パソコン騒動記

クラッシュ!!

先週土曜の夜中に、愛機パワーブックG3がクラッシュした。
パソコンのクラッシュというと、普通は使用中に起こり、使っていたすべてのアプリケーションがふっとぶとか、画面が真っ暗になってうんともすんとも言わなくなるとか、突然悪魔の顔が現れて微笑むとかするらしいが、そういうやつではない。文字通りの物理的なクラッシュ。
家の階段の最上階でパワーブックは私の腕からするりと滑り落ち、急な階段をばこん!ばこん!ばこばこん!と派手に転がり落ちて、玄関の三和土にばこっ!と裏返しに叩き付けられたのであった。


ノートパソコンを持っている方は、そのシーンを想像してみて下さい。
しかもパソコンはそれ一台きりで、ここ最近まったくバックアップをとってなかったと仮定して。
血も凍るような光景である。落ちていく間、たぶんすごい声で叫んでいたと思うが、あまりよく覚えていない。
階段をほとんど一飛びで飛んで降りた。
ウインドウ部分は外れかけ、サイドのDVDドライブの蓋はどっかに吹っ飛び、本体の隙間から中身が見えている。ほとんど半泣きになりながらおそるおそるパワーボタンを押すと、液晶画面一杯に、ペンキを壁にぶちまけたような禍々しい模様が現れた。
それきり、どこをどう触ってもしーん。
万事休す。
いっそ悪魔の顔が現れてあざ笑ってくれた方がよかった。


5年使ったパワーブックG3。
そろそろ買い替えたいとは思ってはいたが、なんでこんな壮絶な死に方せねばならないのか、持ち主の心がけが悪くて罰が当たったのかと自分を責めてももう遅い。深夜しくしくとひとしきり泣いて寝る。
朝起きてあれこれと考えた。
新しいパソコンを買って、そこにデータを移し替えればいいのはわかる。しかし業者に頼むとお金がかかる。早急に買わないと通信関係を初めとして何かと大変困るけど、お金は使いたくない。
というか貧乏な上に月末なので、お金の余裕がない。生活費を除いてぎりぎり12インチのノートパソコン一台買えるか買えないか、という状況。


トラブルが起こるといつも頼っている、青山くんという人がいる。私にはパソコンの神様である。
とりあえず神様の声を聞いて気持ちを落ち着けたいのだが、彼は携帯電話を最近やめてしまったので、メールでないと連絡が取れない。そして残念なことに私は携帯メールをやってない。メールアドレスの控えもない。
しかし神様は、以前私が美術活動やってた頃に所属していたギャラリーの上に、仕事部屋兼住居を持っており、ギャラリーのオーナーのコヅカさんと仲良しである。従ってそのギャラリーに電話連絡をとって、今いるかどうか確認してもらおうと思いついたのはよかったが‥‥、
なんということだ、今日は日曜で休廊日。


ぶっこわれたパソコンを前にじっとしてはいられないので、とりあえず有り金を下ろしてパソコンを車に積んで暗澹たる気持ちで名古屋方面に向かう。
困ったなあを百回くらい呟いたところでふと気を取り直し、万に一の可能性に賭けてギャラリーに電話してみると、おおこんなラッキーなことがあるだろうか、いつもは絶対いないはずのコヅカさんが出た。僥倖だ。
ここで罰あたりな私にも、運が向いてきたのであった。

ブラックボックスの身体

コヅカさん曰く「青ちゃんなら今ここにいるよ」。
あのつかまりにくい神様がそこにいる!僥倖な上に千載一遇である。
「パソコンこわれちゃったよう」
「あ、そう。僕のマックもイカれてるから、ばらして2台合わせたら1台できちゃうかもしれませんねぇ。ははは」
そんな悠長なことを言ってる場合じゃないて。
ということで、パソコン屋に直行する前に、ギャラリーに寄ることになった。


目の前でどんどん解体されていくパソコンを見るのは初めてである。G3ノートが、どんどん只の物のカケラになっていく。物のカケラになっても、データだけは生きていて、それをそっくり他のパソコンに移し替える方法が存在する。
当たり前のことなのだろうが、これが私にはとても不思議。人間だったらあり得ないことではないか。
ある日交通事故に会って死んでしまった人の脳を別の身体に移植するなど、SFの領域の話である。パソコン以上に人の体はブラックボックスだ。
事故で過去の記憶を失ってしまう人もいる。その人の記憶は脳のどこかに保存されていて、再生機能だけがダメになったということなのかもしれない。パソコンの故障と似ている。
しかし再生されない記憶とは何だろう。それは記憶と呼べるのか。そもそも記憶とは正確な過去の事実の再現ではないから、パソコンのデータとは違うわけだし。


そんなことを考えながら、青山くんがてきぱきと各種のネジを取り外し、あちこちをいじくり回しているのを呆然と眺めていると、コヅカさんが「どういうパソコン買うの?何、20万以内のノート?」と、これもてきぱきとマックのノートパソコン価格をネットで調べ出した。
そうだ、ぼんやりしている場合ではなかった。
「マックのノートがいいんなら、これは?」ということでiBookG4を購入することに決定し、コヅカさんはまたてきぱきとどこかに電話をかけて、
「もしもしミズノくんいる?今忙しいって?そんなこと言わないで急ぎだからすぐ呼んでよ。ああミズノくん、コヅカだけどiBookG4在庫ある?15,7000円ね。じゃあそれにメモリ増やして768MBにしといて。後でウチのアーティストのオオノさんて人が取りに行くから早急によろしく!(ガチャ)じゃあもうちょっとしたら、コヅカに紹介されたって言って買っといで。はいこれ地図」
‥‥ということで、とんとんと話は決まってしまった。


コヅカさんとこのアーティスト(過去だけど)になりすましてiBookG4を無事購入し帰ってくると、延々とデータの読み込みが始まった。
ほとんどのデータは救出できたが、青山くんの奮闘にも関わらずメール関係はダメであった。しかし書きかけのテキストが救えただけでも有り難い。ついでにいろいろソフトを入れてもらい、メールの設定までしてもらう。
呆然としているのは当事者だけで、周りはどんどんしかるべき処置を取り、何から何まで人任せの私。私がしたことと言えばパソコン買いに行ったことだけ。


そんなわけで、「ばこっ!‥‥しーん」から約15時間後、何事もなかったように真新しいパソコンでしゃかしゃかとテキストを書けるという状態になれたのは、すべて親切な他人のお陰である。
人間関係なくして私のパソコン環境なし。私も少しは人に頼られるような人にならないといけない。


機種が新しいので動作が早く賢い。脳の中身は一緒だけど身体機能が違うから、頭までよくなったような気がする。いや、考えてることは同じだが、喋ったり思い出したりするのが少し早くなったという感じである。
人の場合はどうだろう。
喋ったり思い出したりがだんだん滞るようになって、それに伴って思考も退化していくのか、身体機能の低下にも関わらず思考は深まっていくのか。
願わくば後者でありたいものだ。