「わくわくが止まらない」が止まらない

時期外れの話題だが、大学の学期末レポートを読んで気になったこと。
地方の芸術系大学の1年生中心の一般教養のレポート。最近目につき出したのは、以下のようなフレーズ(今期の例)。


・わくわくが止まらない。
・精一杯の私で応える。
・好きを追求していく。


別に違和感を覚えない人もいると思う。でも個人的には、声に出して読みたくない日本語だ。専門学校かどこかのCMの安易なフレーズみたいで、モヤモヤする。
twitterやブログならともかくとして、レポートなら普通は、


・わくわくする気持ちが溢れて止められない。
・自分の力を精一杯尽くして応える。
・自分の好きなもの、ことを追求していく。または、「これが好き」という自分の気持ちに拘っていく。


という具合に文節化して書く。レポート説明の時も、崩しや省略は極力使うな、硬くてもきちんと書けと言っている。しかし、これまで文章訓練などほぼしていない上、整った硬い表現以前に、崩したラフな表現のほうが先に耳に入っていたら、それに影響されてしまうのだろうとも思った。


おそらく上の三つも、どこかに元ネタがあるに違いない。そう思い調べてみたが‥‥


・わくわくが止まらない→少年サンデーで連載の『メルヘヴン』というマンガの中に「わくわくがとまらないぜ!」という有名な台詞があるらしい。「〜が止まらない」の元祖はC-C-Bの『Romanticが止まらない』か。
・精一杯の私で応える→同じフレーズは見つからなかったが、検索していたら「これが私の精一杯」というのが出てきた。西尾維新ファンタジー小説化物語』を原作としたアニメのオープニングテーマに出てくる歌詞らしい。Jポップスにもありそうな印象。
・好きを追求していく。→元ネタわからず。10年くらい前から見かける表現で、学生や新社会人向けの啓発的文章でよく使われている様子。


私の記憶だと、こういう少したどたどしい言い方が新しい表現として出てきたのは、80年代。もっと限定すれば、糸井重里からだ。
「じぶん、新発見。」「不思議、大好き。」「おいしい生活。」「ロマンチックが、したいなぁ。」etc
コピーだから大胆な省略表現によりイメージが鮮やかに伝わればいいのだし、当時は新鮮に思えた。糸井重里はいい意味でも悪い意味でも、日本語のある部分を更新した。その後さまざまなメディアで真似し出して、広まっていったように思う。


こうした表現が苦手なのは一つには、80年代の消費文化の今思えばなんともこっぱずかしい、感覚中心主義的でお気楽で軽薄なムードを思い出してしまうからだ。自分も半ばそれに染まっていたという黒歴史
それから30年も経ったのに、90年代生まれの学生のレポートで対面するとは思わなかった。モヤモヤが止まらない。



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