか喧嘩以前の阿呆なやりとり。
私も意地になっているが、夫も意地になっている。こういうことをこれまで何回もしているから、それはお互いわかっている。いい加減にしておこうと思いながら、どちらが折れるかで、意地を張っているだけだ。
私が訊けば訊くほど、喚けば喚くほど、北風に吹かれてコートの胸をしっかり掻き合わせる旅人のように、夫は目をしっかり閉じてしまい貝のように口を閉ざす。
いや完全に閉ざしているわけでもない。「本屋」(数分後にやっと答えた)と一言言えば解放されるのに、「いたい」「大声出すなて」「どこでもいいだろ」「もうやめ」と四語も無駄な言葉を発して、それでますます私を逆上させている。「逆上した妻」というのを、倒錯的に楽しんでいるのか? そんなことで楽しまないでほしいよ。


おそらく彼にしてみれば、ささいなことを問われて答えねばならないという状況を、わざとスルーしてみたかったのだろう。そこにしつこく被せられて、「訊かれたら答える」という関係性を無理矢理押し付けられることが、鬱陶しかったのだろう。一言で済むのにあくまで答えないのは、そういう状況と関係性の拒否である。
しかしその態度は、他愛無い日常会話で成り立っている親密な関係性というものを、あまりに軽視しているものだと私は考える。それだけでなく、「自分が答えるのが面倒な時は答えないで済ます」という一方的な関係性の押しつけであると。


私は問いに対する正確な答えを求めているわけではない。ただ応答がしたいだけ。なにも「私のどこが好き?」と訊いているわけでもない。
「どこ行ってたの?」
「うん、ちょっとディズニーランド」
「あ、そう」
でいい。
「どこ行ってたの?」
「コロ(飼い犬)の小屋で寝ていた」
「ふうん」でOK。しょっちゅう
「もう帰ってきません」
「どうするの?」
「ホームレスになる。じゃさようなら」
「さようなら」というやりとりで済んでいるわけだから。
私の家では、会話の半分はそうしたものである。親密圏における日常会話の七割は、してもしなくてもいいような内容だろうと思う。だからこそ逆に、それを強制されていると感じると、拒否したくなるのかもしれないが。
まあともかく、噛み合わない時は徹底的に噛み合ないのをわかっていて、それをどんどんこじらせるという性癖は、私の方に強い。ヒステリー者だからかもしれない。

分析の先は

ヒステリーを起こすのは、一般に女性であると言われている。「ちょっとしたことでキレて感情剥き出しになりキーキー喚き散らす女」というイメージが、ヒステリーという言葉には貼り付いている。
ヒステリーはフロイトが研究した神経症の一種であるが、世間一般ではそうした精神分析の文脈から離れて、人の、特に女性のある特異な状態を指して揶揄するのに使われている。ヒステリーおばさん。ヒステリーばばあ。ヒステリーおじさん、ヒステリーじじいというふうには、あまり使わない。


ヒステリーと女性学を結びつけて研究している知人の知見では、ヒステリー者は相手を「主体」と看做すことで、自分はその欲望の対象=「客体」となるという。
つまり答えを持っているのも責任を負うべきも相手であり、自分は副次的な存在である。そこからヒステリー者の存在様式は「女」ということになる。「女」というのは、生物学的な女ではなく、受動態の別名としての「女」。だから男もヒステリーになることはある。
ヒステリー者はもちろん自分がそうした位置にあることに違和を感じ、常に相手に疑問を投げかける。答えを持っているであろう責任主体に、問わずにはいられないのがヒステリー者である。
その疑問が社会的、政治的になされる時、重要な問いとなることもある。すべての被差別者の差別者への問い、弱者の強者への問いはヒステリー的であり、革命もテロも一種のヒステリーだという言い方もできる。フェミニズムもそうだ。
石原慎太郎に対抗した立候補者達は、石原慎太郎を「主体」と看做し、その「責任」を糾すヒステリー的な問いを発していたのである。


