夏の終わりの変な夢

この夏は、父の入院から老人介護施設入居までのゴタゴタがあった後、やっと施設に落ち着いたと思った父がまた病院に逆戻りしたり、久しぶりに東京に展覧会を見に来た瞬間に父の件で名古屋に呼び戻されたり、ほぼ毎日母のおしゃべり(電話)につきあったり、熱中症になりかけた犬の手当をしたり、一日一回は庭に出たがる猫のお守をしたり、その間に草むしりと庭木の剪定をしたり、ゲラの直しをしたり、収まっていた猫アレルギー症状がまた出て薬を飲み出したり、そのせいか夏バテのせいかわからないが昼間やたらと眠かったり、本棚を買ってはみ出している本の収納、整理をしなくてはならないがそれは後回しにしたり、原稿を一本仕上げなければならないがそれも日にちがあるからと後回しにしたり、お千代保稲荷に出かけて串カツを食べたり、やっと施設に戻れることになった父を見舞ったり‥‥ということでいつのまにか過ぎていった。日差しはまだ強く彼方に入道雲が湧き立っているが、夜になると聞こえていた蛙の合唱は虫の合唱に変わっている。


夏の終わりに不思議な夢を見た。
鉄筋の建物の2階あたりの広い講義室のようなところにいた。回りに人がたくさん座っていてザワザワしていた。正面を見ると、医師のような白いガウンを纏った小柄な白人女性が入ってきた。短髪で眼鏡をかけている。いつのまにかプリントが配られていた。とても薄い紙で、小学校の頃、毎月配布された「今月の給食・献立」の紙にそっくりだった。そこに「ピーという音がしたら、それは時空の歪みがあったことを示す」と、縦書きの小さな文字で書いてあった。その瞬間、ああ、たしかにさっきそういう音を聞いた、と思った。やっぱりあれがそうだったのか。何故か安堵感が胸に広がった。人々が出て行くので、私もその部屋を出て狭い階段を降りた。皆の話題はさっきの話でもちきりのようだった。外は地面にかなり高く雪が積もっていた。建物の入り口を出たあたりで、古い知人たち2、3人に出会った。「大野さん、今日は朝までつきあうでしょう」と言われた。今日は議論することがいっぱいあるよ、という口調だった。でも母を車で送っていかないとならない。「今日はだめなんです」と言って、積もった雪の上を歩くのに少し苦労しながら駐車場に向かった。母が車の脇で待っていた。車を出せるかどうか急に不安になった。


この夢のポイントつまり私の欲望は「時空の歪み」のように思われるが、おそらくそうではなくて、後半の友人の誘いを断るところに現れている。そこに、すべきことがあるのに家族のことでバタバタしていてできなかったという言い訳をしたい現実の私の気持ちが反映されている気がする。
考えてみればこの記事も夢のことだけ書けばいいのに、前半に関係ない日常的なあれこれを断片的に書き連ねている。さりげなく長めの前フリのように書いたけれども、これは自分への言い訳なのである。
文章は嘘をつくが、文章の構成は時々本当のことを語っている。夢のように。