人文系と芸術系はやっぱり違うのかな

博士卒で就職先ないない言ってる人、なぜ塾や中学・高校で教えないのですか?


教育者になればいいんでないの?という記事。結構反論のブコメがたくさんついていた。
博士まで行った後で中高の教員になるのは難しかったり(新卒優先とか倍率とかそもそも教員免許とか)、学校の仕事は雑事も多く忙しいので研究の時間が取れなかったり、特に理工系だと大学か企業の研究所でない限り実験のための環境が整わないので、研究続けるには無理だったり‥‥というのは、確かにそうなのだろう。塾講師も博士を出てからなるのは難しいらしい。在学中からバイトでやってる人は別として。
一番多く目についたのは、「研究者が教育者に向いているわけではない」「研究者の資質と教育者の資質は違う」という意見である。「博士まで行って(学校の先生や塾講師になるような)そんな妥協はできないのでは」といった意見もあった。
となると博士卒の目指す最終的な就職先は、理工系の人はアカポスか企業の研究所、人文系の人はアカポス一本ということになるのだろうか。これはキツいですね。


翻って美術系で考えてみると、博士卒で塾講師は多い。だいたい修士、早くて学部の頃から美術系予備校で働いている。今は専業アーティストとして成功した村上隆もそうだ。博士卒だったかどうか忘れたが奈良美智も予備校講師時代が長い。大学の先生になっている人でも、長らく塾講師、大学、高校、専門学校非常勤(掛け持ちもあり)だった人が、かなりの割合を占めるのではないだろうか*1。私の知り合いは全員そうである。中学や高校の正規の教員を続けながら、ずっとアーティストとして活動している人も何人か知っている。
「アーティストが教育者に向いているわけではない」。たしかに。アーティスト濃度の高い人ほど、教育なんて無理じゃないの?という見方もあろう。でもそれ以外の道はほとんどないから、資質があろうがなかろうが食べるためにやらざるを得ない。「博士まで行ってそんな妥協はできない」なんて言ってられないので。
むしろ一般の仕事に比べて拘束時間が短く、単価の高い美術系予備校講師は、なりたい人が多い。実技だから、最初は教えるのが下手でもまずやってみせるということができるのは、利点である。
どうしても教育関係がダメな人は、彫刻だと肉体労働系(鉄工所、木工製作所、各種造形工房など)に行くこともある。絵画の人はデザイン事務所が多いかもしれない。イラストの仕事で糊口をしのいでいる人もよくいる。もちろんそっちで芽が出て、それが本業になる人もいるだろう。


理工系で実験が必要な分野のように、それなりの設備や環境がないと続けられない点は同じで、皆、大学を出るとアトリエ確保に必死になる。共同で倉庫を借りて必要な機材を入れたり、自宅にガス溶接の設備を整えたりできる人はまだいい方で、引きの取れない(離れて作品を見づらい)アパートの一室で、苦労しながら制作している人は多いと思う。
彫刻は騒音や振動問題があって、マンションやアパートなどでは制作できないことが多いので、田舎の古物件を探して引っ越す人も珍しくない。私もアトリエと呼べるようなものを持ったのは大学を出てから10年後で、それまではマンションの一室と実家の庭先が制作場所だった。
海外の美術学校に入り直し、そのまま居着いて仕事を見つけ、より理想に近い環境を手に入れる人も時々いる。欧米(特にヨーロッパ)の方が制作環境が整っているとはよく言われる話で、これは研究者にも当てはまるのかもしれない。
もちろんすべての設備の整った大学の環境をずっと使えるほど便利なことはないので、アカポスを狙って大学に残る人もいるが、全体としてはどっちかと言うと在野志向が強いように思う。中には「大学教員になって安定して制作活動が衰えた」なんて言われる人(多忙が手伝ってそうなってしまう場合もあろう)もいたりして、アーティスト志向の強い人がアカポス志向の人をバカにする傾向も以前は少しあった。まあやっかみも半分混じっていたのかもしれないが。個人的には、教育者として優れていることがまず大切なのではないかと思う。


いずれにしても美術系の場合、「まともな就職先がない」ことが問題というよりは、「どんな仕事をするにせよ、どうやって制作活動を持続させていくか」が問題となる。どの段階で大学を出ても、個人の制作を続けたい人は同じ問題に突き当たる。
一方で、学歴と職 - 言語ゲームで書かれているように、直接は関係ない仕事に就いても、その中でいずれ大学で学んだことを活かせるようになるというのも、一つの考え方だと思う。別にすべての院卒業者がアーティストになる必要はないのだから(そんなにたくさんアーティストいらないし)。そういうケースはこの記事で紹介した。
ただ、芸術系の大学もレベルが高いところほど、ファインアートで修士や博士に行くのであればアーティストになることが前提という空気は強く、本人もそのつもりになっているので、すっぱり制作をやめて別ジャンルで仕事をするという考えにはなかなかならなかったりする。これは理工系、人文系の研究者でも同じではないだろうか。
別にアーティストとして成功したり人生をまっとうするのが全てではなく、大学で学んだことを別のやり方で還元することはいくらでもあり得るんだよというアナウンスが、大学の方にももっと必要かもしれない(それでもどうしても作家になるって人は、もう肚を括ってやるしかないけど)。


まとまらないが、話を戻して。
私が人文系の研究者をうらやましいと思うのは、美術の作家のように場所と設備が必要ということもなく、必要文献を買う経済力さえあれば研究が続けられるからだ。なんて言ったら、仕事がなくて苦労している人文系の人に怒られるかしらん。
一連の議論を見ていて、芸術方面で作家志望の人が在野で活動するように、在野の学者として研究する(もちろん他に仕事をもたねばならないが)という選択肢はあまりないのかな?そういう人もいると思うのだけど、やはり学問の方は大学教授(准教授)という肩書きがないと難しい世界があるのだろうか‥‥と思った。


●追記
早速反応を頂きました。

私が人文系の研究者をうらやましいと思うのは、美術の作家のように場所と設備が必要ということもなく、必要文献を買う経済力さえあれば研究が続けられるからだ。なんて言ったら、仕事がなくて苦労している人文系の人に怒られるかしらん。


そうはおっしゃいますけれども…まぁ芸術系ほどではないにせよ、日本から外国に何度も資料調査に行く経済力だとか、いくつもの学会費を払い続ける経済力だとか、学会大会に参加して懇親会まで出続ける経済力だとかも要るので、積み重なると馬鹿にならなかったりします。特に調査。…ってお金の話ではないのか。
追記 - たそかれのつぶやき


そうですねえ、これは失礼致しました。本さえ買えれば何とかなるって分野は、ほとんどないですね。
そういう意味では、美術も場所と道具と材料さえあればいい人もいれば、足を使っての資料収集やフィールドワークが必要な場合もあるかも。自主企画の展覧会では持ち出しも多くなるし、どっちにしてもある程度お金がかかることは覚悟ですね。
ところでよく知らないのですが、学会に所属してないと研究発表の道が閉ざされるということでしょうか。
美術だと団体展などに属していなくても発表はできますし、むしろその方が自由な場合が多いし、最初から一般の人にも見てもらう形式なので、ある意味オープンというかユルいんだろうなと思いました(発表の自由度と作品評価とはもちろん別ですが)。

*1:音楽でも大学非常勤、音楽教室、個人教授などをしながら、演奏活動をしている人がたくさんいる。