ある日

朝6時40分。布団から出たくないが朝一の仕事の日なのでエイヤと起きる。ジャージの上にカーディガンを羽織って階下に降りると、夫はまだ爆睡中。テレビを見ながらリビングで寝る(時々起きて仕事したりスマホでゲームしたり)という習慣がついているこの人は、今日は休みの日。寝室が別なのはいいが、相手が寝ている間足音を忍ばせて用事をしなければならないのが困る。
お湯を沸かす。ハムとチーズを挟んでトーストしたパンと紅茶の簡単な朝食。化粧。アイブロウペンシルがなくなってきた。買わないといけない。私はいつまでこういうものを買うんだろう。
着替える。といっても家にいるのとあまり変わらないカジュアルな恰好。薄手タートルとゆったりめのワンピースとストレッチパンツ。全体に黒っぽくなんか陰気くさいのでビジュー付きのネックレスをしてみた。ジップアップのブルゾン。寒いのでストール。おばさんの重ね着だ。


ゴミ出しをして8時前に家を出る。車のフロントガラスに霜が下りている。いつもはFMのクラシックを聴くがその日はたまたま入っていたCD。知人にお薦めされた小谷美紗子『night』。朝からnight。8時40分大学到着。試験の書類を提出し、講師室にAV機器の鍵を取りに行き、講義室へ。今日は映画の続きを観る日なので窓のカーテンを全部閉めて回る。自動でないところがちょっと面倒臭い。早く来ていた学生が手伝ってくれる。
エアコンを入れる。上映終了後にミニレポートを書いて提出する日だからか、今日は心持ち出席者が多い。少し前振りをしてから上映開始。『ヘドウィグ・アンド・ザ・アングリーインチ』。ほとんどセリフを暗記するほど見たしそろそろ別の映画にしようかと考える。しかしエアコンが全然効いてこないので寒い。壊れてるのかしら。
終わって、念のために質問を受けつける。この作品は省略、コラージュが多いので質問が時々出る。何か聞きたそうな顔をしている学生が何人もいるが、今日は誰も手を挙げない。「じゃあ、これまでたくさんの人が『ここがよくわからなかった』と書いてた一点だけ」と言って説明。「書き終えた人は前に出して退室していいです」。学生が一斉にペンを走らせ始める。手持ち無沙汰なので出席表を見る。180人くらいいて40人近くが脱落している。3、4年生が気になる。


休み時間が知らない間に終わって2限。まったく同じ講義。上映のある時はいいが、2限続きでずっと喋り続けの講義だと、今喋りかけた内容がこの時間になってから既に喋ったのか初めてか、わからなくなってしまうことがある。「えと、この話さっきしましたっけ?」と前の方にいる学生に聞いたり。先生もう認知症かと思われているかもしれない。
学生が映画を観ている間に、回収した1限目のミニレポートを読む。今年はこれまでに増して個々の書く分量が多い。裏まで書いている学生がいる。日本語は時々おかしかったりするが、言いたいことが溢れている。「手がかじかんで字が汚くてすみません」というのがあった。いやこちらこそすみません。やっぱりエアコンがおかしい。教務に言わなくては(と思って忘れた)。「上映中に入ってくる人が迷惑です。施錠してほしい」との要望。これもすみません。前もってそう言ってあって、ドアには「上映中。入室禁止」の張り紙までしたのに、ロックするのを忘れた。
授業時間終了。まだ書いている学生たちをしばらく待つ。「先生、シャーペンの芯とか持ってませんか」と言ってくる。「芯が折れちゃって書くものがなくて‥‥」。芸術系大学の学生で鞄に入れている筆記用具がシャープペン一本だけというのはどうかと思うが、ここで説教しても仕方ないのでボールペンを貸す。後でその学生のレポートを読むと非常に鋭いことが書いてある。鑑賞・思考能力の高さとシャープペン一本感覚の関係についてしばし考える。


