楽しいレジャー

遠いディズニーランド

約一ヶ月の休業期間も終わり、今週は久しぶりに仕事(大学の授業)に行った。2月3月は仕事がないので、また休業期間。その間に細かいバイトをやったりはするが、非常勤の私は一年のうちの3分の1くらいは全然働いていないことになる。
それでお金がないない言ってりゃ、世話ないわな。
お金はない代わり、時間はたくさんある。時間があってもお金がないと楽しめないという人もいようが、少ないお金でレジャーするのも貧乏人の知恵である。


私のレジャーその一。
家に引き蘢り、買ったけど全部読んでなかった本や、読んだけど内容忘れてしまった本や、何回読んでも面白いので読み直したい本とかマンガとかを読み耽る(経費0円)。
その二。
朝10時くらいに起きて、近所の喫茶店でモーニングを食べながら、女性セブン、女性自身、週刊女性、文春、新潮、各種スポーツ新聞をじっくり読む。土日だとおじさん達が来て、女性誌以外の週刊誌と新聞を独占してしまうので、全部読むには平日でないとダメ(経費コーヒー代350円)。
その三。
平日昼間のスーパー銭湯に行き、おばあさんとお仕事前のおねえさん達に混じって、たっぷり1時間半くらい出たり入ったりする(銭湯代400円)。
その四。
名古屋空港の近くに車で行き、マイルス・デイヴィスをBGMにカレーパンを齧りながら飛行機の離発着を眺める(カレーパン代100円)。
その五。
木曽川のほとりを散策し、カーペンターズをBGMに川面を眺めながら焼きおにぎりを食べる(焼きおにぎり自分で作ればほとんど0円)。
‥‥もういいですね。
こういうことを毎日繰り返していると、だんだん世の中から取り残されたような気がしてきて、なかなか味わい深いものがある。


一般の人のお休みの日のレジャーとなると、海、山以外では手近の観光スポットのような場所に行くのが普通だろうか。
動物園や植物園や水族館は私もわりと好きだが、遊園地やテーマパークなどは積極的に行きたいと思わない。「園」や「館」の静かなたたずまいと比べて、あのアトラクションや乗り物の騒々しさ。とってつけたような建物の意匠。さあこれで楽しめあれで楽しめという押し付けがましさに、ついていけないものを感じる。
ソフトクリーム片手に走り回るわがままな子供がそこかしこにいるのも嫌だ。


それにしても不思議なのは、なぜ大の大人がディズニーランドなんて行きたがるのかということだ。
ディズニーランドでは酒類が提供されてないので、ディズニーシーならいいとかいう問題ではない。
フランスのユーロディズニーランドは赤字で長らく業績不振だったそうだが、東京ディズニーランドは相変わらずの人気。そんなに日本人はディズニー(というかアメリカ)が好きだったのかと思う。
子供の頃は、私もディズニーのアニメが大好きだった。
『ダンボ』の「ドラッグ幻想」シーンや『101匹わんちゃん大行進』のタイトルバックのセンスなどは、今でも新鮮で感心する。
しかし、あの象や犬を三次元で見たいとは思わない。あれはお話の世界、映像世界だから楽しいのであって、虚構に現実の物の手触りを与えることには違和感がある。


それにディズニーランドは、遠い。朝起きてふと、今日はお天気がいいからちょっとディズニーランドでも行くか、というわけにはいかない。
おそらく何週間も前から休日の予定をやりくりして、周囲の人には今度ディズニーランドに行くということを触れ廻り、前日はお金を下ろし準備万端整え、朝は5時に起きて出かけるのである(地方在住者は)。
そして着いたら、帰るまでになるべくたくさんのアトラクションを楽しまないといけないから、のんびりしている暇はない。
園内の地図を片手に、どこから攻略していったら最も効率良く多くのアトラクションを消化できるか、昼食はどこで食べるのが賢明かなど、計画通り速やかに事を運ばないとならない。
そうこうしている間にも、やたらとフレンドリーなでっかいネズミが手を振りながら近づいてくるので、一緒に写真も撮らねばならない。
お土産のリストをチェックして、買い忘れがないか確かめねばならない。
エレクトリカルパレードが始まるまでにすべての行程を終えるべく、残り時間の計算もしないとならない。


休む間もなく娯楽を消費せねばならない状況というのは、休む間もなく働く状況に似ている。後者はそれで幾許かのお金が入ってくるが、前者は出て行く一方。
お客さん(お金)は、ディズニーランドという巨大な機械を稼動させる油みたいなものである。油が入って初めてアトラクションもレストランも回転しシンデレラ城も輝く。お客さん(お金)がいない時、そこは単に異様な形に鉄とコンクリートで固められただだっぴろい区画。
馴れ馴れしいネズミに騙されてはいけないよ、あれはお金で動いている生き物だよということを、子供にしっかり教えるべきであろう。

