本音と自滅の時代

「本気の時代」- 消毒しましょ!でAntiSepticさんは、東浩紀大澤真幸呉智英を援用し、「理想の時代」の終幕を告げる三島由紀夫の割腹自殺(1970)という「本気」と、その後の「虚構の時代」(呉智英の言葉では「実務の時代」)にオウム真理教団というかたちでゾンビのごとく蘇った「本気」について述べている。いずれもまったく見当外れのハタ迷惑な「本気」であったと。
というより、「本気」というものそれ自体が「狂気」と紙一重であり、何らかの勘違いの上に発現していると言っているようにも読める。


三島由紀夫とオウム麻原の「本気」は、「国家」を巡るものであった。そのフレーム抜きで、彼らの「本気」は語れない。
市ヶ谷駐屯地の自衛隊員に蜂起(実質クーデター)を呼びかけた三島は、日本国憲法と戦後の天皇制に疑義を唱え、理想の天皇を中心とした国家を夢見ていた。
三島由紀夫は「本気」の価値を証明しようとしたのではなく、「本気」の時代が終わりつつあることを証明しようとしたのではないか」という呉智英『健全なる精神』の一文が引かれているが、彼(三島)は「檄文」で戦後日本の経済的繁栄による精神的堕落、「愛国心」の欠落を憂いていたのだから、むしろ彼の考えるところの「本気」の時代ではないとの認識の中で、あえて「本気」を演じてみせたのではないかと思う。それが周囲には滑稽なアナクロニズムにしか映らなかったという事実が、「「本気」の時代が終わりつつあること」の「証明」にされたのだ。
オウムは天皇を含む皇族、官僚、政府要人なども狙うテロを目論んでいたとされ、国家転覆とその後の教団による日本国支配が目的だったことは既に何度も指摘されている。ベクトルは異なるが麻原も三島と同じく、議会制民主主義と憲法に支えられた戦後日本の国家のあり方に、「外部」から対抗しようとしていたということだろう。
縮めて言えばどちらも「反近代」だ。だから勘違いとして嘲笑されたり非難されたりしたのだ。


三島由紀夫とオウムが引かれている時点で、「本気」とは天下国家を「妄想」的に構想し、その構想を現実へ短絡させようとするベタマジな態度のことを指す。それはある意味、「国家」という概念に積極的に関わろうとする原理主義的姿勢である。本人達以外にとっては場違いだったりハタ迷惑だったりするその積極性が、「本気」という言葉に置き換えられているわけだ。


‥‥と解釈して読んでいったら、記事はこのように締めくくられていた。

先日起きた悲惨な事件が、「現実社会とすごく素朴に向き合」うことに挫折し、かといって「幻想のなかに閉じ籠もろうとする」ことも出来なかった人間の「本気」などではなかったことを望むばかりである。


「本気の時代」- 消毒しましょ!


「現実社会とすごく素朴に向き合」うのは、東浩紀-大澤真幸言うところの(60年代までの)「理想の時代」の態度、「幻想のなかに閉じ籠もろうとする」のはその後の「虚構の時代」(呉智英の言葉では「実務の時代」)の対応と捉えていいと思う。*1そして秋葉原の事件の殺傷犯は、どちらも選択できなかった人間だったと。
無差別殺人にまで至らなくてもこのような人は潜在的に多いだろうし、これから増えるだろうと私は思う。「虚構」に戯れることで現実と直面するのを先送りできる時代も、「理想」ではなく「実務」でみんなが幸福になると信じられる時代も、実質終わっている。


では彼の行為は、三島やオウムに続くこの時代の「本気」の象徴的現れということになるのだろうか(「ではなかったことを望む」とは書かれているが)。しかしそこに現行の「国家」への憎悪は読み取れない。国家概念に関わろうとする「積極性」も「原理主義」も見られない。
今のところ読み取れるのは、「国家」へのではなく、自身の不遇な人生への嘆きとその反動としての社会への怨嗟である。それが無差別殺人に至る「本音」だったことは間違いないようだが、行為の内実は、天下国家を「妄想」的に構想し、その構想を現実へ短絡させようとするようなものではなかった。その意味で三島、オウムの文脈に連なるような「本気」とは違う。



一方、テロか、犯罪か<TOKYO WAR 2008・アキハバラ>- こころ世代のテンノーゲームでumetenさんは、「犯行としてはテロではないが、現象としては明らかにテロである」として、秋葉原の事件を「犯罪ではなくテロ」とする見方を示している。「これが犯罪であると願うなら、それは自らが日本という国家テロ(国家というテロル機械)に同化することを意味し、自分が殺す立場にいることを欺瞞的に忘れ去ることになる」と。
「象徴的」な場所での無差別殺人によって多くの人々に「精神的暴力」を振るう行為はすべて「国家テロ」へのテロだとするなら、この事件や池田小学校の児童殺傷事件だけでなく、オウムの地下鉄サリン事件も「犯罪ではなくテロ」と看做すべきだろう。オウムこそは明確に日本という国家を「敵」として全面対決の姿勢を顕示していたのだから。