大学を出て久しぶりに近くの喫茶店で昼食。あまり外れのない店なので確認せずにランチを頼んで失敗した。白身魚のフライ、サラダ、だし巻き卵、スパゲッティイタリアン、ごはん、味噌汁。ラーメン+ライスも苦手なのに、御飯のおかずにスパゲッティは辛い。特に炭水化物控えめにしている身には。もったいないけど一口食べて残す。やっぱり混んでても学食にすればよかった。
夫に電話。今日は朝から庭木の剪定に来ることになっていたのでその確認。「おう、今やってるよ。俺手伝っとる」。1年以上放置して伸び放題になっているので、相当作業が大変なはず。
以前は隣人が非常に神経質な人で、隣の敷地に少しでもはみ出た枝をこまめに切っていた。忘れていて恐ろしく文句を言われたこともあった。その隣人が昨年引っ越していってからずっと空き家になっていて、こちらもしばらく庭木の手入れをさぼっていた。
庭先に犬がいて猫も飼っていた頃は、猫を散歩させながらチョキチョキやったりしていたが、今年6月に犬が死に、猫を里子に出してからますます庭を構わなくなってしまった。「ここからタマがよく隣の庭を覗いていたな」とか「この石の上がお気に入りだったな」とか思い出すのも少々辛く。年末になってどこの家でも庭木をきれいにしているのでこれではいけないと思い、以前来ていた庭師さんにお願いした次第。


茶店を出てそのまま車で老人ホームの父を訪ねる。インフルエンザのシーズンなのでロビーで体温を測られる。手を消毒、マスクをして父の部屋へ。
いつも通り眠っていた。何度も呼んだが低い声で「う〜‥‥う〜‥‥」と唸っただけで返事はなかった。手を取ると僅かに握り返してきた。無数の皺に覆われた父の顔をしばらく見ていたら、突然顔を顰めて「え"ーーーっ」というような声を何度も上げた。喉に痰が絡んでいるようだ。前も同じことがあって介護士の人を呼んだらいつものことだというふうにベッドの頭の方を少し上げていたので、同じことをしてみた。父は全身の力を振り絞るようにして何度も喉の奥から濁った声を上げた。いたたまれなくなり、「お父さん、苦しいの?」と聞いた。父はひとしきり咳いてから、眉間に皺を寄せたまま静かになった。
この間よりほんの少しだけ毛髪の伸びたように思える父の頭を撫でて帰る。苦しまないで逝ってほしいと思った。


帰り道、スーパーで買い物。昨日、夫が「明日はおでんを作る」と言っていたので材料買ってあるかもと思ったが、ずっと庭で労働していて忘れた可能性もあるし。今からおでんを仕込む時間はないので、ポークステーキにする。あとはサラダの材料。隣の百均でビニール手袋と住まいの洗剤を買う。大掃除の時期が近づいてきたのでその気力を沸き上がらせるため。その前に部屋を片付けなくては。
5時過ぎ帰宅。ちょうど庭師さんが帰っていった直後だった。庭は見違えるほどすっきりしていた。夫は切った枝を集めたり括ったりするのをずっとやっていたらしく、私の顔を見るなり「体中がいてぇ、もうバキバキ」と言った。ご苦労さんご苦労さん。家に入ったらおでんの匂いがした。ポークステーキは明日に回すことに。
おでん、野菜の煮物、トマトとベビーリーフとツナのサラダ、御飯、漬け物。今日はあっさり献立。夫はパクパクと御飯を口に運びながら、ハフハフとおでんを頬張っている。一日肉体労働した後の御飯はいつもよりおいしいでしょう。私は御飯は食べず、焼酎お湯割り。
おでんは昆布出汁が効いて具に味がよく染みていておいしかった。ただ具の種類は大根、さつま揚げ、がんもどき、牛蒡巻きと少なめだった。私なら蒟蒻と竹輪とつみれと牛スジ串も入れるかな。あと卵も。たぶん夫は種類別パックのおでんの具を3つ買ったところで、これ以上買うと二人で食べきれないと思ってやめたんだろう。私は具をバラ売りしているスーパーまで行って買うが、彼は近くのスーパーで買ったに違いない。でもせっかく作ってくれたのだから文句は言わない。基本的に大根がうまけりゃそれでOK。


