「すべての○○は××である」という言明

挑発性と意外性と説得力

少し前はてな界隈で、<<間接的>>であれば、当然誰もが潜在的に「人殺し」だと思うんだけどなーとか、お前らは間接的人殺しだという記事を巡って議論があった。まだこのあたりのコメント欄で続いているが、これらの言葉が指し示していることに、私個人は特別疑問符をつける必要を感じない。
もっと前、売春をめぐる議論の時も「女はみな売春婦」といったコメントが、一部で問題となった。こっちの方は3月20日の記事で引用し、「悲しいが深く同意する」と書いた。
別に、私がいつもネガティヴなことを考えているから、これらの言葉に違和感を覚えないのではなく、「その比喩はありでしょうね」(売春婦)、「それは現実の切り取り方の一つですよね」(間接的人殺し)と思ったのである。


しかし「売春婦」「人殺し」に決定的にマイナスイメージが付与されているために、こうした物言いはある種の(比較的多くの?)人々の神経を逆撫でし反発を招く。
「私は売春婦なんかじゃない」とか「そんなミもフタもない言い方しないでほしい」とか「自分について言うのはいいが人を「人殺し」呼ばわりすべきでない」とか「誰をも間接的人殺しにしてしまったら、本物の人殺しを非難できなくなるではないか」とか「配慮がない」「誤爆である」「程度問題を無視している」など、個人的感情や政治的判断、あるいは個別のケースを持ち出して、反論、批判されるのである。
「女はみな売春婦」は、「すべての女は売春婦である」と言い換えられる。
「<<間接的>>であれば、当然誰もが潜在的に「人殺し」だ」と「お前らは間接的人殺しだ」は、「すべての人は間接的人殺しである」と言い換えられる(どこかでこれに近い言い方があった)。
そう言ってしまってもいいと思う。そういうフレームから見えてくるものがあるはずだから。


さて、ここではそれぞれの議論の詳細には立ち入らない。私が注目しているのは、「すべての○○は××である」という確信犯的言明のスタイルである。
「すべての○○は」と大きく出て、「××である」ときっぱり言い切る潔さ。一つ間違えば驕りや中傷にもなりかねない極論スタイルだが、使い方によっては非常にセンセーショナルな効果を生み出すキメのセリフとなる。これほど魅力的なフレーズは、ちょっと他には思い当たらない。
このフレーズは、端的に事実、あるいは真実の指摘としてなされる。しかし指摘していればそれでいいというわけでもない。
「すべての子どもは人間である」。当たり前だ。面白くも何ともない。だがこれをひっくり返すと、「すべての人間は子どもである」。こっちの方がまだ面白い。「すべての人間は子どもだった」でも、「すべての人間は神の子どもである」でもなく、「すべての人間はガキ」と言っているわけである。まあそうかもしれないけど、でもどうして? その根拠は? と、この言明の依って立つ論の具体的中身を知りたくなる。
「すべての女は売春婦である」「すべての人は間接的人殺しである」にあるのも、こうしたからくりである(「すべての売春婦は女である」「すべての間接的人殺しは人である」では何も言っていないに等しい)。
「最初の○○より、後の××の範囲は限定的である」と一般には看做されている点がポイントだ。そうした共通認識を問い直すものとして、この挑発的言明は意味をもつのである。


違うケースを考えてみよう。
村上龍の『すべての男は消耗品である』(消耗品に強調のルビが付いている)というエッセイがある。「男」と「消耗品」は普通、その指し示す範囲の重なるところのないまったく無関係の言葉だ。つまり「男」を、「消耗品」という人間ではなく物品に対して使われる言葉で言い表していることからくる意外性が、このフレーズの肝である。
「すべての女は贅沢品である」「すべての女は中古品である」「すべての男は耐久財である」‥‥内容の是非はともかく、いろいろ作れる。
これを使うと、「すべての女は産む機械である」(実際にはここまで言い切っていなかったが)なんてのもできる。「すべての男は消耗品である」と言った村上龍が非難されなかったのは、政治家の発言ではなかったということを除くと、男性自身による自分を含めた上での言葉だったからである。
男が自分で「すべての男は(女にとって)消耗品である」と言っている。そこから物悲しさや諦観や悟りを含んだ説得力、あるいはそう言い切れる「男の余裕」や慧眼を感じ取る人は多いだろう。もう一つはやはり、「消耗品」という言葉の選択が上手い。「産む機械」には想像の余地がないが、「消耗品」にはある。さすが小説家。


