赤名リカとAV女優、ヘアヌードが「破壊」したもの、「破壊」できなかったもの - その2

赤名リカとAV、ヘアヌードが「破壊」したもの、「破壊」できなかったもの - その1 の続きです。

1991年 ラブストーリーを見て女子が勝手に恋愛レートを上げた
1991年 そのぶん男子のためのヘアヌードが安くなった


実に分かりやすい。「恋愛」は結婚と同義に捉えてよい。「ヘアヌード」は広く売春を指す。何らかの形で性を売り物にして一過性の対価を得る行為すべてだ。対価を男に支払わせるための方策として結婚と売春は並立している。片方の市場が高騰したので、弾き出された参加者が大量に移動した結果、他方が暴落したのである。暴落と言っても直接に支払う金額が下落したのではない。本来は登録されなかった筈の銘柄が購入できるようになったという形で暴落したのだ。それが「ある日とつぜん、綺麗な女の子たちが、アダルトビデオに出るようになってくれた」理由である。


結局、結婚を諦めた女は身を売るしかないという悲しい現実が端無くもここに露呈している。変わったように見えて世の中そんなに変わってない。


なぜ「ある日とつぜん、綺麗な女の子たちが、アダルトビデオに出るようになってくれた」のか。- 消毒しましょ!


堀井憲一郎の書いた「そのぶん」を、結婚市場でレートを上げ過ぎて結婚にあぶれた女が大挙して性の市場に流入した、と”結婚という行き場を失った女の民族大移動問題”に還元しているのは間違い。*1 「結婚を諦めた女は身を売るしかないという悲しい現実」があるなどということは、この本のどこにも書いてないし、実際具体的な根拠も希薄である。そもそも90年代に結婚を諦めた女がこぞって自分の性の商品化に走ったなんて話は聞いたことがない。*2
昔から「身を売るしかない」女の「悲しい現実」とは、「結婚を諦めた」からではなく貧困のせいである。結婚できず親の資産もなく手に職もない女は、生活のために身売りするしかなかっただけ。


正しいのは、AV市場が拡大した分、スカウトも含めて若い女性がより多く入っていくようになり、相対的に「綺麗な女の子」が増えたという点のみである。市場拡大は堀井が書いているように、80年代のビデオデッキの普及が要因で、レンタルビデオ店の乱立によって拍車がかかった。
堀井が「そのぶん」で言おうとしているのは、従来のようにジェンダーを内面化して自然に「男に合わせる」ことのできる女性が減った結果、恋愛における男と女の意識のギャップが大きくなり、現実の女に幻想を見ることのできなくなった男は「綺麗な女の子」がたくさんいるAVやヘアヌード写真などの二次元に逃避した、ということである。因果関係は、堀井がこの本で繰り返し書いてきた、女の子が主導した恋愛事象が男に与えた影響において見るべきだ。


AntiSepticさんの結婚市場と性の市場の因果論によるAVに「綺麗な女の子」が増えた理由について、ブコメから異論を拾ってみた(便宜的に番号を振る)。
1. バブル崩壊前から綺麗な女の子は出てる
2. むしろ奇麗な女性はAVを芸能界への登竜門として積極的に参加しているのが現実
3. 整形技術と豊胸技術の向上
4. 結婚をあきらめた女性の年代と、アダルトビデオに出演し始める年代はかぶらない
5. 宮沢りえイノベーションを起こし、現役アイドルのヌード市場ができ、抵抗感が減った結果、市場で売れるために綺麗な子が増えた
6. エロがネットで簡単に手に入る時代、よっぽど可愛くないとお金を出さないという需要側の問題
7. 単純に市場の拡大


