ネコ・トラ・タマ

やれやれ、私もついに、ブログに愛猫の写真をでかでかとアップするほど親バカ、いや猫バカになってしまったかと思いつつ、今年はトラ年ということで、飼い猫がキジトラなのにひっかけて今回だけ顔出しさせて頂きました次第。
オスですがタマと申します。
あっちのタマは取っちゃって無いです。
飼い主には溺愛されております。


この写真は生後6ヶ月、一年くらい前に携帯で撮ったので写りはあまり良くないけれども、わりと気に入っている。
耳に対して顔がまだやや小さいものの、既にふてぶてしい面構えをしているところがいい(←親バカ)。
タマの両脇の毛布の山の中身は夫の脚で、タマの前脚は夫の○○のあたりに置かれている‥‥というのは言わぬが花か。



仔猫をもらって名付けたずっと後で、「そう言えば金井美恵子の目白四部作に『タマや』というのがあったな」と思い出した。タイトルはもちろん、内田百間(門がまえの中は月)の『ノラや』を意識してつけられているのだが、私は30年来の金井美恵子ファンだから、たぶんそれが頭のどこかにこびりついていたのだと思う。

タマや (河出文庫)

タマや (河出文庫)


『タマや』は、「ぼく」が昔のガールフレンドの弟に猫を押し付けられる場面から始まる。浮き草のように生きる孤独な登場人物達のささやかなエピソードが、地の文と会話が渾然一体となった文体で語られていく。
あとがきで作者曰く、

さて、この小説のテーマは、一ことで言うなら、猫も人間も、生れて来る子供の父親の正体を探そうとしても無意味だ、ということになるでしょう、ということは、自分の正体についても、同じことです。

ここに出てくるタマは、白黒ブチのメス猫。まあキジトラのオスに「タマ」は普通つけない。


金井美恵子は、『遊興一匹 迷い猫あずかってます』というエッセイも出している。タイトルは、加藤泰監督の『沓掛時次郎 遊侠一匹』と、東映ドラマの『はぐれ医者 お命預かります』を掛けているようだ。
カバー装画と挿絵は、いつも金井本の装幀を手掛けている姉の金井久美子。さまざまなポーズのトラ猫の絵が楽しい。*1

遊興一匹 迷い猫あずかってます (新潮文庫)

遊興一匹 迷い猫あずかってます (新潮文庫)


飼い猫を可愛がる自分を冷静に見つめることほど飼い主にとって難しいことはないし、猫などに関心のない人から見ると猫に溺れている人ほど滑稽なものもないと思うが、それを充分に自覚しつつ金井美恵子はこのように書いている。

男に多いのだが、猫はカワイイカワイイ生き物ではなく、カワイイカワイイと言っている(主におばさんの)飼い主がとても正視できないようなケダモノ的振る舞いをする動物でもあるのだ、と言いたがる人物がいる。猫を絶対甘やかしてやる、と決心している私のようなおばさんは、そういう意見を聞くと、ふん、自分がすっかり去勢されてるもんだから、猫のケダモノ性にあこがれちゃって、バカなマッチョ、という感想を持つだけであることは言うまでもないだろう。

金井節炸裂。そういう男は「男は獣だ」と言いたがる人と近いかもしれないなぁ。


金井家で飼われることになる迷い猫はトラ柄のオスで、「トラー」と名付けられる。「トラー」とはA.A.ミルンの『クマのプーさん』に出てくる動物の名。E.H.シェパードの挿し絵ではトラの縫いぐるみのように描かれているが、

「トラー」の行動を仔細に検討してみるならば、これは縫いぐるみと空想の動物で出来た子供部屋の森に侵入してきた本物の仔猫なのだということが理解されるはずである。

金井美恵子は断じていて、その後に猫を飼ったことのある人ならではの細かい観察と比較が続く。


「トラー」(虎)が出てきてなんとなく話が一巡したところで、最後にもう一冊。

のりたまと煙突 (文春文庫)

のりたまと煙突 (文春文庫)

作者が出会い関わったたくさんの猫のエピソードがいずれも興味深いが、単なる猫エッセイにはあらず。生きることと喪失について、体験を通して語りかけてくる言葉に、何度もはっと胸を突かれる。



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*1:因みに日本人の画家で猫を描くのが上手いのは、藤田嗣治熊谷守一だ。特に熊谷守一クロッキー。巧過ぎて一見下手に見える。