煩悩写真

どこで見たとは言わないが、こちらでリンクした先について「20年くらい前の写真」と書かれてもうた。あれが29歳って‥‥あんまりじゃありません? せめて「10年くらい前」と言われれば若く見られたと喜ぶが。
20年も昔の写真を出したら、何度か会っている担当の人にも、ここを見ているリアルの友人知人にも呆れられる。10年前だってもう顔が違う。リアル知人にもゴマカシの効くのは、たぶんせいぜい4、5年前まで。
まあ無駄に正直に書くと、あれは去年のじゃなくて二年半ほど前のなんですけどね。そのくらいのサバは読ませてくれ。


同年の友人の美容師にこの話をしたら、
「私なんか、40の時の写真今でも使ってるよ」
そんなの当たり前だそうです。
「今度写真が必要な時は私に言いなさい。文句なしの美人に作ってプロのカメラマン呼んで完璧に仕上げてあげるから」
元が元だから無理です。実物よりちょっとだけマシに見える程度でいいですわ。
ただその「実物」が問題だ。自分の認識している「実物」というのは、他人の見ている実物よりマシであることが多い。油断しているところを撮られた写真や、ふとウィンドウに映った自分の顔に、ギョッとするのはそのためだ。
私はそんなことはありません? 40も半ばを過ぎるとそんなことばかりなんですよ。
自分の中の自惚れ鏡に映った自分と、実物とのギャップがある。だから自惚れた「実物」より「ちょっとだけマシ」となると、他人が思っているよりかなりマシということになりかねない。


そう言えば、素人の女性をサロンで「変身」させ、まるでモデルか芸能人みたいに撮る商売が流行っているというのを、前テレビでやっていた。
もう想像以上の変わりようだった。ヘアやメイクのせいももちろんあるが、大きいのは写真の撮り方だ。細かい皺や微妙な凹み、つまり老けてみえる陰影が全部飛んで、目に星が入っている。40近い人が軽く20代半ばくらいにはなる。美人度も五割り増しで上がる。
あの写真、どういうところに使うのだろう。やっぱりお見合いか。実物とギャップがあり過ぎて困るのではないか。それとも額に入れて部屋に飾っておくのだろうか。少なくともその部屋に人は呼べまいな。


週刊文春をめくっていたら、直木賞作家の桜庭一樹が対談ページに載っていた。30代後半にして少女のような可憐で清楚な風貌だ。文藝春秋の広告で川上未映子のカラー全身写真が載っていた。しゃがんでいるポーズだけど、スタイルがいい。フォトジェニックな人よね‥‥。
って私よりずっと若い人のことは、この際どうでもよかったわ。問題は同世代から上の中年だ。
林真理子の講演会の広告とともに顔写真が載っていた。この人は作家デビューした時と比べると、格段にきれいになっている。昔はブスでデブの代名詞のように言われていたが、もう美人と言っていい範疇だ。それに、とても50代半ばにさしかかる年齢には見えない。メンテナンスに力を注いできた成果だな。やはり金の力か。


まったく、ちょっと写真を出しただけで人の写真が気になってしょうがない、煩悩まみれの自分が厭になる今日この頃。
40代後半の時の写真は、何歳頃まで使っていいのだろうか。