伴奏者

音楽の時間

先日、ピアノレッスンのことを書いていたら、小学校の時の出来事を思い出したので、書いてみる。


小学校の先生というのは、基本的に全教科教えなくてはならないことになっている。人には得手不得手があるので、たまにどうしても音楽がダメで、他の先生が代わりに来る(小6の担任がそうだった)などという場合もあるが、一応全部できることが建前となっている。専門性が低いといっても、よく考えるとなかなか大変な仕事だ。
4年の時の担任だった若い女性教師は、オルガンが苦手な人だった。コードが二つしか弾けないのである。どんな曲でも、C(ドミソ)とG(シレソ)の二つで強引に押し通す。
この伴奏で歌わされるのがつらかった。クラスで合唱していても、なんとなくみんなの気持ちが乗ってないのが、歌い方でわかる。先生が一生懸命やってるので、みんな文句は言わずそれにつきあっている感じ。


休み時間には、ピアノやエレクトーンを習っている女子が、よく教室のオルガンを弾いていた(昭和40年代当時、小学校の各教室にはまだ足踏みオルガンがあった)。
一人が弾き出すと決まって3、4人が群がって、「次、弾かせて」「その次あたし!」と騒ぐ。そして弾くのは決まって、「猫ふんじゃった」。
私は「猫ふんじゃった」が好きじゃない。クラシックにどっぷり浸かっていたせいかもしれないが、なんかふざけた曲に聴こえたし、みんながそればっかり弾くのでイライラした。あんなの黒鍵だけじゃないか。
オルガンには、とても触りたかった。だけど「次、弾かせて」が言えないので、いつも横で黙って見ていて「弾かない?」と言われるのを待っているのである。
で、おもむろにバッハのインベンションなどを弾く。内心ちょっと得意になって。でも「‥‥それ、知らなーい」「猫ふんじゃった、連弾しよーよ!」で、すぐに椅子から押しのけられるのであった。


そういう場面を先生が見ていたのかどうか知らないが、授業後、音楽の時間にやったのを弾いてみてと言われた。弾いたら、次の時間に伴奏してと言われた。私にとっては大変名誉なことである。
‥‥さて音楽の時間。「じゃあ大野さんちょっと」と言われてオルガンの前に座ると、突き刺さってくる女子の嫉妬と羨望の眼差し。気持ちいい。
いつもの先生の伴奏とは全然違う本格的なやつで盛り上げてやろうと、私は意気込んでいた。コードをいろいろ工夫し、譜面にないマイナーコードもこまめにつけて弾いた。
ところが、それが大失敗であった。伴奏のコードがころころ変化し過ぎて、みんなが歌いづらかったのである。
途中で歌声がばらばらになり、「あれ?」「何かヘン」という声が聞こえた。先生はちょっと困った顔で私を見て言った。
「普通に弾けばいいのよ」
恥ずかしいのと悔しいので、顔が真っ赤になった。仕方なく言われる通りに、譜面通りのクソ面白くもない平凡なコード進行で弾いた。
「誰も私の伴奏の独創性を理解しないのか」と不服だったが、よく考えると余計なことをしたのである。ソロで弾くわけでもないのだから、歌う人が歌いやすいように弾くのが伴奏者の務め。しゃしゃり出てはいけないのだ。


自分の"目立とう精神"の浅はかさというものを、厭と言うほど思い知らされたわけだが、ピアノだけが取り柄の小4の私は、即座に反省モードには入れない。
休み時間、女の子達が「普通に弾けばいいのよ」と先生の口真似をしているのが聞こえた。ふん、あんた達は「猫ふんじゃった」でも弾いてればいいのよ。もう伴奏なんてやってやるもんか。


しかしその後、私は2回も引き受けることになる。

先生のギャンブル

3月になると毎年、6年生を送る会が講堂で開かれる。そこで5年生が合唱をすることになっていた。
合唱の指揮をするS先生に突然、そのピアノ伴奏という大役をお願いされてしまった。「コード2つだけ」の先生が推薦したのかもしれない。
S先生は中年の女性教師で、話が面白くていつもオシャレで颯爽としていて、女子に人気だった。私も先生のファンだったので、喜んで引き受けた。
曲は「春」(♪春のうららの隅田川)の三部合唱。
先生から渡された合唱曲集の伴奏の楽譜を見て、私は腰を抜かしそうになった。
な、なにこれ。こんなごちゃごちゃした細かい譜面、見たことない。途中変調してマイナーになる凝った構成で、難しそう‥‥めちゃんこ難しそう。


しかしやると言った以上、後には引けない。家で、自分のレッスン曲そっちのけで必死に練習した。
レッスンに行った時、ピアノの先生に聴いてもらったが、苦笑いされてしまった。「ペダルもまだ満足に踏めない子に、こりゃちと無理だわなぁ」と言ってペダル使いを教えてくれたが、人前で自信をもって披露できるレベルには、なかなか辿り着けなかった。
そのヤバいレベルのまま、学校での合同練習に臨んだ。ミスタッチの連続。合唱についていくのがやっと。汗びっしょりである。
練習が終わったとたん、クラスのガキ大将がやって来た。
「オイ大野、ちゃんと弾けよ」
なんでいつもクラスメートに文句ばかり言われるんだ、私は。
もうこれで伴奏を降ろされると思っていたが、S先生は楽譜を入念にチェックして、少しだけ弾きやすいように直した(それでもまだ難しい)。そしてニコニコして「大丈夫大丈夫」と肩を叩いた。
こっちはこんなにプレッシャーに喘いでいるのに、何が大丈夫なんだ。自分の下手クソさを棚に上げて腹立たしくなってきたが、口では「ハイ、がんばります」。私は内心不安におののいていても、自動的にそういう態度をとってしまうええカッコしいの見栄っ張りだった。


それからの約2週間というもの、私の学校の宿題は主に母親がやることになった。
朝起きて学校に行く前に練習、放課後講堂のピアノで練習、帰ってきてご飯を食べて練習、寝る前は譜面の上で指だけ動かして練習。
本番に全校生徒と先生と父兄の前で、恥を晒すわけにはいかないのである。そんなんでもなったら、私はもう二度と学校には行けない。ぜったい行けない。


そこまで思い詰めていたことはよく覚えているのだが、肝心の当日のことは、必死だったためか記憶がとんでいる。致命的なミスはせずに済んだが、決して上出来ではなかったと思う。
しかしS先生はニコニコして「ありがとう。よかったよ」と、その楽譜の本を私にくれた。
母は後で先生に、「無理に頼んですみません」と言われたらしい。まさか「私が宿題やってました」とも言えず、「大役を頂きまして」とか何とか答えたらしい。


大事な学校行事で、生徒に明らかに実力以上の難度の伴奏をさせるのは、相当のギャンブルである。
150人くらいの合唱の中で一人音程を外しても目立たないが、伴奏者が決定的なミスをしたら目立つ。S先生だって最初に私が弾いたのを聴いた時は、「ヤバい」と思ったはずだ。たぶん内心ずっとそう思っていたのではないか。涼しい顔をしていたが。
しかしここで降板したら生徒の自尊心が傷つくだろうと"教育的配慮"をして、一か八かの賭けに出たのであろう。たまたま難なく済んだからよかったが、そうでなかったら先生の責任が問われかねない。剛胆な人である。
そんなわけで、私はますますS先生に憧れてしまったが、これでもし大失敗でもしていたら、自分のことを棚に上げて、S先生を思い出したくない先生リストに入れていたかもしれない。


あと一回の伴奏は、中学2年の時だった。そこで思いもかけない大変なことになるのだが、それはまた次回。