石原慎太郎の暴挙

ジェンダー・フリー」とは和製英語だそうだが、「シュガー・フリー」のような、ジェンダーをいっさい無くすという意味ではない。「ジェンダー規範の押しつけ(による性差別)からの自由」と私は理解している。
男女平等とか広義のフェミニズムとほぼ同じような意味だが、個人の中に内面化されている性認識や性差別意識を検証し、無意識のうちに他人にそれを押し付けることのないようにしよう、という観点から作られた言葉だろう。


ところがこの言葉は、男女の差異をなくそうとする(?そんなことできるわけない)ものであり、「男らしさ」や「女らしさ」を尊重してきた日本の伝統や文化を破壊する意図をもった言葉だと一部で看做されて、最近のジェンダー・バッシングでいつもヤリ玉に挙げられている。
つまり「ジェンダー・フリー」は安易に使うと誤解を招くので、使いづらい。私は授業では、言葉の意味とそれがバッシングされている状況説明だけに止めて、普通には使わない。
伝統や文化は前近代から続くものだから、中には昔ながらの古臭い性認識を強化固定するようなものもあるだろう。しかし「ジェンダー・フリー」思想が伝統や文化を破壊する、とまで指弾するのは事大主義である。
それならフェミニスト(といっても皆が皆ジェンダー・フリー論者ではないが)は、ノーメイクで中性的なファッションという「伝統や文化が破壊された外見」をしてなければならないことになる。「ジェンダー・フリー」という言葉があってもなくても、廃れる伝統や文化は廃れると思う。


東京都教育委員会も、「ジェンダー・フリー」=「男らしさ」「女らしさ」の否定、伝統文化破壊との大袈裟な認識を持っているようだ。それでこの用語や概念を使わないという方針を出している。特定の言葉を使うなということは、その言葉を使ってできる思考そのものを禁じることである。
昨年、国分寺市の市民講座での社会学上野千鶴子の講師起用に対し、彼女が「ジェンダー・フリー」という言葉を使うかもしれないという理由で"待った"をかけて、講座そのものを潰してしまった。
ジェンダー・フリー」という言葉を、上野千鶴子は使っていないらしい。しかもその講座は「ジェンダー」ではなく「人権」に関する講座だった。上野千鶴子と聞いただけで過剰反応している東京都教育委員会
おそらく、彼女がその言葉を使おうが使うまいが、東京都はセックス、ジェンダーセクシャリティをめぐる様々な研究や対話や議論そのものを潰したいので、因縁をつけて妨害したということだろう。どこから見てもマッチョな男根主義者の石原慎太郎のやりそうなことだが、これって憲法違反にはならないのだろうか?少なくとも権限の行使の範囲を超えているのでは。


現在、上野氏個人の公開質問状とは別に、美術史家でジェンダー研究者の若桑みどり氏らが呼びかけ人となって、東京都に対し抗議文を提出することになり、署名を集めている。抗議文と「事件」のあらまし、公開質問状などはこちら
私はこのブログや本サイトのBBSで上野千鶴子を批判したことがあるが、東京都(=石原)のやることがあまりに変と思うので、署名した。
この抗議文は、「ジェンダー」「ジェンダー・フリー」という言葉について、ジェンダー研究者や社会学者の間での最大公約数的共通見解を大雑把に知るのに便利である。いろんな人の意見を取り入れつつ、短期間に作成された文なのでややぎこちないが、内容的にはまあ当たり前のことが書かれている。
抗議文への賛同表明はそのページから送信できる。実名を出したくない人は匿名選択可。締め切りは26日(木)正午まで。今月末にはこの抗議文に、賛同者の名前をつけて、都庁を訪問し手渡し後、記者会見を開く予定とのこと。


しかし、東京都が抗議に謝罪することは期待できないだろう。あの石原慎太郎が素直に非を認めるわけがない。‥‥となると、裁判という可能性もなきにしもあらず。


●追記
ジェンダー・フリー」については、ジェンダーフリーとは 〜Q&Aですぐわかる!〜が親切。ジェンダー関連で疑問のある人はご一読を。