無宗教で弔うこと

国や地域や宗教によって、さまざまなかたちを取るお葬式。日本では仏教形式で行われることが多い。これまで私が参列した葬儀は9割方、仏式だった。あとはキリスト教。亡き伯父と伯母がクリスチャンだったからだが、では仏式で弔われた人々は皆仏教徒だったのかと言えば、おそらくそうではないだろう。
年輩者で定期的にお寺参りに行ったりお坊さんの説教を聞きに行ったりする人はいたかもしれないし、そこまでではない人もお盆で先祖の墓参りくらいはしたかもしれない。しかしほとんどの人は、「うちは◯◯宗らしいな」くらいのことはわかっていても、仏教とは無縁の生活を送っていたと思う。多くの人の日常において、特定の宗教の匂いは薄い。


だからいざ身内が死んで通夜だ葬儀だとなると、まず何をどうしていいかまごつくことがある。伊丹十三の映画『お葬式』では、遺族がビデオで仏式葬儀のあらましを学習するシーンがあった。他人の葬儀で何となく勝手は知っていても、いざ当事者となると実際の細かい段取りなどわからないことも多いからだ。
かといって、家族が死ぬずっと前から、葬儀の出し方について詳しく知っておこうという気にもなかなかなれないものだ。まして自分の死んだ時のことなど、あまり考えたくない。葬式なんて半分以上は残った人々のためのものだから、遺族が好きなようにやればいいと考える人が多いのではないだろうか。
そして遺族の方も、「菩提寺があるし」「家に仏壇があるし」「おじいちゃんの時もそうしたし」「今更葬式のやり方を一から考えるのも面倒だし」「葬儀屋さんが何でもやってくれるし」「皆と同じでいいし」などという理由で、普通の仏式葬儀をあげる。


私の家族は、というか父は、少し変わっていた。ずいぶん前から、「自分は無神論者だから、死んでも宗教的な葬式はしないでほしい。坊さんも呼ばないし、香典も貰わない。キンピカの霊柩車に乗るのは厭だし、墓もいらん」と主張していた。家でごく内輪だけのお別れの会をし、遺体は病院に献体し、遺骨は海に撒いてほしいと。
和辻哲郎の『古寺巡礼』を愛読し、若い頃からよく京都・奈良の寺や仏閣巡りをしていた父は、古美術店で小さな仏像を買ってきたことがある。自費出版の本に収められた短編のタイトルは『阿修羅』。つまり仏教そのものや仏教美術には関心があったが、今の仏式葬儀のやり方は気に入らんというわけだった。「寺は葬式業者と結託して法外に儲けている。あんなもんは釈迦の教えとは違う。だからその手には乗らん」とも。
確かに日本の葬儀費用は他の国に比べて高い。Wikipediaを見ると、「日本: 231万円、イギリス: 12万3千円、ドイツ: 19万8千円、韓国: 37万3千円、アメリカ: 44万4千円」とある。日本が飛び抜けている。
仏式葬儀の段取りの仰々しさや長いお経(聞いているほとんどの人は言葉の意味わかってない)、大量の菊や花輪や灯籠で飾り立てられた祭壇の麗々しさも、父は嫌っていた。儀式というのはそもそもそういうものだ‥‥という”常識的”な説得(もちろん誰も父を説得しようとは試みなかったが)にはまず耳を傾けない。祖父や祖母の葬儀はやむを得ず仏式で行ったが、普通に比べてかなり簡素だったと記憶する。


最近は自宅で葬式を執り行うことが減り、通夜も葬儀も斎場でというケースが都会を中心に多くなってきている。それも大半は仏式に則ってのものだが、以前よりは簡素化され家族葬、密葬も増えているようだ。実家の近所は高齢者が多いが、顔見知りの人が亡くなっても町内に知らせず身内だけで葬儀をし、後でお知らせだけ来たということがしばしばあるらしい。
日常に宗教が根付いていない多くの人が、宗教的儀式を中身のない形骸化したものとして捉え、それにまつわる形式的な些事を疎ましく思うようになれば、葬儀のかたちも徐々に変わっていくのかもしれない。
父のようなケースは少ないと思うが、「仏教徒でもないのに、自分の葬式にお坊さんが来てお経を読むのはちょっと‥‥」とか「なるべく簡素にお金をかけずに済ませたい」と思っている人もいるかもしれないので、参考までに書いておこうと思う。