失望のフラワーパーク

動物園や植物園の動・植物達の面倒を看て生かしているのも、入場者のお金である。
しかし当の動物や植物はそんなこと知らない。動・植物は、お客を楽しませてまた来てもらおうというセコいサービス精神もなく、そこに暮らしている。シロクマもライオンもこちらに無関心なようだし、ブーゲンビリアやカトレアもこちらと関係なく咲いている。別に私のために咲いててくれたわけじゃなくて、自分勝手に咲いているのである。当たり前だが。
手を振りながら近づいてくる猿などがいたら厭だが、猿はこちらを小馬鹿にしたように一瞥しキーキー吠えるだけ。
象も客の目と鼻の先でボタボタと山のようなウンチを垂れ、長々放尿している。
ライオンは寝たきりちっとも動かない。
皆さん、たいしてやる気がなく大変マイペースなところが好もしい。


水族館もたまに行くと新鮮な場所である。
ああまた水槽に鼻をくっつけて口を開いてるバカが来た、と「思った」のは『ドリトル先生航海記』に出て来る水族館の魚だが、もう大人なので生き物を擬人化して見ることもない。
「かわいい魚だね」
「これ食えるよ。から揚げにすると意外といける」
「シッ声が大きい。子供がこっち見てるじゃない」
などという会話を交わしながらのそぞろ歩きも一興である。


動物も面白いが、植物を愛でるのも楽しい。フラワーパークは日本各地にあるようで、ちょっと遠出をするとそうした看板を目にすることがある。
家から車で40分くらいのところにも、数年前「なばなの里」(三重県桑名郡長島町)というフラワーパークができた。まだ今は花の季節ではないが、暇だったのでこないだ行ってみた。


千円の入場料で五百円のチケット2枚くれ、それが園内で使うクーポン券になっている。
広い敷地は大きな池と教会風の建物(カフェとレストラン)を中心に花壇を縫って小川があり、様々な店(タコ焼き屋などはなく、和洋中華のレストラン)が雰囲気を壊さない程度に点在する。温泉まである。フラワーパークとしてはまあまあの規模で、他のフラワーパークとの違いを強調するために、飲食関係などのお店を充実させているのである。
園の奥には、巨大な温室がある。ベゴニアの展示をやっており花の量が半端でなくすごかったが、ここの入館料だけで千円は高い。
クーポン券で一瞬入場料タダみたいな気になるものの、温室に入ってカフェでお茶でも飲んだら二人で三千円。
かといってフラワーパークに来て温室見ないで帰るのももったいないし、近くに飲食店などないところだから、結局何だかんだでお金を使わせるようにできている。
それにしてもカップルが多い。ほとんどデートスポットだ。


一周して土産物店に入った。花の種とか腐葉土とかいったものは売ってなくて、地元の特産品と銘菓とファンシーな小物が並んでいる。特産品やお菓子はまあわかるが、ファンシー小物はなぜ? 
不思議なことに、これがどこに行ってもあるのだ。土産物店には必ず、かわいい和風小物だのおもちゃのアクセサリーだのぬいぐるみだのふわふわのついたキーホルダーだのを置かねばならない、という決まりでもあるのだろうか。
仕方ないので、押し花のハガキを買った。 フラワーパークなのだから、 花関係の品を充実させてもらいたいものである。


夕暮れ時なのに人が多いなと思っていたら、「5時に入り口の高さ15メートルの樅の木に点灯します」という園内の放送。
お客さんはみんな入り口の方に向うのでつられて歩いていくと、鐘の音がして樅の木にイルミネーションが灯ると同時に、コードが張り巡らされていたのだろう(気づかなかった)、園内の花壇のそこここが次々と光りだした。
あらゆるところにイルミネーションが。
カップルの女の子が「わぁステキ」と喜んでいる。
‥‥やめてほしい。こういうステキな演出は。
花壇のある庭園なんだから、もっと静かな灯りにしといてほしい。
なんでどこもかしこも夜のディズニーランドみたいにしたがるの? 
年柄年中クリスマスみたいな気分でいたいわけ? 
花壇付きの飲食店街かここは。


とは言いつつも、小腹が減ってきたし寒いので、どこかに入りたい。
レストランの入り口のメニューを見ていたら、けたたましいおばさんの集団とけたたましい女の子のグループが相次いで入っていった。
それで決心がつき帰ることにした。


最初から、木曽川のほとりに焼きおにぎり持って和みに行けばよかったのである。
調べてみたら「なばなの里」は、長島スパーランドという東海地方では超有名な遊園地を経営する長島観光開発が始めたところ。そんなことも知らず、素朴なネーミングに騙されて行った方が素朴過ぎたんだなと反省した。