連載のはじめに
女子は、男子にはなれない。当たり前である。では、なぜ「女は男にはなれない」とか、「男子は女子になれない」ではないのか。
それは、女ではなく女の子が、「男子になりたい」と「男子にはなれない」との間で悩むからである。
男子の、女の体を一回体験してみたいというスケベ心や、女子みたいに楽したいという怠け心とは、それは違う。「男子にはなれない」という当然の事実をスルーできず、突き当たり悶々とするのが、女の子の宿命である。
しかし女の子から女になった後はそういう無駄な悩みを持つのをやめ、粛々と女としての人生を甘受すべきであると、皆心得ている。今更「男になりたい、でも私は女だから男にはなれない、くそう、なれたらなあ、でもなれないんだよう」などと悩み続けても、女としての人生が苦しくなる一方である。
そういうことを女の子は女になる過程で賢く察知して、「男にはなれない(のかなあ)」などとは思わず、女として生きて行こうと腹を括るのである。
腹なんか括らずに、とっても自然に女の子から女になったわよ?
そういう人は、その上げ底ブラを外して胸に手を当ててよく考えてみなさい。
女になった時、そんなに「自然」でしたか?
初潮の血にも狼狽えず、「自然」にセックスして、しかも最初から気持ちよかったですか?
男の人と一緒に初めてお風呂に入った時、いつものように手ぬぐい頭に乗せて「あ〜極楽極楽」と呟くのを自主規制したり、セックスの後でタバコ吹かすのをぐっと我慢したりしませんでしたか?
ワイヤー入りのカチカチのブラと鎧のようなガードルを、家に着くや否や親の仇のように脱ぎ捨てていませんか?
深夜レイプ魔に襲われないようにと男の人が送ってくれるのを、めんどくさいと思ったことはないですか?
更に、その人が途中でレイプ魔になったらどうしようと冷や冷やしたことはありませんか?
やれやれ私は女の子だったんだ(しょうがねえな)‥‥と、その時諦観と共に悟ったはずである。
だから女の子は女になった後、「私は男子ではなかった、男子にはなれなかった」ということを、自分の引き出しの奥深くにしまい込む。そして「男なんかじゃなくてよかった」とすら思うようになる。
女の特権を心ゆくまで行使しなければ元がとれないと、デート代を毎回男に持たせるようになったりもする。あるいは、「女の感性」で勝負できる分野を縄張りとする。逆に「女」が通用しない場にあえて打って出る。あるいは、「男も女も一緒でしょ」と性を忘れたふりをして振る舞ってみる。
これらのことを、全部一緒にやったりもする。
いろいろとじたばたするのである。
そうでもしないと、「男子にはなれない」と悟った惨めさ、あの時の諦観をどこかにこっそりしまい込んだという事実と折り合いがつけられない。
こういうことは男の子、および男には起こらないことだろう。男の引き出しは開けっ放しだから。
引き出しにしまい込んで忘れていたものが、突然発見された時、それはそれはこわいだろう。
そのこわさを知っているのは、元女の子である。