以下は、父がかなり前に書いて私にも手渡していたメモ「私、◯◯が死亡した時、お願いしたい手順や事項」。母には既に同じものを渡していた。

献体*1に関係する事柄(すぐ行ってほしいこと)
 1. ◯◯、◯◯、◯◯、◯◯、◯◯ (離れて住んでいる娘二人とごく近い親戚の名)へ電話で知らせる。
 2. 献体する登録大学◯◯大学医学部へ知らせる。
   ・取次代行◯◯葬儀 電話番号、大学問い合わせ 電話番号
   ・不老会会員番号◯◯番(会員証あり)、うちの電話番号
   ・お迎えに来てもらう所──自宅(◯◯町の家)
   ・葬儀はしない、近親者だけのお別れ会は自宅でその晩だけ。
   ・献眼するからアイバンクに連絡してほしいと伝える(提供は死後六時間後)(その点、大学とよく打ち合わせする)
 3. 医師に死亡診断書を作ってもらう ◯◯内科クリニック(かかりつけの医師) 電話番号
    二通作成──一通はコピーでよい。一通は区役所へ提出、一通は大学へ(火葬許可証と共に)
 4. 区役所へ行って、死亡診断書を提出、火葬許可証をもらう──車のある人に頼む。
 5. 六時間以内にアイバンクから眼の摘出に来る。


◯一般的なお願い事項
 6. 以上の緊急必要な事がすんだら、次の人に知らせるだけ。
     ◯◯、◯◯、◯◯、◯◯(父の昔の教え子など)
 7. どなた方にもお供え物・お花・香典など一切頂かない。
 8. 棺は質素な白木のもの──◯◯葬儀によく伝えてほしい──飾り物は一切用いない。金々自動車(たぶん霊柩車のこと)でない車の方がよい。
 9. 宗教的なもの、葬式佛教的なものは一切入れない。法名、位牌、何年回忌など一切不要。
 10. 雑用終了後、年金関係、◯◯の会、その年の年賀状をもらった人に葉書で通知する(文面は別掲)
 11. 二年位の後、大学から遺骨が返ってくるという。それを本箱の中の乳鉢で粉にし、気候よく天気のよい時、伊良湖岬の太平洋に流す。
 12. 墓には遺骨を入れない。分骨もしない。


この8年後、父は老人ホームで亡くなり、そこの医師が死亡診断書を書き、大学への献体の件も含めて前もってお願いしてあった葬儀業者が来て遺体を斎場に運び、まもなく大学病院から医師が駆けつけて眼球摘出を行った後、遺体をストレッチャーから和室の布団の上に安置。通夜はせず、翌々日隣室の小さな会場で、ごく近しい親族に参列してもらいお別れの会をした。
簡素な白木の棺に家族で遺体を納める納棺の儀の後、左右に花を、中央に私の描いた父の肖像画を飾った壇上に棺を据える。参列者13人。早めに来た人にはお茶を出し、母と一緒に作った父のアルバムなどを見てもらう。
お別れの会は最初に喪主の母が挨拶し、棺に向かって全員で黙礼(仏式だと手を合わせるところはすべて黙礼)をした後、棺をストレッチャーに移して、献花。皆でしばし父との別れを惜しむ。*2
お経とお焼香がないため30分でお別れの会が終わり、出棺。棺は斎場の濃紺のバンに載せられ、降りしきる雪の中を大学病院に向かって去っていった。その後、同じ斎場の別室で会食。一応御礼の言葉を私が述べ、食事後はまたアルバムを見ながら雑談などしたりして、三々五々帰る。
納棺の儀、お別れの会、出棺、会食終了まで2時間弱。費用は約70万円(会場設営、棺、花、出棺の車など最低限の基本セットがあり、それにいろいろなオプションを足していくようになっている)。
自宅の自分の布団の上で死に、自宅で弔われるつもりだった父にとって、斎場でのお別れの会は不本意だったかもしれないが、それ以外はほぼ父の希望通りに進行した。