夕食が終わり、後片付け。メールのチェック。講義のレポートの残りを読む。来週使う予定のレポートに印をつける。それからネット。はてなのお気に入りブックマークに上がった記事。全部読みきれないので、半分以上記事タイトル見るだけになっている。オーストラリアの地方の農場で4代に渡って近親姦、性虐待が行われ先天異常の子どもが多数生まれていたというニュースを読んで、途方もなく陰鬱な気分になる。猫関係のサイトを見て凍てついた心を無理矢理暖める。
スーパー銭湯でサウナに入りたい夫は、一人ででかけていった。私は家でお風呂。また白髪が目立ってきた。明日染めよう。いつまで染めたらいいんだろう。60過ぎたらもういいのかな。70くらいまで? よくわからない。
ユーミンの罪』(酒井順子講談社現代新書)読了。しばらく酒井順子は読んでなかったがこれは良い。バブル世代の内省と諦観。夕食を早く食べたのでお腹の空いた夫につきあって、引き続き焼酎お湯割り飲みながらおでんの残りを少々。早起きしたせいか10時半くらいで眠くなってくる。今年中に読み終わる気がしない『動きすぎてはいけない ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(千葉雅也、河出書房新社)を読みつつ就寝。




2ヶ月くらい前、トイレの窓に張り付いていたヤモリ。いつも同じ位置にいる。可愛いので飼おうかと思った。もうとっくに冬眠した模様。



初めてブログで日記のようなものを書いてみた。日記にしては長過ぎるかもしれない。毎日書いていると短くなるのだろうか。
私は他人の日記にわりと興味がある。人がどんな暮らしをして、何を着て、何を食べて、どこに行って、誰と会って、その時々で何を感じて生きているのか。そういうことが時として、その人が公にしている意見や考察よりも面白いことがあるのではないかと思う。
もちろん私の「ある日」(昨日のことだが)が、他人から見たら別に面白くもない可能性はおおいにあるけれども。
一方で、歳を取ってくると「こういう日があとどれだけ続くのかな」と思うことがよくある。突然中断されることもあるだろうなと。そう思うと、気が向いた時に日記を書くのも悪くないかもしれないという気がした。


書きながらプライベートの生活についてぼんやり考えていた。
今年は、別れの年だった。愛するペットたちと悲しい別れをした。今は父との別れが迫っている。今年中と言われたがどうなるのかわからない。もっとつらい別れもたくさんあるのだから、それに比べたら私のなんか‥‥とも思う。
別れと言えば来年は、夫が今の仕事を辞めて離れた土地に単身赴任することになっている。月に1回くらいは帰ってこられたとしても、5年は基本的に別居になるだろう。仕事がうまくいけば、なので実際どうなるかは未知数だが。
その話を聞いて「それは淋しくなるね」と同情的に(?)言う人もいれば、「たまに帰ってくるだけ?理想的じゃん」と笑って言う人もいる。うん、いや、どうなんでしょうか。


「犬がいなくなりー、猫がいなくなりー、人間がいなくなりー、そして誰もいなくなったー」などと呟いていたら、「犬はいた方がいいな」と夫が言い、あれこれ相談の末、とうとう意を決して飼うことにした。もっと歳を取ってからでは面倒を看るのがだんだん大変になってくるし、ペットより自分が先に死んでしまう場合もあるかもしれないので、飼うならこれが最後かなと思う。
先日、生まれたばかりの柴犬の子犬を見に行ってきた。うちに来るのは来月半ばになる。
来年の春から、犬と私だけの生活が始まる。