「すべての○○は××である」は、論拠を固め、言明した時の効果を考えた上で、確信をもって発せられるべき言葉である。挑発性、意外性、説得力を兼ね備えて初めて、この言い切りフレーズは命題としての効果を発揮する。構文がシンプルなだけに、これがなかなか難しい。

フレーズインパクト評価

「すべての○○は××である」はネット上にどのくらいあるのかと思い、Googleで「すべての」「は」「である」で検索してみた。781件まで見たところで、打ち止めとなった。実質的にこのフレーズに当てはまっていたのは、18件である(複数のページにあるものは最初に出た方か引用元を優先)。
次に「全ての」「は」「である」で検索。887件で打ち止め。該当したのは11件。以下、出てきた順に列挙するが、順位は常時入れ替わっているはずだ。また、既に新しいフレーズが生まれている可能性もある。
選択の基準として、「すべての人間は平等である」「すべてのサービスは無料である」といった○○の状態、様態の説明、「すべての○○は××であるか?」という疑問文、「すべての○○の要因(原動力、原因、ポイントetc)は××である」といった因果関係の指摘、「すべての○○は△△という(をするetc)××である」「全ての○○は所詮××」「全ての○○は××的である」といった余計な単語が入っている文は省いている。
つまり「すべての○○は××のようなものである」と言いたいところを、あえてスパッと「××である」と留保なしで言い切っている文のみを選んだ。


勝手に五段階のインパクト評価もつけてみた。タイトルとして使われている例が多いので、まずタイトル一発のインパクトで。内容の是非よりインパクト勝負。
その後で、リンク先の文章に一通り目を通した。どういう文脈で言明されているかによって、かなり意味合いが異なってくることがわかる。タイトルは面白いけど本文はちょっとアレかなというもの、本文での論によってタイトルの説得力が増しているもの、タイトル負けのものなど、さまざまであった。


