やりきれない (付記2を追記しました)

彼女は、カラオケスナックのママさんだった。
店は、私の家から車で7、8分のところにあった。夫は近くに住む中学時代の恩師に連れられて行ったのが、初めらしい。もう4年くらい前の話だ。
しばらくして私も誘われた。カラオケスナックなんてそれまでほとんど縁がなかったけれども、混んでないしママさんがいい人だというので、なんとなくついていった。
6坪ほどの店内に半円形のカウンターとボックス席が二つあり、花瓶にバラの造花が飾ってあり、隅に小さなミラーボールのある、いかにも田舎町の古臭い店だった。


ママさんをAさんとしておく。Aさんは結構大柄な女性で、元バレーボール選手の大林素子にやや似ていた。
夫は既に何度か来ていてすっかり馴染んでおり、Aさんのことを「Aちゃん」とか「おみゃーさん」(名古屋弁)と呼び、長年の友達のようなざっくばらんな口を利いていた。Aさんは私のことについて、夫からいろいろ話を聞いているようだった。
「どんな方かなあっていつも思ってたんですよ。こんな小さくてかわいい人とはねー。来て下さって嬉しいわ」
営業トークに私も社交辞令で返したが、少し話していて気さくな人だという印象を持った。愛想はいいけど、すごく水商売に向いてるタイプという感じではない気もした。
家に帰って「あの人、いくつくらいかな」と夫に訊くと、「俺らと同い歳」。なんだか近親感も湧いてきた。
「独身で一人で頑張っとるからさ、まあ時々行ったろかという気になるんだ」


その後何回か、夫とその店に行った。Aさんは私の名前を訊いて、ちゃんと名前で呼んでくれたので、それも少し嬉しかった(普通、お店の人と話しても「奥さん」としか言わない人が多い)。
カラオケスナックなのに静かな店だった。お客さんは多くて3、4人で、そんなに頻繁にカラオケもしてなかった。Aさんとは同年代ということで、昔の歌謡曲や映画やテレビドラマの話などをしたことを覚えている。
たまにはカラオケもした。カラオケが苦手な私も、ここでは歌っていいかと思えた。


46歳になる2週間ほど前、Aさんから「誕生日のお祝いしてあげたいの。ケーキ頼んでおくから来れる日教えて」と言われた。誕生日を祝われる歳でもないが、是非にと言われて行った。Aさんは大きな胡蝶蘭の鉢と、わざわざ私の名前を注文して入れたケーキを用意して待っていた。
「ここのケーキたまに買うんだけど、結構美味しいのよ」
私はAさんに心から礼を言った。
買い置きのあられやクッキーを「これ余っちゃってるから持ってって」と、よくくれた。お菓子もらって帰ってくるなんてまるで子どもみたいだが、なんか知らないけどAさんに気に入られているようなので、「いつもありがとう」と頂いた。


『なばなの里』というフラワーパークに行った時、Aさんに何かお土産をと思い、小さい花を透明の樹脂の中に閉じ込めたマグネットを5つ買った。意外とラブリーな物が好きみたいだったし、メモなんかをちょっと留めておくのにいい。Aさんはすごく喜んでくれて、さっそく店のマジックボードに留めていた。
「ねえ、こうやって並べているだけでもきれいよね」
それからも数回行ったと思うが、私よりよく行っていた夫は「さすがにちょっと飽きてきたなぁ」とだんだん足が遠のいた。それで、ほとんど夫につきあっていただけの私も行かなくなった。そうして2年半ほど過ぎた。


去年11月の終わり頃、Aさんの店の近くの飲み屋の店主から「Aちゃん、どうやら店閉めたらしいよ」と聞いた。
「そうかー。儲かってそうになかったからなぁ」
「飲酒運転の取り締まりが厳しくなったから、客足がねえ」
若い女の子使ってたわけでもないし、まぁあれだとあんまり客来んわな」
「やめどきだったんじゃないの」
夫と店主はそんな会話をしていた。
Aさん仕事やめてどうするんだろ、しばらくのんびりするのかなと思ったが、その後私達の間で特に話題になることはなかった。



そして3日前。
かかってきた携帯を取った夫が、大きな声を出した。
「なに? ほんとかそれは‥‥」
誰かの身に何事か起こったらしい。やっと携帯を切った夫は、なんとも言えない顔で私を見た。
「Aちゃんがな、死んだんだと」
「ええっ、どうして?!」
「店の常連だった人が、暮れから何度電話しても出ないし、年明けにアパートに何回か行ったけど電気が点いたままで出てこないんで、大家さんに頼んで鍵を開けてもらったら、死んどったんだと‥‥血吐いて」
ショックで言葉が出てこない。


「去年の春頃から体調悪かったらしいわ。11月にその常連の人が無理矢理病院に連れてったら、肝硬変だったらしい」
「入院しなかったの?勧められたんじゃないの?」
「うん、そうだろうけど、結局しなかったんだな。入院する金もなかったのか‥‥」
「どうして誰にも相談しなかったのよ」
「たぶん、そういうことをしたくなかったんじゃないか。人に迷惑かけたくないとか。もう手遅れだと諦めてしまったのかもしれんし‥‥わからん」
どういうこと‥‥。いったいどういうこと‥‥。涙が止まらなくなった。なんでそんな死に方をする。