1については『エロの敵 今アダルトメディアで起こりつつあること』(安田理央雨宮まみ翔泳社、2006)が詳しい。それによると、美少女AVアイドルブームを作ったのは1984年の『ミス本番・田所裕美子19歳』(宇宙企画)。「こんな可愛い普通の女の子が本番を見せるのは、当時は衝撃的な大事件だった。二万本以上の大ヒットとなる」「これにより、AVの流れは一気に「美少女本番路線」への切り替わる」(p.94)。美少女ブームの後は”いんらん”ブーム、黒木香ブーム、巨乳ブームと続き、80年代後半にある程度のパターンが出揃ったようだ。90年代に入っては、ハメ撮り、盗撮などドキュメント性(時に事件性)の高い企画で、カンパニー松尾バクシーシ山下といった監督の個性が強く出てくるのが特徴。
2は飯島愛の成功後、希望が増えたようだが、実際の成功率は極めて低い。
3は90年代に美容整形がかなり普及したので関連はありそう。当該記事コメ欄にも「90年代くらいから事務所が金を出して女の子の顔を直して、それからAVデビューさせるようになった」との意見がある。芸能界と同じだ。
4はその通り。当時で女性が結婚を諦め出す年齢を仮に35歳とすると、美少女AVに出るような女性は10代終わりから20代初めのはず。5、6、7も極めてまともな指摘。


AV女優になった人の理由はどうだろう。以下wikiより。

AV女優になった人に理由を問うと、下記に大別しえる。
1. 金銭目当て(多重債務を抱えている場合もあれば、単なる小遣い欲しさでなる場合もある)
2. 性行為への好奇心や、自己顕示欲
3. 綺麗になりたくて
4. 風俗と違って、性病にかかる心配がないから
5. 風俗デビューのキャリアアップ
6. 芸能界に入りたいから(AV業界の明るいイメージ作りのため)


91年から96年にかけて42人のAV女優にインタビューした『AV女優』(永沢光雄、文春文庫)を読むと、業界に入ってくる理由は上の例のように実にさまざまな理由があることがわかる。インタビューに応じているのはもともと複雑な家庭環境の少女が多かったが、音大に行きピアニストを志望していた女の子もいる。借金を抱えていた少女もいれば、性暴力の被害者もいる。
経歴、考え方、語り口はそれぞれ違っているが、少なくともここからは、自己評価と男への要求が高過ぎて恋愛・結婚市場であぶれたので、同じく性を売るなら「結婚」じゃなくても「売春」でいいやと思ってAV女優になった、という理路は見えない。



91年の『東京ラブストーリー』に感動した巷のリカたちは、自分のレートを下げず男に「自分からは折れない」ことによって「幸せ」を遠ざけたと堀井憲一郎は指摘した。
だがドラマのリカが求めたのは、女ジェンダーを武器に使いながら男が選んでくれるのを待っているというそれまでのやり方で得られるのではないかたちの、男との関係だった。それに女性たちは深い共感を寄せたのだ。
そして、男がそんなものは欲しがっていないとわかって自分から身を引いたリカの決断も、女性たちは支持した。「自分で決める」と決意し行動した潔さを支持したのであって、「自分からは折れない」から、それで男より優位に立てるから良いと思ったのではない。「自分からは折れない」と「自分で決める」とは相当違う。


さて、『<美少女>の現代史』(講談社現代新書、2004)のササキバラ・ゴウによれば、80年代は各ジャンルで美少女商品が定着していく時代であり、少年漫画でもアニメでも美少女は主人公の少年のモチベーションを高める存在として欠かせないものになっていた。また「グラビアモデルの世界では、70年代の後半から「普通の女の子がヌードになる」ことが流行し、「激写」や「隣のお姉さん」というコンセプトの写真集がヒット」(p.134)した。
個人的な記憶を辿っても、美少女のヌードは80年代、写真集や写真雑誌、男性誌のグラビアに溢れていた。「女性は、処女性を保ち、聖性を掲げて」(堀井、p.135)いてほしいと願いながら、一方でその裸を見たがっていたのは男だ。「見たい」という需要があったからこそ、それらは供給されたのだ。


男に見られ欲望の対象となる「女」の身体。そこでは彼女たちは、徹底して受け身であり客体であり続けていた。しかしジェンダーと葛藤する「女の子の「意識」」(小倉)は、「女」としての自分の身体を、男の目を通さない形で再発見しようとする。
その中から、自分の体が一方的に「見られる」状態に抗して自ら「見せる」、それは「自分で決める」という意識が芽生えてくるのは当然だろう。
若い女性がヌード写真撮影を承諾する理由の一つに、「一番きれいな時の私を残したい」という欲求があるという話を聞いたことがある。これを単なるナルシシズムと嗤うことはできない。ここに潜んでいるのは、「私の体は私のもの。私の見せ方は自分で決める」という、客体に留め置かれる側のささやかな意志だ。