ただ、ヒステリー者の問題は、疑問を投げかけるという立場を手放さなず、それによって相手との関係を維持し、関係の固定化に自ら加担してしまうところにあるという。問いただすという体裁をとりつつ、相手との関係性が変化することを拒み、むしろそこに依存していくのである。
そこで疑問は、疑問以上のものに発展することがない。ヒステリー者は「問う者」であることをアイデンティティとするので、相手との関係を失っても、また別の同様の関係を求めて彷徨う。


ヒステリーは、言語に症候的に現れるという。
件の知人の話では、発話に「私は〜」という主語が多いという現象が見られるらしい。ある事象なりそれらの分析なりに対し、常に「私は〜」と言わないではいられない、「私」を中心とする発話形式。
これは、その言説に責任を負うための言わば「文責」としての「私」とは異なっているようだ。ではなく、「あなたは、他人は、状況は、社会はそうかもしれない。"でも"私は〜」の「私」。あなたや他人や状況や社会を一方に立てて、それに疑問を投げかける者としての「私」なのである。ヒステリー者は一人称を手放すことができない。私がそうだ。


さまざまなウェブログのコメント欄や掲示板などを見ると、ヒステリーを起こす者と起こさせる者がいる。
ヒステリー者はいつも疑問を投じる者、あるいは反論者として現れる。時には相手を明確に「敵」と看做している。
一方、意図的にヒステリーを起こさせる者の言説は、煽りという形をとる。
煽りに乗らないで内容だけに反応するという忍耐が要求されるが、そこまで煽る意図がどういった防御から来るものかを逐一あげつらうという方法もあるかもしれない。消耗するだろうけど。


しかし意図せずして、つまり無意識のうちに相手にヒステリーを起こさせてしまう側というのは、私から見ると、ヒステリー者の疑問を疑問として受け取っていない。それらの疑問はあらかじめ織り込み済みであり、ヒステリー者の疑問を脱臼するメタ的言説によって、ヒステリー者をますますヒステリー化する(ように見える)。
ヒステリーを起こさせる側に、瀧澤氏の言うような攻撃誘発性=ヴァルネラビリティを見ることはできない。ヴァルネラビリティはむしろヒステリー者のものであり、それの反転としてヒステリーが出るのではないかと思う。


ヒステリー者が対象との関係をリセットするのは困難らしい。では、対象の分析者となればいいのだろうか。それは、ある程度は効を奏するかもしれない。不毛なヒステリーの再生産を回避し、相手の言説の依拠する何らかのフレームを明らかにするという意味では。
しかし、分析の後には何があるのだろうか。
たとえば差別について分析することで、すべての差別が消滅するのだろうか。
資本主義社会を分析することで、資本主義社会が変容するのだろうか。
夫を分析することで、彼が変わるのだろうか。
変わるわけないよな。変わるわけないと結論を出しつつ、言語化しないではいられないとはどういうことだろうか。
これがヒステリーのヒステリーたる所以なのだろうか。
それとも単に書くことで相対化したいだけなのだろうか。
いや書くことでますます対象を確固たるものにしてないか。


という疑問だけでそれ以上発展しないのが、ヒステリー者だ。もう、本当にやっかい。



●追記/夫が口を閉ざした理由
今日、彼は久しぶりにT氏の店に行くと言って出て行った。私も誘われたが、仕事中だったので、一時間半くらい後で行った。彼はややあって知人と別の店に行き、私はそこに残って飲み友達のトモコさんという年上の女性と飲んでいた。
夫の話になり、「そう言えば昨日、どこに行ってたかなかなか口を割らなくてヒステリーを起こした」という話をしたら、T氏とトモコさんが口を揃えて言った。
「あ、先生はね、パチンコ行ってたんだよ。そこで三万くらいスったらしいよ。今日一万取り戻したって言ってた」


ああそう。そういうことだったのか。パチンコでスったから機嫌が悪く、「どこ行ってたの?」に答えたくなかったのか。ていうか、なんで妻の私がそれを知らなくて、友人のT氏とトモちゃんが知ってるの。
言えばいいのにと思った。言いたくなかったら、さっさと嘘つけば済むことじゃないか。嘘つきたくなくて、黙ってたのか、私が怒ると思って。でも最終的には嘘ついたよな。