土と草

新学期が始まってバタバタしている間にもう三週間が過ぎてしまった。バタバタと言っても私は担当の授業や講義に行くだけだから、そうめちゃくちゃ忙しいこともないのだが、気分的にはバタバタする。そんなこんなでブログの更新もしてなかったし、仕上げなければならない原稿の続きも止まったまま。
などと言い訳がましく前振りを書いたけれども、一つだけ律儀にやっていることがあります。それは草取り。草引き。草むしり。前は「草むしり」と言っていた(七年前のこの記事では「草むしり」)。実際にやっている行為は根こそぎ引っこ抜くことだから、「草引き」が近いと思う。


以前、家の裏にある水路との間の狭い通路が雑草地帯で駆除が大変だったが、去年そこがコンクリで固められたので、草引きはもっぱら庭だけとなった。鰻の寝床のように細長く、猫の額のように狭いうちの庭。楓や棒樫やコブシやアセビ南天などの庭木がぱらぱらと植わっている間から、春になるとさまざまな雑草が生えてくる。
年によって出てくる雑草の種類が少しずつ違う。今年はスギナとクローバーが大量に発生した。あとはアレチノギク、タンポポコニシキソウ、チチコグサ、ヨモギホトケノザ、スズメノカタビラ、スベリヒユカラスノエンドウエノコログサマツバウンラン‥‥(今、植物図鑑で調べた)。
三日くらい放置しておいた暁には、「いつのまに?」と思うほど伸びている。抜いても抜いても生えてくる。除草剤を撒けばいいのに。そうすりゃ一発なのに。
しかしなかなかその気にならない。地面にかがみ込んで、いちいち手で引っこ抜いて回るのがなんか楽しいから。


雨が降った翌日などに一斉に芽吹いている雑草たち。一つ一つ観察すると、なかなか可憐な風情である。細かいクローバーの群れ。ヒヨヒヨとした茎のマツバウンラン。数十センチの高さになるとは思えないアレチノギクの薄緑の葉っぱ。
かわええのう。生かしといてやりたいが、そうもいかんでの。根元を摘んで引くと、小さな根に土を少量付けてあっけなくゴソッと取れる。この感触。少し嗜虐的な気分を味わいます。
アレチノギクやエノコログサは引っ張ればすんなり取れる。タンポポは少し強情なのでスコップを使う。スギナは根が深く網の目に張っているので非常に厄介だ。一見弱々しそうな外見で、実は見えないところで仲間同士ガッチリ腕を組み、連帯してこちらに抵抗しているのだ。スギナよ。おまえはかわいげがないのう。


雑草も花をつける。目に留まらないくらい小さな地味な花が多いが、タンポポのようにわりと目につく花もある。タンポポが道傍や土手に咲いていると「ああ、春だな」と思う。緑の中の黄色の点々。別に何ということもないが、のどかな春の気分を代表している。
タンポポのように逞しい/健気」と言うように、どこにでもしっかり根を張って花をつけるタンポポはわりと万人に愛される雑草だ。日本人は特にタンポポ好きではないだろうか。踏まれても踏まれても生えてくる忍耐強さを、日本人の特質に重ね合わせたりして。伊丹十三の映画『タンポポ』もそういう文脈だった。だいたい名前が可愛い。
しかしうちの庭に咲いていると、片っ端から引っこ抜かれる。生まれてくる場所を間違ったのだと思ってくれ、タンポポよ。


‥‥‥と、毎日のように雑草にブツブツと話しかけながら狭い庭をうろうろしている不気味なおばさんに最近なっているわけだが、以前はそうではなかった。草引きなどすごく面倒で放置しておいてもう限界!という感じになってから、渋々やっていた。
夫は私に「おまえ変わったなぁ。何があった」と言う。何だろう。まあ歳を取ったということじゃないですかね。
きっかけと言えば、猫を庭で散歩させ始めて、一年中地面を観察するようになったことか。そして、土とか草とかそういうものの近くにいて、触ったり匂いを嗅いだりしていたいと思うようになった。虫は嫌いだが、前ほどではない。あとは、汚染が深刻で土に直接触れることのできない土地がある中、のんびり草引きができるのは贅沢なことだという気持ちが、どこかにあるかもしれない。
母方の祖母はもう十年以上前に亡くなったけれども、畑仕事が好きな人で、家の裏の小さい菜園で細々と野菜を作っていた。体が弱って息子夫婦のマンションに引き取られた後も、時々「畑に行きたい」「土いじりがしたい」と言っていた。私は畑仕事をしたことがない人間だが、今は祖母の気持ちが少しわかる気がする。


●付記
『星の牧場』と近所のゴッホさん
昔、自分ちの雑草ではなく人んちの雑草を黙々と取っていた、名前も知らないおじいさん。草引きをしながら今でもたまに思い出す。