「穴」の向こう

それは毛のない女性性器に見えた。しかもぽっかりあいている。それが、愛知芸術文化センターの8階にあった。
名古屋芸術大学の卒業制作展の、絵画科(洋画)の森下美緒さんの「セルフポートレート」という写真の作品。
名芸の洋画もようやくここまで‥‥と思いよく見ると、それは本人の座って伸ばした裸の足を真正面から本人が撮ったものだった。


両足のつま先と踵だけをくっつけて作った「穴」が、ちょうど女性の性器のように見えてるのと、つま先と踵が離れていてそうは見えないのの、2点。
極端にパースがついているので、即座に足を根元の方から撮った画像だとは認識できない。ロバート・メイプルソープの(だったと思うが)、のけぞった首を下のアングルから捉えた、ペニスそっくりに見える作品を思い出した。


足先で作られたダミーの「穴」の先には、何にもない空間が拡がっている。だってただ足を投げ出しているだけだから。つま先と踵が離れている方の作品は、「穴」が消滅している。
普通「穴」の向こうには何かがある。女性性器の向こうには、膣と子宮と諸々の内臓とその先をたどっていくと脳がある。
でも、この性器にそっくりな「穴」の向こうには何もない。さらに「穴」ですらなくなって、ただ茫漠とした空間に二本の肉(足)があるだけ。さっぱりしている。


この写真の光景は、まるで「女性性器から見た女性性器」だ。カメラの位置があたかも「そこ」にあるみたいだ。実際にはそこ(股間)に置いたらファインダーを覗けないのだけど、そう思わせるような構図に撮れている。
女性の性器が、カメラという一つ目を通して自分のダミーを見ているみたいな。 性器=カメラ・アイ? カメラのレンズを挟んで向かい合う性器と性器。


これは、女の子にしか撮れない。
鏡に映した自分を、こうしたいなああしたいなどう見えるかなと考え続けて、もうどーでもいいじゃんそんなの、「穴」の一個や二個いつでも作れるし消せるわよ、ほれ。と放り出してみた。そういう女の子の作品である。
男がこれをやったらどうなるか。全然違う意味が出て来てしまう。それはそれで味わい深いが‥‥そういうことをできるメイプルソープな男の子は、なかなかいないであろうな。 

私は家に帰ってから、同じポーズをとってみた。足を投げ出して膝をちょっと開いてつま先と踵をつけてみる。結構下半身が緊張する。で、足先を解放する‥‥
わかりました。これはマスターベーションの時のポーズですね? 違いますでしょうか森下さん。
「穴」幻想にとらわれている男子学生には、永久に見えない景色がここにある。