出題バトル

水と穴

前記事に引き続き、美大受験ネタでもう一本。


入試に出るモチーフというのは、大学、科によって様々である。石膏像、静物、人物、動物。日本画科は静物が多いようだ。モチーフ台の上に、ガラス容器や花や果物などがセットされている状態を描くのである。
昔こんな話を聞いた。試験の後、そのモチーフの果物を捨てるのももったいないので、試験官の人達で食べたら、すごく不味かった。そう鮮度は落ちてないはずなのになぜ。
‥‥いやそれは不味いだろう。受験生(中には後のない多浪生)が取り囲んで、二日に渡ってじーっと凝視、観察していたリンゴやオレンジやキウィ。きっと彼らの眼力によって味と香りが吸い取られ、その代わりに悲願と執念がぎっちり詰まっていたのである。私ならそんなの最初から食べる気はしない。


洋画やデザイン科では、想定課題というのがある。モチーフが一つ(あるいは無し)で、「こういうテーマで描け」といった内容が告げられる。観察力や描写力だけでは太刀打ちできない課題である。
昔、多摩美の入試説明会の会場で、そういう合格者作品を見た。テーマは「フライパンと水」。
フライパンに水道の水が勢い良く跳ね返っているところ、フライパンのへりから水がポタポタ溢れているところ、シンクに溜まった水の中にフライパンがジャブンと浸かった瞬間(しかも水の中の視点)など、様々な設定を凝らした緻密かつリアルな鉛筆デッサンが並んでいた。
「これ、全部想像で描いたんだよね‥‥」
「スゲェ‥‥超絶技巧」
「写真みたい」
感心した受験生達が囁き合っていた。


おそらく描き手の頭の引き出しには、ありとあらゆるモノの様態のバリエーションと、その描き方のノウハウが入っているのである。
「水」と出たらササッとそこからいくつかのサンプルを取り出し、フライパン(それもサンプルの一部)と組み合わせた情景をデザインし、今見ているかのようにありありと脳裏に浮かべる。後はそれをケント紙にアウトプットしてくだけ。
そういう頭の作りと技術を、一年かけて予備校で作ってきている。
ビジュアルデザインだけでなく、美術も見る角度を変えれば、ありとあらゆる様態のバリエーションと表現方法の順列組み合わせである。リアルな再現となると、順列組み合わせの数は限定されてくる。金属の棒でもガラスのコップでもタマネギでも、コツさえ覚えて練習すれば、大抵誰でも空でリアルっぽく描けてしまう。
問題は、思いついたことを時間内に計画性をもって実行できるか否かだけ。


そのあたりデザインという分野は冷徹なので、受験生のうちからクールな頭の作りと合理的な技術というものを身につけるのである。
だが受験に関する限り、他の科でも多かれ少なかれそうであろう。コレが出たらこうやる、アレが出たらあの手で行く。あらゆる場面を想定して、何が出ても驚かず対応できるようにしておくのはとりあえず基本だ。
彫刻科でも大学によって、想定課題は出る。たとえばロープが渡され、それと立方体をモチーフに粘土で構成物を作れというもの。発想力と構成力と造形力のすべてを試すのには、まあ適当な課題だ。
立方体をロープが突き抜けているとか、立方体が二つに割れてずれているくらいの想定は普通にやるが、あまり奇をてらい過ぎるとコケる。発想に今いち自信のない人は手堅くいかないと、収拾がつかなくなる。


しかしこのような「傾向と対策」が出て来ると、やはりそれに対抗するのが、「芸術」というものである。
昔、東京芸大の油画科で、「穴」を描けという課題が出た。穴のサイズだけは縦、横、深さとも設定されている。いったいなぜそんな穴があるのか。どこにあるのか。何で掘った、何を埋める穴なのか。そうした説明は一切ない。すべてを自分で考えて描かねばならない。
物体を想像して描かせるんでなくて、穴(空間)を描かせるという逆転の発想。一年間、必死に石膏デッサンや人物デッサンをやってきた受験生及び予備校講師を、せせら笑うような出題である。
おそらく全国の美術系予備校の教官室で、その情報が入った直後「対策どうする?」という声が飛び交ったであろう。
出題者は、現代美術作家の助教授だった。そういうことがたまにあるので、予備校では様々なトレーニングをする。モノを見てソックリに描ければいいと思ってやってくる受験生は面食らう。