発見された時は、死後二週間が経っていたという。一応警察が来て現場検証もしたらしい。遺体は既に葬儀場に安置されていて、明日の朝出棺ということだった。その常連の人が彼女の携帯の着歴を見て実家に連絡し、今、お姉さんが九州から来ていてお骨だけを持ち帰ると。
私も葬儀場でお見送りをしたかったが、仕事がどうしても休めなかったので、休みの夫が行った。
「がりがりに痩せちゃってなぁ、時間が経ってることもあったか、もう酷い顔色でな。俺、泣けてきたわ」
なんでそんな死に方をした。


私達は、Aさんは地元の人だと思い込んでいた。この付近の有名なはだか祭りで出る、和手拭を裂いた厄除(「儺追(なおいぎれ)」というらしい)をくれたことがあったからだ。
九州から来て結婚して離婚して、それからあの店を始めたことも、彼女のアパートが私達が時々行く飲み屋のすぐ近くにあったことも、知らなかった。
正月明け、私と夫がその店で友人達と飲んでいた時、Aさんはそこから100メートルと離れていないアパートの一室で、一人で死んでいった。
やりきれない。


お酒の好きな人だったが、健康には気遣わなかったのだろう。肝硬変も末期になるまで放っておいたのだから。早めに入院、治療していたら助かったかもしれない。その間、お店を閉めねばならなくなって困ると、先延ばしにしてしまったのだろうか。
でもなぜ?と思う。なぜ望みを捨ててしまったのだろう? なぜ誰にも言わずに、一人で苦しんで死んでしまったのだろう? 
入院したところで助かる見込みは少ないし、闘病はしんどいし、人に心配をかけるし、もうこのまま死んでもいいや、と思ったのだろうか。
もし私が助けを求められていたら、何ができただろうか。いや私などに相談するくらいなら、とっくに自力で何とかしようとしていたかもしれないが。
仕事をやめてから亡くなるまでの一ヶ月余り、どれだけの孤独と肉体的な苦痛が彼女を襲っていたかと思うと、胸が塞がる。


かつての常連のお客さん達にもこの地で知り合った人々にも家族にさえも、誰にも助けを求めずに、49歳の若さで逝ってしまったAさん。
彼女が何を考えていたのか、今となってはもうわからない。
さまざまなことが重なって、結果的にそういう道を歩んでしまったのだ、としか。
ただただ、やりきれない。



●付記
Aさんの死についてここに書き記すことは、少し躊躇われた。独居老人の孤独死は時々ニュースになるが、特別親しかったわけでもない人のことを、短い期間、店の客だっただけの私が軽々しく書いて良いものか。黙って冥福を祈っているべきかと。
でもAさんという女性(私はその一面しか見ていないが)がいたことを、どこかに記しておきたかった。彼女の死に自分がどれだけショックを受けたかということも。
もうすぐ私は49歳になる。たまたまいろんな偶然が重なって、Aさんのような運命を辿っていないだけではないかと思えてならない。



●付記2(1/29)
夫が後から周辺の人に聞いた話などを記しておく。
その常連の人は、Aさんが具合が良くないと言うのを聞いて、自分が今度病院に胃の検査に行くので一緒に行けばと誘ったらしい。その時「肝硬変だった」とは聞いたが、それ以上のことは話さず仕舞いで別れたという。入院を勧められたのに、大したことないような顔をしていたのかもしれない。


Aさんは店を閉める前、再就職するつもりである会社に履歴書を送っており、採用も決まっていたそうだ。つまり体の不調をそれほど重く考えていなかったということだ(肝硬変は、はっきりした自覚症状が出るのが末期になってのことが多いらしい)。


新聞は、元旦のまでが読まれた形跡があった。Aさんを病院に連れて行った人は、心配になって暮れから電話をしていたのだから、電話には出ることができたはずなのに、出なかった。
店をやめ新しい仕事を見つけた矢先に自分の体の深刻な状態がわかり、死の宣告に近い衝撃を受けただろう。それでもう何もかもやる気を無くしてしまった、希望を捨ててしまったとしか、私には考えられない。


亡くなったのは一月の二週目の前半あたり。部屋は吐血で酷いありさまだったという。死因は肝硬変もあるだろうが、体が衰弱しきって栄養補給ができなくなったためもあるかもしれない。
Aさんはそのことも予測していたはずだ。彼女の死は半分自殺だと思う。


Aさんはこちらに来て20歳で結婚して数年で離婚し、店は足掛け25年余りもやっていた。連絡を受けて出棺に立ち会ったのは十数人。夫の話では、店で見たことのある人が多かった。
朗らかな人柄だったので、友達はたくさんいるのだろうと思っていたが、この地で30年生きてきて、彼女は一人の親友も心の支えになる相談相手も作れなかったのだろうか。


中年で独身の友人が二人いる。二人とも「人ごとではない」と暗い顔をしていたが、私達は家が近く、よく連絡を取り合って会っているし、それぞれ家族も近所にいる。
そうでない人がエアポケットのようなところに落ち込んでしまうのを、どうしたらいいのだろう。自己責任という言葉で片付けるにはあまりに酷な気がするが、どう考えたらいいのか自分にはよくわからない。