書くことについて

その作品の表面的な「読み易さ」に反して、実験的な現代作家として評価されている小説家の金井美恵子は、「私は小説を読んだから小説を書くようになったのだ」とどこかで語っていた。
本を読むのが好きな少年少女は、最初に読んだ一冊に導かれて小説の世界に入っていく。好きな分野、好きな作家がはっきりしてくる中で、だんだんと「読み」に長けるように(つまり優れた読者に)なる。そして、「ここではまだやれること、やるべきことがある」→「それをやっている人がいない」→「では私がやってみよう」という流れができていく。
一編の小説も読まずにある日突然書き出す人は、よほどの天才を除いていないだろう。小説の世界にどっぷり浸かり、そのジャンルの歴史や形式や様態をかなり詳細に知った上で、「でもまだやるべきことがある。それを私がやらんで誰がやる」(金井美恵子はそこまで泥臭いことは言ってないが)くらいの決意のもとに書き出すのだ。単に「書くことが好きだから。楽しいから。褒められたから」というだけでは、続けられないものだと思う。


彫刻家の船越桂は、古典的な木彫の手法を用い現代的な人物像を作る作家として人気が高い。80年代の現代美術シーンで、空間全体を使ったインスタレーションが盛んだった当時、船越桂の作品が新鮮なものとして受け止められたのは、よく言われる「人体表現の新しい可能性」云々ではなく、現代アートらしかぬ「実験性のなさ」「保守性」だった。
船越桂は自分のスタンスについて、「現代美術は宿命上、新しさを求めてあまりに急激に変化したため、飛躍についていけない人もたくさん出た。僕のやっているのは、その距離が離れ過ぎて跨ぐのが難しくなってしまった敷石と敷石の間に、後から来てもう一つ敷石を置いていくような作業です」(昔、美術手帖で読んでうろ覚えなのでだいたいの意味)と語っていた。


金井美恵子も船越桂も、ジャンルや志向は違うが、ある歴史意識をもって創作に臨んでいる。私が美術作品を発表し始めた頃も、やはりそんな(分不相応な)気負いを抱いていたことを思い出す。
しかし誰でもそうなのだ。「作るのが楽しくてそれがやめられなくなった」程度だったら、ただ趣味として続けていたはずだから。



制作と共にアートレビュー同人誌もやっていたので、作ることと書くことは私の中では平行してあった。なぜ20年も続けた美術をやめて文章を(それもアート以外のことを)書こうと思ったのか、その詳細はここに記さないが、「書くのが楽しい」以前に「書かないと病気になりそう」といった感覚はどこかにあった。
あることについてモヤモヤした思いがあって、人に喋ってみたりもするのだが、今ひとつぴったりこなくて、文章にして文節化しその正体をつきとめないことには、気持ちが片付かない、落ち着かないという感覚。
そして、これについては同じようにモヤモヤしている人が、一人や二人、いや五十人や百人はいるはずだという(根拠のない)確信。


考えてみればネットに参入しいろんな意見を目にするようになってから、「そう!まさしくそう!よく言ってくれたよこの人は」と溜飲を下ろすことが時たまあった。
一方で「違う!それは違う!今すぐ言葉にはできないけど違うという直感だけはする」ということも時たまあった。
私の意見もそうしたさまざまな判断を、さまざまな人に下されるのだろう。
そのただ中に飛び込んでみたい。
そこで自分のモヤモヤを分析した文章がどれだけの説得力を持てるのか持てないのか、(不遜にも)試してみたい。
ということが、ネット上で文章を書く一番プリミティブなきっかけだったように思う。


ある件についていろんな意見が出ていて、しかしどれも今ひとつしっくりせず肝心の部分を外しているように感じられ、「まだ書かれていないことがある。誰も書かないなら私が書く」との思いに突き動かされて書いた、という人は少なからずいると思う。
また、ある件についてAさんとBさんが議論しているのだが、両者の間に誤解や認識の隔たりがあって、当人のみならず観戦者が混乱していると見える時、「この敷石とあの敷石の間にもう一つ石を置いたら、歩きやすくなるのではないか」と思って言及エントリを上げる人もいるだろう。
そう思って書かれたことが伝わってくるブログを読むと、その内容の如何に関わらず、私は思わず「わかるなあ、その気持ち‥‥」と呟いてしまうのである。