ペンギンと牛

彫刻科で「穴」というのはさすがに聞いたことがないが、動物の出題はよくある。ポピュラーなのは、クジャクバト、アヒル、ニワトリ、シャモといった鳥類や、ウサギなどの小動物。
東京芸大の隣は上野動物園なので、そこから二次試験のモチーフとして動物を借りてくることもあったらしい。


私の予備校の先生の時代に、ペンギンが出たそうだ。密閉された室温のせいか受験生の熱気のせいか、ペンギンは試験開始からしばらくして、檻の中でグダーと寝そべってしまった。寝たペンギンを素直にそのまま作った人は、みんな落ちた。
ペンギンとは胸を張ってスックと立っている動物である。寝そべったペンギンは、たしかにペンギンらしくない。そんなものいくらソックリに作っても、彫刻とは言わんと。動物と同様、彫刻も「立つ」ものであるから、そこを踏まえて作れというわけだった。


予備校講師をしている時、愛知芸大の二次試験でも想定外のことがあった。
二日目に向けての対策のため、一日目の昼12時過ぎにまた受験生からの電話を待っていた講師一同。
「今年あたりアヒルかな」
「石膏像の模刻は去年出たしね」
などと話しているところにトゥルルル‥‥カチャ、
「先生、う、牛が出ました!」
「ウシ〜?! 牛が試験会場にいたのか?」
「そーなんです!部屋に入ったらでっかい牛が‥‥もービックリです!」


愛知芸大の近くには県の農業試験場があるので、おそらくそこから借りてきたのである。もちろんその牛を実寸ではなく、十分の一くらいにサイズダウンして作るのだ。
さすがに牛は予備校で飼ってない。「牛、何頭いる?」「たしか4頭」「じゃあ2頭アトリエの中に繋いで準備しておくか」‥‥なんてできない。
私達は頭を抱えた。ちくしょー、こっちがハトやアヒルで散々対策打ってきた、その裏を掻きやがったな愛知芸大。
近くに借りられる牛はないかと教務の人にあちこち当たってもらったが、街中なのでそこらに牛なんかいない。それで、どっかの動物屋さんからロバを一頭借りてきた。四つ足大型動物ということで、これで我慢してくれ受験生。
受験会場に入ったら牛がいて、予備校に戻ってきたらロバ。受験生もそれだけでどっと疲れただろう。それからは犬、ヤギなどの獣系も頻繁にカリキュラムに入った(牛はなかったが)。


ニワトリは動物屋さんからもらって、半年くらいアトリエで飼っていたことがある。浪人生が飼育係になって世話をしていた。
彫刻科のアトリエの前はポーチになっており、慣れるとそこらに放し飼い。走り回るニワトリと戯れる作業服の受験生を、普通大学受験科の生徒が渡り廊下から怪訝な顔で見ていた。
そのニワトリもある時お払い箱となり、引き取る人を募っていたので私がもらった。私がニワトリを絞めて食べるのではないが、田舎の親戚に欲しい人がいたので譲り受けたのである。


‥‥などと書いていると、牧歌的で楽しそうな受験生活に思えるが、受験生にしてみたらそう楽しいことはない。好きでやることだから、アトリエが動物園みたいな匂いでも、ウサギのフンの掃除をしなければならなくても、我慢できるのだ。
塑像は彫刻だし「作品」に近いからまだいいが、石膏デッサンはやっててつらくなる学生は多いだろう。いくらうまくなっても、それがすなわち「芸術」というわけではないのだから。
すべては芸大入るため、入って好きなことやるため、ということで忍耐される。


こういうアカデミックな入試のスタイルは、エコール・ド・ボザール(フランスの国立美術学校)を参照しているようだ。
「芸術と言ったらパリ」の時代に、向うに留学した画家達が帰国して東京美術学校の先生になって石膏デッサンや人体デッサンを基礎として教え、それが日本中の美術系大学のスタンダードとなったのである。
欧米では今は自由作品審査の美術学校が多いが、日本の美大の学部で一律にそれをやるのは難しいかもしれない。それこそ選ぶ側自身の「芸術」に対する根本的な価値観が問われてくる。
芸大の先端芸術表現科ではかなり試行錯誤の跡が見られるが、それ以外の伝統的な科だと「穴」くらいが限界。
石膏デッサンや牛の塑像をずらっと並べて審査した方が楽だよね、と思っている大学の先生の方がまだきっと多いのである。