お元気ですか

とても個人的な話だが、10月終わりから11月の半ばにかけて頻繁に咳が出て困ったことがあった。熱はないので風邪ではなさそうで、とりあえず咳止め薬を飲んでいたが、なんとなく胸の方も違和感があるような気がしてきて、ふと「これって‥‥‥‥もしかして肺がんじゃ?」という疑惑が頭をもたげた。
今はやめているけれども、私は喫煙歴が結構長い。そして婦人科以外のがん検診を受けたことがない。がんになるとしたら肺がんかもしれないなーとぼんやり他人事のように思っていたが、しつこい咳に俄に不安になってきた。


夏頃、喉のあたりが詰まったような感じがあって、「もしや喉頭がんでは‥‥」と(ヘビースモーカーだった忌野清志郎も亡くなったことだし)病院で検査したことがあった。異常はなかった。あの時は喉と食道を診ただけだが、本当は肺だったのではないか。ええー‥‥‥。
悩んでいても仕方ないので、思い切って呼吸器科に行って症状を訴えると、なぜか胃の薬を2週間分くれた。消化器系の不調で咳き込むことがあるので、しばらく様子を見て下さいと。ちょっと拍子抜けだ。
その頃は咳が少し収まりかけてきていて、その薬は結局ほとんど飲まず、次に行った時にやっとX線検査を受けた。異常は見当たらなかった。更にCTを撮ることに。予約が詰まっているようで、10日ほど先の話になった。


撮って3日後に結果を訊きに行った。何も見つからなかった。とりあえず、肺がんの可能性はなくなったようだ。
心配なら消化器系か心臓の方の検査をしてみては?と言われた。親族はほとんど心筋梗塞で亡くなっているので心臓が悪い可能性はありだけど、一応咳も収まったし、当面の肺がん疑惑が解けたのでほっとして帰宅した。
11月の頭に「もしかして」と思い始めてから一安心するまで約一ヶ月。その間にいろいろ思っていたことを書いておきたいと思う。


夫には「咳が止まらないから病院に行く」とは言ったが、向こうは私が真剣に肺がんを疑っているとは思ってもいないようだった。しかし私の中では戦々恐々だった。自分の症状が、肺がんの初期症状に当てはまるように思えて仕方なかった。
ネットで肺がん関係のサイトを読み漁った。病状が進むとどうなるのか、どういう治療方法があるのか、副作用はどんなふうに出るのか、治療終了後は何年生きられるのか、あらゆる関連記事を読んだ。御陰で肺がんに関してかなり詳しくなった。
肺がん患者の人のweb闘病記もいくつか読んだ。深刻な状況の中で、精神的肉体的苦痛に対し努めて冷静なスタンスの人。時にユーモアさえ交えて語っている人。それでも「生きたい」という叫びが行間から伝わってくる。読んでいて少し涙が出てきた。


もし手遅れだったらどうしようかなぁと思った。やっぱりできる限りの治療をするということになるのだろうけど、最悪、50代前半で人生終了になるかも。うーん、ちょっと短いような気がする。
仕事はいつまで続けられるんだろう。いつまで自分で自分の身の回りのことができるんだろう。脳に転移することが多いらしいが、それが進行すると仕事どころか文章を書くこともままならない。ブログなんか書いてられないよなぁ。
そんなことより、親より早く死ぬことになったら困る。それだけは避けたい。夫は私より先に死ぬつもりでいるらしいから、ショックで寝込むんじゃないだろうか。夫は同年だからともかく、可愛がっている猫と犬を残して逝くのは気が進まない。闘病生活は苦しいだろうなぁ。根性無しの私に耐えられるかなぁ。髪の毛抜けたらカツラ作らなきゃ。それとも坊主で通すか。


考えても詮無いことが、次から次へと浮かんできて止まらない。毎日、ふと気づくと「肺がんだったら‥‥」とぼんやり考え込んでしまっている。
そして、「まあこの先いつかがんに罹る可能性は高いし、それが50歳の今来ても不思議ではない」と、「そうと決まったわけではないんだから案じるだけ無駄」と、「今のうちに覚悟を決めておこう。とりあえず捨てるべきものはサッサと捨てて」との間の無限ループ。
文章が書けなくなってからでは遅いので、夫に宛てて「私が死んだ時には、この人とこの人とこの人に連絡して下さい(各連絡先)。アレはこの人に、コレはあの人にあげて下さい。コレとアレは処分して下さい。アレとアレはココの引き出しの中にあります。一段落ついたら、私のブログに簡単な死亡記事を出しておいて下さい。パスワードは‥‥」などと早々と"遺書"まで書いて、パソコンに保存した。
一人で先走って馬鹿みたいだが、その時は大真面目だった。死んだことがネットだけで交流していた人の誰にもわからないまま、もしメールなど頂くことがあったら返事できないしと思った。また、そういう準備や心構えをしておくことで、今後来るかもしれない苦しみが少しは受け入れ易くなるのではないかという気持ちもあった。


だからというわけではないが、以前やりとりしたことがあったり、愛読していたりしたブログの更新が長い間途絶え、ネット上で他の活動もしてなさそうだったりすると、なんとなく気になってしまうのである。重い病気になっているのでは。あるいは大変なトラブルに見舞われてブログどころではないのでは。単に多忙だったり疲れてお休みだったらいいのだが。
メールを頂いたことのある人には「お元気ですか」と訊いてみようかと思いつつも、そういうことが却って迷惑になったりするケースもあるかもしれないと考えて躊躇う。


ネットが普及する前は、交流関係と言えば(ペンフレンドなどは別として)顔と人となりをよく知っている、何度も会ったことのある人々を指した。そのうちの一人が亡くなれば、友人関係の連絡網などを通じて、遅かれ早かれ皆知ることになった。だがネット上だけで(しかもHNで)交流している場合は、そうした動きが起こりにくい。その人の死は、確かめようもないことだったりする。
そういうのはなんだか淋しいことだなと私は思うのだけれども、普通はもっとドライに割り切るのだろうか。
どうぞ皆様がお元気でいらっしゃいますように。