父とパセリ

年内に一度、親の顔でも見に行ってと思い名古屋に出たついでに実家に立ち寄ると、84歳の父は早めの昼食の最中だった。
父はコーンポタージュスープが好きで、食卓に置いたパセリの束から少し千切っては、葉を几帳面に鋏でチョキチョキと細かく切って、スープ皿のポタージュスープの上に散らしていた。
そう言えばパセリも好きで、体にいいからという理由で(戦中派なので「もったいないから」というのもあっただろうが)、トンカツやフライの付け合わせのパセリを全部きれいに食べる人だったなと思った。父の影響で私も子供の頃から、付け合わせのパセリは必ず食べる。最初はおいしいと思えなかったあの苦みと香りも、次第に好きになった。
父はパセリを取っては切り刻み、取っては切り刻みして、もうそのくらいで充分なのでは?と思われる量のパセリがスープの表面に浮かんでいたが、一向にやめる気配がない。まあ人一倍パセリ好きだから、思う存分振りかけたいのだろうと思った。


お茶を飲みながら母と関係ないおしゃべりをしていて、ふと見ると、父のスープ皿にはこんもりと3センチほどの高さのパセリの島が出来上がっており、周囲のスープのクリーム色の表面も濃い緑色で覆い尽くされようとしていた。これが子供だったら食べ物で遊んでいて親に叱られるような場面だが、父の眼差しはいたって真剣だ。
私はついに「お父さんてば、どんだけパセリかけてるの。いくら何でもかけ過ぎだよ。それにスープ冷めちゃうよ」と言った。父は「パセリは体にいいからね」と言って、鋏の手を休めなかった。母の顔を見ると、やりたいんだからほっとけばいいのと書いてあったので、それ以上嗜めるのはやめた。
しばらくして父はようやくこれで良しと思ったのだろう、鋏をスプーンに持ち替え、パセリの島を崩してスープと一緒に掻き混ぜた。どう見ても、それはもうポタージュスープではなかった。


後で母に訊くと、年老いて一層健康に気を遣ってきた父は、今年入院してから更に神経質になり、ともかく体にいいと言われるものは何でもたくさん摂取したがるのだそうだ。確かに昔から「ほどほど」「適度」ということがなく、これだと思うと徹底的にやってしまう人だった。やり過ぎて周囲が困ることも時々あった。
冷めたスープまみれのパセリを神妙な顔で口に運ぶ父を見て、少し哀しい気分になりかけたけれども、これは別に誰に迷惑をかけるわけでもない。本人が満足ならそれでいいんだ、と思うことにした。
父は何か考え事をしているように目を閉じて、モシャモシャモシャモシャ‥‥とパセリを咀嚼していた。年をとった草食動物のようだった。



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