すべての男は消耗品である ★★★★ やっぱりこれが最初に。村上龍はキャッチーなタイトルが得意のようだ。
すべてのブロレスはショーである ★ ミスター高橋著『流血の魔術 最強の演技』のキャッチコピー。ちょっと当たり前感が先に立つ。
すべてのOB・OG訪問は面接である  ★★ 戒め系。「たいていの会社では、たとえ、サークルやゼミの親しい先輩を頼って訪問したカジュアルなOB・OG訪問であっても、その内容や学生に対する印象などは人事に報告されていることが多い」。へー。
すべての食べ物は毒である  ★★★ 脅し系。「すべての食べ物は毒であり、有害かそうでないかを決定するのは量である。毒も許容される範囲内で摂取すれば問題ない。有害物質が含まれるからといってそれらの食品を避けるとすると、何も食べられなくなる。」 内容は普通。
すべての男は非モテである ★★★ はてな非モテ論壇の論者による論文タイトル。龍を意識したのだろうか。
すべての美人は名探偵である ★★ は? と思ったら「二人の美人探偵が挑む、究極のミステリー!」。なんだ。どっちにしても私には関係ないタイトルだ。
すべてのブログエントリは試作品である ★★ 「そして大多数は評価されることもなく終わり、たまに瑕疵を突かれてえらいことになったり、ごく一部は有用なフィードバックを貰えたり。」 完成された文章を書くのは難しいという話。
すべての反動派はハリコの虎である  ★★ 毛沢東語録。「長い目で問題を見れば、真に強大な力を有しているのは 反動派ではなく、人民である。」の前振り。
すべての関係は、テーブルである 星なし すばらしく意味不明。「解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会う」みたいな‥‥と思ったら、どうやらUNIXのデータベースの話だった。ダダじゃなかった。どっちにしても私には意味不明。
すべての小数派は障害者である ★★★ 物議を醸しそうなタイトルだが、「障害者」を巡る病理学的視点と社会学的視点の違いに触れているエントリ。
すべての仕事は売春である ★★★ 〜はどのような意味だと思いますか?というはてなエスチョンのページ。元はゴダールの言葉らしい。時々引用されるのは誰しも心当たりがあるからだろうが、「すべての女は売春婦である」と同じく、売春という仕事の特異性を隠蔽する効果もある。
すべての上司は「ムードメーカー」である  ★ 部下操縦法の本。部下の扱いに手こずっている上司の人に「お、ムードメーカーだったらなれそうだ」と思わせて買わせようという。
すべての音は音響「旋律」である ★★ 「旋律」ってメロディのことなのに?と思わせるところがひっかけのようだ。
すべての教育は洗脳である  ★★  これもたまに聞くフレーズ。それほど意外性はない。
すべての趣味は贅沢品である ★ 「趣味」と「贅沢品」が近過ぎるので星ひとつ。
すべての馬券はパズルである ★★ 実際はパズルじゃなくて組み合わせだが、本のタイトルとしてはいいのかもしれない。でも単勝は? というツッコミはなしなのかな。
すべての歴史は嘘である ★★ 選択基準からすると微妙だが。イギリスの作家の言葉。似たようなことを言っている人はたくさんいる。参考:歴史についての名言
すべてのSEXは強姦である ★★★★ マイナスインパクト全開。実はフェミニストの言葉を歪曲したものらしいが、ここではそう言ったという前提で「これもこれで一つの真実だと思う」と。歪曲については、キャサリン・マッキノンの擁護の「セックスとレイプを同一視したというウソ」の章を参照。
全ての創作はパロディーである ★★★ 「すべての創作は二次創作である」の意。「まぁ何つーか世の中に完全なオリジナルなんて存在しないんですよ!」 同意。
全ての老女は妖怪である ★★ 物語に出てくる老女についての考察。「すべての妖怪は老女である」の方がインパクトがあるかな。私も早く妖怪になりたい。
全ての人間は商品である ★ 今いち新鮮味とインパクトが‥‥。
全ての文章は暗号である ★★ 言葉には明示的内容とは別に隠された(抑圧された)意味がある、というフロイト的なことかと思ったら違ってた。
全ての警察官は強姦魔か予備軍である ★ 警官をdisる2ちゃんねら。当事者が読んだら怒る。
全ての解釈は翻訳である ★★ 創造的誤読というのもあると思うが(たくさんのコメントが全部英文で読むのに疲れて途中で放棄)。 
全ての潤滑油は信心である 星なし 意味がわからなかったので。自転車レースに出ているマニアの人のページだった。いろんな潤滑油を試した結果のフレーズ。
全ての人生はウイスキーである ★ ウイスキー工場見学記のタイトルだが、ちょっとわかりにくい。「全てのウイスキーは人生である」だったら酒飲みが喜びそう。というかヘミングウェイあたりが言ってそう。‥‥というかサントリーのコピーみたい。
全ての体験は学びである ★ これも時々耳にする。「すべての体験から学べ」という教訓として使われることが多い。
全ての漫画は「記号」である ★ 記号的表現を多用するからそれは当然のことではないか?と思ってリンク先を読んでいったら、エロ漫画の取り締まりに異議を唱える文章だった。
全ての男は欠陥品である ★  男性嫌悪に満ちた文章。しかしあなどれない村上龍の影響力。


星五つ!と言えるものはなかったので、これから出てくる、あるいは私の知らないところにあるということにしたい(こんなのがあるよ、というのがあったら教えてください)。
「すべての○○は××である」という言葉は、しばしば暴言、暴論と看做され、物議を醸す。しかし○○の本質、真実を××という言葉によってうまく言い当てている時、これは至言、名言、格言となる。人の気づかない観点からの説得力のある論を背景にした「すべての○○は××である」は、それを読んだ人の心に強く刻み込まれる。
一生に一回くらい、深い洞察に満ちた「すべての○○は××である」を言ってみたいものだ。