藤城清治の影絵

この間の日曜日、NHK日曜美術館」で影絵作家の藤城清治を特集していた。『「光と影の”又三郎”」藤城清治 89歳の挑戦・完結編』(前編の方は見ていない)。
昭和30年代生まれの私にとって、藤城清治の絵は幼少の頃の記憶と強く結び付いている。NHKの「みんなのうた」、『暮らしの手帖』の挿絵、ケロヨン‥‥。
番組を見ていて懐かしくなり、『影絵 藤城清治作品集』(1960、東京創元社)を本棚から取り出して、十数年ぶりにページをめくった。


左:箱、右:本体
「海の中の幻想」 海に落ちたピアノのモチーフは他でも出てくる。
銀河鉄道の夜」の影絵劇のポスター。


子どもの頃、この箱入り美麗本を開いてその世界に浸るのは、私にとってとても贅沢な時間だった。
まず最初のカラー口絵をじっくり眺め、2時間くらいかけてゆっくりページを繰る。彼の作ったキャラクターである小人や女の子の姿かたちやポーズ、こうもり傘や屋根や木馬やピアノや猫や木や花や水の表現、鋭い輪郭、大胆な構図、繊細な陰影、美しい光の色。図版のあらゆる要素を味わうべく、一枚一枚をじっくり舐めるように見た。
さまざまな媒体に掲載された中から選ばれた作品なので、添えられている詩やお話は子ども向きとは言えないものもあったが、そこがまた作品世界の奥行きを深めているようで、細かい意味はよくわからないながらも魅力的だった。
最後の『西遊記』の挿絵にさしかかると、いつも残念な気分になった。もうあと少しで見終わっちゃう。この時間が終わってしまうのが惜しくてならない。とうとう最後のページまできて本を閉じ、もう一度表紙と裏表紙(一繋がりの絵になっている)をつくづく眺め、大切に箱に戻す。あと一ヶ月か二ヶ月くらいしたらまた見よう‥‥。


物心ついた頃からこの画集を何十回と繰返し見て育った私は、知らずしらずのうちに物の形のバランス、画面への配置の仕方や色遣いのセンスなどをそこから吸収していった。モノクロの初期作品には寂しげで透明なポエジーが溢れており、その独特のメランコリックな雰囲気にも影響を受けた。美術に関する私のもっともプリミティブな素養や感覚は、藤城清治の影絵が元になっていると言ってもいいかもしれない。
美術方面に進路を決めて後は長い間、藤城清治の影絵のことは忘れていた。というか、そういう”わかりやすいもの”から意識的に遠ざかろうとしていた。けれども久しぶりに画集を開いて、「私の原点はここだったんだな」と思った。
藤城清治は中学の頃から授業中に先生の顔を盗み見て描くのが得意で、大学を卒業後テアトル東京の宣伝部にいた頃は、ハリウッド映画を見まくっていたという。彼の卓越したデッサン力と構図のセンスはその中で磨かれたもので、美術学校で学んだものではないということを後で知った。


何冊か持っている藤城清治の本の中で、1960年に出た最初のこの画集を一番気に入っているのは、よりカラフルで技巧を凝らし豪華絢爛な感じになっていった後の時期より初期作品の方が好みだということもあるが、私が1歳になる前に父が買ってくれた本だからだ。他のさまざまな絵本を見るより早く、この影絵の本を父の膝の上で眺めていたのだから、心に焼き付けられたのも無理はない。
奥付けに1300円とある。教員の初任給が1万円くらいの時代、高校教員になって7、8年目の父が幾ら貰っていたか知らないが、結構高い買い物だったと思う。


藤城清治の影絵に強く見られる童心とロマンティシズムを、細々と小説や童話を書いていた父も持っていた。影絵の美しさに惹かれただけでなく、大正13年生まれの同い年で、同じく海軍の予科練に入り二十歳過ぎに戦後を迎え、子どもの世界に「理想」を見ようとしている点に共感するものがあったのではないかと思う。
当時は人形劇や影絵が盛んで、父が顧問を務める高校の童話部でも毎年文化祭に影絵劇の上演をやっており、よく連れられて見に行った。暗闇の中に浮かび上がる夢みるような光と影の物語。すっかり影絵に夢中になった私と妹は、家でボール紙を切り抜き、磨りガラスの引き戸をスクリーンにして遊んだ。


そんなことをぼんやり思い出しながら「日曜美術館」を見ていたのだが、印象に残ったのはなんといっても、もうすぐ90歳を迎えるにも関わらず、まったく衰えを見せない藤城清治の”現役感”だった。実際、現役だから当たり前なのだが、つくづくこの方面は長生きで元気な人が多いと思う。頭を使い手を動かしてものを作り続けていく人というのは、普通の人に比べて現役時代が長いのかもしれない。二ヶ月前に亡くなった父の晩年の衰弱ぶりと、つい比べてしまうのだった。
さらに、服装が若々しくおしゃれなのにも驚いた。エンブレムのかたちの小さな黒いポケットがアクセントになった白いTシャツ、白の綿麻っぽいハーフパンツのスーツにきれいな水色のショール、ボーダー長袖Tシャツと紺の半袖Tシャツの重ね着、紺のトレーナーに紫地に水玉模様のパンツ‥‥。
テレビ向けにスタイリストがついたのだろうか。そういう小賢しい演出を許容する人には思えないので、たぶん自前だろう。どれも白髪にしっくり似合っていて素敵だった。