堀井が東ラブ - 赤名リカの振る舞いと同じく「破壊」だと言った宮沢りえヘアヌード写真集『Santa Fe』においても、ポイントは「自分で決める」であった。
撮影に際して宮沢りえの提案や希望を盛り込むべく、彼女と出版側や篠山紀信との間で何度も話し合いの場がもたれたという挿話を、当時いくつかの雑誌や週刊誌で見た。それがどこまで確かなことかはこの際関係ない。重要なのは、アイドルの少女が自分のヌード撮影の企画に主体的に関わったという話が、一般に受容されたということだ。
宮沢りえはその2年前の89年に、「ふんどし」を締めたセミヌード姿をカレンダーに晒している。10代の女の子に決して求められない、少なくとも普通の男子は欲望しないであろう扮装をあっけらかんとしてみせた思い切りの良さを考えれば、ヘアヌードの方がむしろ穏健にも思えてくる。*3


宮沢りえも、まともな状態じゃなかったんだとおもう。いくつもの手順や、序列を無視したヌードである」(p.138)と、堀井は宮沢りえヘアヌードに驚愕しているが、実際ヘアが写っているのは2枚だけで、それも近影ではないのでそれほどはっきりと見えるわけではない。普通に裸を撮ったらたまたま写っちゃいましたといった、ごく自然な感じである。
では何にそんなに驚き恐れたのか。女の子が自分で自分のヘアヌードを見せているという姿勢をはっきり示したことに、だろう。そんな意志が女の子にあるとは思っていなかったから、「まともな状態じゃなかった」と思ったのだろう。リカが完治に明るく「カンチ、セックスしよっ」と言ったのに大騒ぎした、当時のオヤジ週刊誌を思い出す。


女が隠したものを男は暴く。女は見られ、男は見る。そこにまだ見えないものがあるから、「見たい」という欲望は維持される。
こうしたジェンダー非対称性があって成り立っていたヘテロの男女関係を包む曖昧なベールを、ヘアヌードは剥ぎ取った。同様に、女は自分から自分の「裸」(体だけでなく)をどんどん見せるというかたちで、受け身で脱がせてもらうのを待っている客体としての「女」を「破壊」しようとした。リカのように。
もちろんそんなことを意識してやっていたとは思えない。消費や欲望やシステムやいろんなものが後押ししたのだ。当時の女性たちの多くは、うすうすは気づいていたと思う。このまま行けば「幸せ」からは遠ざかるだろうと。*4
しかし「幸せ」とは何だろう。幻想を幻想のままで取っておくことではないか。自分はそのことをいつのまにか知ってしまっている。ならもう後戻りできないではないか。


堀井憲一郎の語り口を真似て言い直すと、こういうことだ。
70年代までの女の子はブラウスの第一ボタンまで留めて男の子に背を向けていた。男の子が前に回ってボタンに手をかけるのを待っていた。自分から服を脱ぐ子はごく一部だった。
80年代の女の子は、ブラウスの第二ボタンまで外して男の子に微笑みかけた。男の子が追いかけると笑いながら逃げた。追いかけさせればさせるほど、自分のレートが高くなることを女の子は学んだ。
やがてそういうゲームに女の子は飽きてきた。こっちが逃げてやらなきゃ寄ってこない男の子がもどかしく思えてきた。一方男の子は女の子の後をあちこち走らされて、ヘトヘトになった。
90年代の女の子の中で、80年代ゲームから降りる者が相次いだ。70年代以前に戻ろう。そういうふりをしておこう。別の女の子は男の子に歩み寄り、さっさとブラウスのボタンを外して裸を見せた。「これでしょ、見たかったのは」。男の子はびっくりし、凍り付いてしまった。


堀井によれば、そうやって行くところまで行き「自分のどこを売ればいいのかわからなくなった」女性たちは、結果的に「自分の首を締めてしまった」し、「あまりみんなが幸せにならなかった」らしい。この本を高く評価するAntiSepticさんもそれに同意しているようだ。
なるほど「男の子」からはそう見えるんだろうねと思う。だが「女の子」たちからは、また別の風景も見えていたのだよ。そのことをちょっと言いたくて書き出したら、ちょっとどころではない長さになってしまったが。