私はテロリズムを、国家を暴力装置と看做しそれを代理表象するものへの奇襲をしかける行為、つまり「犯行」側の意図によって成立するものと考えるので、その意図が明確に読み取れない限り、秋葉原の事件をオウムと同等に看做すのはやや抵抗がある。「国家テロ」へのテロというわかりやすい構図は(そう断じてしまいたい誘惑にはかられるが)保留しておきたい。
むしろ誰にとってもどの場でもオンリーワンになれないことの孤独に耐えきれず、ついに最悪の(しかし最高に効果的な)方法で、社会から消える前に自己をオンリーワン化したいという「本音」を露呈させた「世界にひとつだけの花」症候群の自意識の逆噴射、と捉えたほうが私にはしっくりくる。


「世界にひとつだけの花」的価値観が、万人の万人に対する競争という資本主義的現実とは相反する戦後民主主義イデオロギーであるならば、彼の行為はそれに「外部」から対抗したものではなく、その「内部」での自家中毒の結果の「自爆」、というか「自滅」に思われる(その意味でも、自覚的に「外部」に立っていた三島由紀夫やオウムとは本質的に異なる)。
従って、彼を追いつめ暴発させた外的要因を格差社会の過酷な現実に求めるとしても、それだけでは足りない。個々の多様性を認めつつ頑張れば明日があるという努力を賞揚した戦後民主主義教育の「理想」こそが元凶だ、くらいのことは言わねばならない。「みんなちがって、みんないい」なら、なぜ自分はこんなに「いくない」のか?全部自分のせいなのか?という疑問に、その「理想」は答えていないのだから。



以下は蛇足に近いがついでなのでAntiSepticさんの記事に戻り、[追記]の一文について。

念のために言っておくと、「本気」=オウム=殺傷犯ではなく、仮に「本気」で社会に退治しようとするときの方法が人を殺すことだったとしたら、やりきれないし、何かが狂っているという話でやんす。


「本気の時代」- 消毒しましょ!


「退治」は「対峙」の打ち間違いかと。先の本文の締めくくりを読んだ後では、「仮に「本気」で社会に対峙しようとするときの方法が人を殺すことだったとしたら」で想定されているのは、秋葉原の事件の犯人を指しているように読める。pbhさんのブックマークはそれを前提にして書かれていただろう。


そのことを一旦別にして少しつっこむと、「「本気」で社会に対峙」するとは、言い換えれば現行社会システムなり国家体制なりと全面的に対決するということであり、その際「人を殺す」という手段に訴えるケースは、歴史を見れば普通にある。
フランス革命では殺戮に次ぐ殺戮でおびただしい血が流された。だがルイ16世他王侯貴族の処刑を「人殺し」だったと批判する人はいない。そうしなければ近代市民社会は到来しなかったのだから。桜田門外で大老井伊直弼が暗殺されたことを皮切りに、多数の死者を出したすったもんだの末に長い徳川封建制は終わった。ルーマニアチャウシェスク大統領は独裁制を覆そうとした革命軍によって夫人とともに銃殺された。
ある集団が「「本気」で社会に対峙しようとするときの方法」の多くは、「人を殺すこと」だった。強力なものに逆らうのに、柔な方法など取っていられなかったのだ。こうした例はあげればキリがない。


と言えば、そんな大きな歴史的事例のことではないという反論が返ってくるかもしれない。ならば文中の「仮に「本気」で社会に対峙しようとする」意志は、やはり秋葉原の事件の犯人のものと想定されているとしか読めない。
だが既に書いたように、もしそうだったらあれはテロとして捉えることができ、テロであればそこには曲がりなりにも個人的ルサンチマンを越えた、国家の暴力に暴力で抗する「大義」が自覚されているはずだ(まあそれは狭義のテロだと言われればそれまでだが)。
あの事件は、「自分は恵まれていない」という自暴自棄感が、「個人的なことは政治的なことである」というテーゼ=大義を迂回することなく、「自滅」的無差別殺人の遂行へ短絡したものだ。そこで「本気」は蒸発しており、ただ剥き出しの身もふたもない「本音」だけが晒されている。

*1:追記:ここは誤読。東浩紀が言っているのは、「現実社会とすごく素朴に向き合う」のと「幻想のなかに閉じ籠ろうとする」のは、「虚構の時代」の後(95年以降)の二極化した態度であるということです。元記事参照http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20080610/p5