あなたの顔が好き

男を褒める言葉

前回の記事にいろいろコメント(07/11/23追記:旧ブログのコメント欄再現は不可能でした)がついたのを読んで、私は少し考えた。チェシャ猫さんの書き込みの中にあった
>こういうヘンな難問に対して相手がどんな答えをしてくるのかというのは(それが真実か真実でないかにかかわらず)結構興味深いことにも思えますが
の下りが気になる。いっそ、一度ちゃんと訊いてみるのはどうだろうか。今になって改めて訊くのも嫌だが、どういう答え方をするか知りたいような。


そんなことを考えながら横目でじーっと夫の顔を見ていたら、妙な気配を察したのかテレビの方を向いたまま
「なんだ?」
と言われた。それで、
「あのさ、真面目な質問だと思って真面目に答えて」
と念押しして訊いてみた。
「私のどこを好きになったの?」(おわー恥)
2秒ほど間があって返ってきた答えは、やはりテレビの方を向いたまま
「なんとなく」。
まあ今さらどこか褒めたって別にいいことは何もないわけだが、そのクールな態度を撹乱してみたいという気持ちが湧いてしまい、
「そう言えば、結婚したのは失敗だったって前言ってたよね」
といらぬ追い打ちをかけてみると、
「人生は失敗から始まる」
あそう。じゃやり直したら。
「やり直しはできん。失敗を元に軌道修正していくのが人生。修正修正また修正。俺の人生なんかな、もう修正液でベタベタだ」。
‥‥撹乱失敗。


ところで、前のツッコミ欄で吉田君が言及していた内田樹のブログ記事いかにして男は籠絡されるか。これを読んだ時は、「なにを当たり前のことをもったいつけて言ってんの」と思ったが、こうした断定的な書き方には、改めてなるほどと思わせるものがあるようだ。
特に、男を「籠絡」するのに、「才能」を褒めてもダメだったら「ルックス」を褒めよという点。

「こういう顔が好き」という女性が世界のどこかにいるかもしれない・・・という儚い期待を胸にすることなしに男は一秒とて生きることのできない悲しい生き物なのである。だから「あなたには才能があると思うの・・・」で落ちなかった男も、「あなたのルックスが好きなの」にはあっというまに崩れ去る。

と、内田樹は断言している。「あっというまに崩れ去る」かどうかはよく知らない(褒める人にもよる)が、相手のルックスくらい普通に褒めないかなぁ。
男を「籠絡」しようとしている段階で、相手のことがかなり好きなわけだから、その顔も嫌いではないのだ。その時点で「でも顔だけはどうしても許せない」「顔さえ良かったらなあ」などということはない。
かりにタイプの顔とは違っても、好きになれば顔も好ましくなる。世間一般的にはブサイクに入るかもしれなくても、それなりに男前に見えてくる。「誰も気づいていないけど私にとっては男前」の方が、嬉しいことさえある。


だから、相手のルックスをいいとか好きだと思うのは当然で、よほど無口か奥手の人でない限り、それを口にするのも普通のことだと思う。
そんな話を、内田樹の教え子達が「むさぼるように」聞いていたという記述を読むと、若い女は、男も自分のルックスを気にしていて褒めてもらえば悪い気はしない、ということすら想像しないんだろうかと不思議に思う(自分は褒めてもらいたいくせに、だよ?)。


ただ、女が男のルックスを褒めることを、単に「籠絡」の手段としてのみ活用しているようであれば、その「籠絡」の目的を疑った方がいいかもしれない。そこには別の意図があるかもしれない。
男もそういうことをする人がたまにいるから、当てはめてみたらわかる。

「ちょっとだけ自信がない」

内田樹が「男を落とすにはルックスを褒めなさい」と女子に言う理由は、「男が待望しているのは、「それが備わっているかどうか、ちょっとだけ自信がない」美質についての「保証」のひとことだけ」だからだそうだ。平たく言えば、男はルックスに自信を持たせてくれた女を好きになるんですよと。
内田は(書籍の写真でしか知らないが)客観的に見て、ハンサムと言えないこともない顔をしている。こういう顔を好きな人も一定数はいるだろうと思われる。きっと本人は「ちょっとだけ自信がない」男に自分を含めているのだろう。


しかしこれは、かなりブサイクな顔に生まれついてしまったり、事故かなんかで顔をひどく損傷した男にとっては、残酷な話である。「「こういう顔が好き」という女性が世界のどこかにいるかもしれない・・・という儚い期待」を持てない、すごく自己評価の低い人も世の中にいるはずだ。
内田の書き方だと、そういう者は「一秒とて生きることはできない」ことになってしまう。
掛け値無しのブサイクは死ねというのか。
そのような男はここでは最初から除外されていて、「すべての男は(驚くなかれ) 、自分の容貌にある種の期待を抱いている」わけである。つまりすべての男は(明らかにイケメンを除いて)、ルックスに「ちょっとだけ自信がない」。
論を単純明快にするために、「かなり自信がない」「全然自信がない」男の立つ瀬がない冷酷なことを内田は書いている。


なんでそこまでほじくるかというと、私自身がブサイクな範疇に入る女だからである。「「こういう顔が好き」という男性が世界のどこかにいるかもしれない・・・という儚い期待」を持っていいものかすっぱり諦めるべきか、思春期には相当悩んだ。
しかし女には化粧という手があるので、すっぱり諦められないところが悩ましい。ブサイクもブサイクなりの生き残り方があると知ってしまうと、「ある種の期待」を持たざるを得ない。才能と人格だけを磨けばいいのだと言い切れるほど、強い内面はないので。


話を戻し、ちょっとどころかかなりルックスに自信がない男になって、考えてみたい。
「あなたの顔が好き」と言われても、なかなかそれを文字通りには受け取らないと思う。きっと顔以外のどこかを好きになってくれたのだろう、それで顔も好ましく思ってくれたのかもしれん。冷静にそう考えたい。
「私の趣味すごく変わってるって言われるの」「世界にはこういう顔を好きなマニアックな女だっているのよ」までは言わなくていい。
私が男だったら、「この人はルックスに自信がなさそうだから、そこを突けばあっというまに崩れ去るはずだわ」と思われているのは、ちょっと嫌だ。それはブサイクの我が侭だろ、好意だけを素直に受け取れと言われても、そうまでして顔を褒めてもらわんでもいいという気になる。
いったい僕のどこを好きになったんだろう?なんとなく? それでいいや。


内田のブログを読んだ若い男性は、内容について賛同する一方で、今後、「こういう顔が好き」と女に言われた言葉を、虚心には受け止められない状態に置かれる。
それはさまざまな意図の隠された「籠絡」の手段としてのみ言っているのか、純粋に好みとして「こういう顔が好き」ということなのか、全体的に惹かれているので「顔も好きになった」状態なのか。好意を伝える言葉であっても、位相はいろいろある。
女子学生に男を落とす秘訣を伝授しつつ、男を猜疑心のカタマリにしてしまう内田ブログ。食えないおっさんだな。


ちなみに「内田樹がブログにこんなこと書いてたよ」と夫に話したら、「くだらん」の一言で終わりだった。
「失敗」と「修正」の人生を送ってきた中年男は、そう考えるということで。