母が本を捨てる

ある時、実家から大きなダンボール箱が三つ送られてきた。門のところで宅配の人から受け取ろうとすると、「すごく重たいので玄関先まで運びます」。開けてみると、実家に預けてあった美術本である。といっても元は私の本ではなく、父が買ったもの。
昔よく、彫刻や絵画の大判豪華美術全集が講談社や美術出版社から出ていて、美術を志した娘のためということもあってか、美術愛好家の父は次から次へと購入していた。今では私はそういう画集を開くこともほとんどなくなったが、このような本はもう出ないので売り払うには惜しく、かといって自分の家の本棚は満杯なので、実家に置かせてもらっていたのである。
「本棚買ったら引き取るから」と言って延び延びになっていた、その半分くらいがいきなりドカンと送られてきてびっくり。


「お父さんたら、前もって電話くらいくれればいいのに」と電話すると、本を送ってきたのは母だった。なぜかとても機嫌が悪い。というか様子がおかしい。
「もう何もかも処分したいの!」「いったいどしたの」「私、老人ホームに入るから!」「えぇえー?お父さんは?」「あの人はあの人で勝手にやるでしょ!」「ちょっとお母さん落ち着いてよ。言ってることがおかしいって」「そう、私おかしいの!」ガチャ! 一方的に電話を切られた。いつも穏やかな、声を荒げることのない母である。こんなことは初めてだ。
一年くらい前から80を超えた父が軽くボケ始め、そのくせ妙に頑固で、母が精神的にしんどい状態なのは知っている。しかし母の鬱屈は思っていた以上に溜まっていたようで、そのとばっちりが私の方にも来たわけだ。


二週間くらいしてご機嫌伺いに実家に行ってみると、母は留守だった。父に訊くと「どこに行くとも言わず出かけたけど‥‥たぶんデパートじゃないかな、気晴らしに。夕方になったら帰ってくるだろ」。時々そういうことがあるらしい。
ふとキッチンの壁にかかっているカレンダーを見ると、母の字で細々と何か書いてある。「4時半起床。昔の手紙、押し入れの本、書類処分」。各日付の下に同じようなことが、小さな字でぎっしりと。母の「処分日誌」だった。


父によれば、母は最近日の出と共に起き出し、家中の物を片付けてはゴミに出しているという。2年ほど前、「お墓の中まで持っていけないんだし、残して娘達に片付けの手間かけるのは悪いから」と、父の集めたガラクタめいた骨董と蔵書の大半を売り、その後しばらくは落ち着いていたのだが、最近また「捨てたい欲」が再燃したようだ。
一旦取っておいた本も、もう父が本を読む気力もないからということで、どんどん捨てているらしい。古い文学関係や旅行関係の本、雑誌が多く、古書店でも大した値で引き取ってくれず、譲り受けてくれる人もいないのでゴミに出してしまうのだ。
勝手口の横に、美術全集の残りが積み上げてあった。『世界の遺産』シリーズの大型本もある。かなり高額だったはずだ。「ひょっとしてこれもゴミに出しちゃうの?」と訊くと、そうだと言うのでもらっていくことにした。
私にしてみれば本を(売るならともかく)捨てるなど信じられないことであるが、それに価値を見出さない人にとっては、ゴミ同然である。もともと片付け魔の母だが、「処分」に拍車がかかっている模様。


父の本棚には30冊ほどの本が残るのみで、閑散としていた。*1 「まあ残しておいても仕方ないからね」。がらんとした部屋を見回して、父は寂しそうに笑った。
書物は、高校の現国教師だった父のアイデンティティの象徴みたいなものだった。父がいかにワンマンで家族の上に君臨していたかは前に少し書いたが、難しそうな本をたくさん読んでいる父は、子供の私や妹にとってはやはり「尊敬すべきお父さん」だった。父=本の人なのだ。だから父は大好きな本に囲まれて死ぬのが嬉しいんじゃないかと、漠然と思っていた。


しかし母の考えは違っていた。「歳取ったら、物は捨てていかなきゃならないの。身辺をきれいにして、人に迷惑をかけないようにして死ぬべきよ。立つ鳥跡を濁さず。物欲や執着で物を沢山溜め込んだまま死ぬなんて、みっともないことなのよ」と母は常々言っていた。それも一つの考え方だと思う。
もう父に本は必要ない。父は本も読めないほど歳をとった。片付けられるうちに片付けないと、後に残った人が困る。確かに。母の考え方は合理的でもある。


「本だけじゃないよ。先週はもう着ない服をたくさん処分して、空いた古い桐箪笥を一棹トンカチで叩き壊して、縛ってゴミに出してたよ。引き取ってもらうと却ってお金がかかるからって。あんたの子供の頃使ってた机ね、あれも叩き壊して捨てた」。ひえぇ。
そう言えば最近、実家に来るたびに物がなくなってやけにすっきりしているなと思っていたが、そういうことだったのか。しかしあの痩せて小さいお婆さんになった母の、どこにそんなパワーが?


もしかすると母の「捨てたい欲」の爆発は、長年の父のワンマンぶりに対する仕返しなのかもしれないと思った。これまで父の物には手を触れず、骨董集めを初めとしてさまざまな趣味にお金を費やすことも、母は一切文句をつけずにきた。母自身はたまに洋服を買うくらいで、趣味を持たずひたすら節約と貯蓄に励んできた。それが、父の家庭内パワーが衰えてきたのをきっかけに、今までの不満が「物を捨てる」という形で吹き出したのではないか。
夫の威厳を守ってきた本のバリアを次々と取り去っていく妻。身ぐるみ剥がされていくような夫。「あなたの持ち物には、もう価値がないのよ」という母の態度は、老いた父にしてみれば、まるで「あなたにも、もう価値がないのよ」と言われている気持ちになるかもしれない。
そう思うと少し父が気の毒になるが、よく考えてみると、父は自分ができない嫌な作業を母にさせているとも言える。


私がもし先に死んだら、私の遺品を片付けるのは夫である。今の時点でも売ったり捨てたりしてもいい(でも決心がつかない)物がかなりたくさんあるから、整理したり処分したりするのは大変だろう。人はいつ死ぬかわからない。今から少しずつ片付けていくべきか。

*1:追記:印象で書いたが、後でさすがに30冊ってことはなかったなぁと思った。新書や文庫を除いてその2倍くらいはあったか。それでも少ないけど。