父が亡くなってから2週間経つ。他の親戚や父の昔の教え子など40人ほどには数日後葉書で知らせたので、母はそれからかかってきた電話の対応、追って父の年金や相続など各種手続きに追われている。
今、父の遺体は解剖実験室の材料の一つとして、大学病院地下のホルマリンのプールに沈んでいる。2、3年経って火葬されて遺骨が戻ってきたら、粉にして指定の場所に撒きに行く。*3 散骨のマナーについては、死んだら遺骨は海にまいて……と言われたら【葬儀・葬式】All Aboutに以下のようにあった。

1.遺骨は原型をとどめることなく粉末状に砕く。
2.散骨場所は他人に迷惑がかからない場所にまく。
3.その他諸問題が生じないように注意する。


私と夫は、遺骨の一部を「不老会」の共同墓地に入れてもらうようにしたらどうかと母に言っている。そうすれば、命日には家族でお参りできるから。私も曖昧な無宗教者の一人だが、父の遺骨に向かって手を合わせたいような気がする。というか、そういう気持ちになった時に何もないのは、少し寂しいような気がする。
墓に向かって話しかけても、聞いてくれる人はいない。身体を持たない魂だけが、そこにフワフワ浮いているということなどない。けれども逆に、そこにいない、かたちのないものに向かって語りかけるという、普通なら到底できないような行為をするために、先人の作り出した葬儀の形式というものがあるのかもしれない。
眼を閉じて手を合わせ祈るという所作をした時だけ、そこに亡き人の魂が現れる。そう思ってみることが、残された者の心を少しは救うのかもしれない。


●追記
「簡素にしても70万もかかる‥‥」というブコメが散見されるので追記します。
今、手元に領収書がないため記憶で書くと、最低料金に含まれていたのが、斎場使用料、各室料、棺、祭壇、生花、看板などで、今回はそれプラス(老人ホームへの)お迎え料、遺体安置用布団(25000円くらい)、ドライアイス(二日分)、霊柩車、食事(一人5000円くらい)、食事の給仕料などがつきました。ただ、母が地元のいくつかの斎場の中でも一番高ランクのところを申し込んだようなので、もっと安く済ますことはできると思います。



●関連記事
見送りの準備

*1:父は、母と一緒に「不老会」という献体の会に入っていた。ここに登録すると、死後、眼球はアイバンクに、遺体は地元の大学病院に献体される。一度母が何かの確認で当該大学の連絡先となっているところに電話をしたら、相手が献体登録者ということを知らない医学部の助手の人か誰かが「ハイ、解剖実験室です」と出て、一瞬ビクッとなったらしい。「『不老会に登録している◯◯ですが』って言ったら、相手の人も『あっ』て焦っていたわ」。生々しい話ですね。いざとなった時に遺族が「やっぱりどうしても厭だ」とドタキャンすることもよくあるらしい。父はそういうことはなく、大学とアイバンクから弔電及びお礼状を頂いた。

*2:色とりどりの花で飾られた父を見て母は、「なんか、こんな絵があったわね」と言った。「死んだ人の周りにお花が浮いていて‥‥」「ミレイのオフィーリア?」「あれ、今度東京に来るでしょ」。まあオフィーリアとはモデルもシチュエーションも違い過ぎるが‥‥。

*3:渥美半島の先端になる伊良湖岬島崎藤村作詞「椰子の実」のモデルとなっている場所。国語教師だった父は藤村で論文を書いていた時期があり、この歌も好きだったので、ここを選んだのだと思う。