ジム・ジャームッシュ監督作品『パターソン』を観て


『パターソン』 Photo by MARY CYBULSKI ©2016 Inkjet Inc. All Rights Reserved.


プロではなくても現在、たくさんの人が仕事をしながら絵を描き、バンドや劇団に参加し、詩歌や小説を書いている。
『パターソン』は、そんな名もなき芸術家たちの一人であろう青年の、平凡にして非凡な七日間を描いた佳作だった。


ニュージャージー州パターソン市*1に住む、パターソンという名前のバス運転手が主人公。
こぢんまりした家に妻と愛犬と暮らし、朝起きて簡単な朝食を摂って仕事にでかけ、終日バスを運転し、帰ってきて妻の作った食事を食べ、犬の散歩に行き、バーに寄って一杯飲む。そんな日々の中で、パターソンはひっそりとノートに詩を書いている。


彼が見ている普段の情景映像に、ノートに綴られゆく詩の筆跡が重なり、そこに彼自身の呟きが重なっていくシーンは、生活の中で作品が生成されていく場面そのものだ。
芸術のもっとも古くプリミティヴな形式である詩歌の、何度も吟味した、あるいは降って湧いたように呟かれる言葉を通して、彼は一見平凡な生活に非凡な輝きを見出している。
その詩心に寄り添うように、丁寧に描き出されていく日常の細部。朝起きて見る腕時計。妻の幸せそうな寝顔。飼い犬の表情。バスの運転中に聞こえてくる乗客の、他愛ないが興味深い世間話。昼食を摂るいつもの場所の空気感。ランチのデザートにつけられたカップケーキ。ミュージシャンの写真の貼られたバーの壁。泡立つビールの表面。
パターソンを演じるアダム・ドライバーは、微妙な表情の変化と思索的な眼差しによって、詩を書く若い労働者の繊細な内面をよく表現している。


主人公にとっての「天使」が、3人登場している。その1人目は妻。
パターソンの「詩人の部分」が奥ゆかしく秘められたものであるのに対し、妻のアーティスティックな部分はあけっぴろげだ。夫の詩の才能を賞賛しつつ、カントリー歌手に憧れてギターを購入し、独特のグラフィックセンスを生かして家中をペインティングする。
この、自分とは正反対の彼女のユニークで無邪気な気性を、パターソンがいかに愛おしく思っているかが2人の会話や表情から伝わってくる。彼の詩は、愛する女(妻)が重要な詩作の源泉であり、彼女が彼にとって「天使」のような存在であることを示している。


2人目の「天使」は、仕事帰りに遭遇する小学生と思しき少女だ。3人のうち、もっとも天使っぽい外見で現れる彼女は、詩人としては無名の孤独なパターソンに、「意外なところに自分の仲間がいる」という喜びをもたらす。
いつもは家で寡黙なパターソンが、彼女が朗読した自作の詩の冒頭部分を思い出して妻に口ずさんで聞かせる様は、アーティストがもう一人のアーティストに共鳴している純粋な姿だ。


他人同士のトラブルの現場に居合わせた時、パターソンの「受け身」だけではない強さと真面目さが垣間みられるところも、この青年の人物造形を奥行きのあるものにしている。
そして、週の終わり頃に仕事上で遭遇したアクシデントの苦い後味は、カップケーキを焼くのが得意な妻のささやかな「成功」によって相殺されるが、その後にまさかの「不幸」な出来事が待っている。
それを結果的に救ってくれるのが、永瀬正敏演じる旅行者の中年男。3人目の「天使」だ。
この日本人の詩人との思いがけない出会いは、ややブルーになっていたパターソンにとって光明となる。「失われたものに囚われることなく、新しい創作に向かえばいいのだ」という励ましを得て、詩人としての彼の生活は続いていく。*2


三人の「天使」は、それぞれ立場も人種も年齢も異なる人々だ(妻はスペイン系、少女は白人、旅行者は日本人)。地方都市のバス運転手であるパターソンの中にひそやかに息づく芸術家の魂は、同じ魂をもつ人々と、さまざまな位相の違いを超えて響き合っている。
「誰もがアーティストである」という時々耳にする文言の、もっとも美しいかたちがここに描かれていると感じた。


余談だが、観ていてアキ・カウリスマキ監督の『浮き雲』も過った。そこでは夫は市電の運転手であり妻が主人公となっているが、淡々とした情愛が伝わってくるところは共通するものがある。カウリスマキのオフビートな物語空間の中に、パターソンが紛れ込んでいても違和感がない。
そう言えば、『浮き雲』と同様、『パターソン』もカンヌ国際映画祭で「パルム・ドッグ賞」を受賞している。『パターソン』の「マーヴィン」と名付けられたブルドッグの方が、はるかに重要な役だけど。


● 公式サイト
http://paterson-movie.com

*1:ちなみにこの街は、アメリカの著名な詩人でありながら医師としての生涯をまっとうしたウィリアム・カルロス・ウィリアムの生誕地であり、この詩人の名や詩集も何度か登場する。

*2:永瀬正敏と、翻訳はどうしても原文のニュアンスを失うよね、てなことを確認し合っているところがいい。