元エントリの記述より。

ひとつだけ言えるのは、我々は輸入した近代国家とやらによって疲弊しているのだから、それに対して堀井が伝統文化を持ち出すのはよく分かるということだ。それが解かどうかは知らん。


「輸入した近代国家」の近代の理念が徹底されないまま、資本主義の市場原理がどこまでも社会の要請になり、そこから誰も逃れられないというのが本当のところではないだろうか。市場原理の「外」にあるはずの「身体」すら、AVやヘアヌードというかたちで消費され尽くされた。
だから堀井は(伝統文化にしろ職人技術にしろ新しい文化にしろ)「徹底してカラダに身につけ」ることによって、「今の社会の要請に応えないで逃げ」ろと言っているのだ。何でもいいからしっかりした「文化」をカラダに叩き込んでおけ。そうでないと殺されるぞと。


思えば「女の子」の「破壊」なんかたいしたことはなかったね。実に中途半端な「破壊」であった。
張り巡らされた見えない規範の強固さと、すべてを呑み込んでいく消費の圧倒的な速度に対して、あの頃の私たちはほとんど丸腰だった。
これだけは無くしたくないと握っていた掌には、今何が残っているだろう。



●関連記事
男子にはなれない・第三回・はるみさんの時代
私たちの「祭り」、その失敗と責任 - 『ポケットは80年代がいっぱい』(香山リカ)を読んで

*1:5/5追記:ああなんという読み間違い!引用箇所の「参加者」は男だ。後に「結婚を諦めた女は身を売るしかないという悲しい現実」とある(この文余分)ので女のことを言っているのかと勘違いし、変だと思いつつ「綺麗な女の子たち」がAV市場に参入した他の理由を考えてしまったではないか。釣られている人がたくさんいるが、これは誤読するよなー。女子が結婚市場でレートを上げれば、それに応じられない男子はAVに行くしかないから、綺麗な女の子の需要が高まるのは当然、こうして両市場で性の商品化が進行した。

*2:ただ特殊な例はある。東電OL事件の渡辺泰子だ(もっとも彼女は恋愛には奥手で結婚願望もなかったようなので、ここで言われている「結婚を諦めた女」には入らない)。80年に慶応大学経済学部から東京電力に就職した泰子は、89年頃から夜はクラブホステス、バブル崩壊後から渋谷界隈で体を売るようになり、東電のエリート女性管理職とフリーの底辺売春婦という二重生活を続けた末、97年3月、円山町のアパートの一室で何者かに殺害された。彼女の「病」の原因は、東大出の亡き父の期待に応えんとする思いと自罰傾向が強かったことに加え、男以上に頑張らねばと社会に出ていって徐々に神経を摩耗させていく中で拒食症になり、もともとの性的潔癖性が性的自堕落に転換してしまった、という分析がある。同じ「キャリアウーマン」でも彼女は東ラブのリカのように生き延びることはできず、自分を追い込んで自壊した。当時、この事件の全貌が徐々に明るみになってくるにつれて、「人ごとではない」と思った高学歴キャリア志向の女性は多かったという。『東電OL殺人事件』(佐野眞一、新潮社、2000)が非常に詳しくてお薦め。▶追記:藤本由香里の『快楽電流』(河出書房新社、1999)も女性のセクシュアリティを語るにあたって、東電OLやAVを取り上げており参考になる。

*3:こういうアイドルが自らアイドルであることを逆手にとるような戦略は、既に小泉今日子に現れていた。小泉今日子はデビュー2年目にして事務所に無断で当時流行の先端だった刈り上げカットにし、80年代半ばの全盛時代に、魚拓ならぬオールヌード人拓(体に原色のペンキを塗りたくりキャンバス地に寝転んで転写したもの)を写真集に発表した。現代アートではイヴ・クラインの作品で有名なアレだ。後にこのモデルは小泉の付き人だったことを告白したらしいが、アイドルというよりはポップ・アイコン的なイメージが強かった彼女に相応しいぶっとんだ企画だった。その後20代前半の小泉が、特番のインタビューで「結婚?するわけないじゃん」と質問を一笑に伏していたことを私は印象深く思い出す。それまでのアイドルだったら「結婚、やっぱり憧れがあります」とか言ったはずだ。彼女の中には既にリカがいた。

*4:追記:態々言うのもアレですが「」に注意。