四ツ足的日常

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吾輩はタマである。タマはもう無い。
タマを盗られたのはこの家に貰われて来てからの事である。一体全体どうやって引っこ抜いたのかとんと見当がつかぬ。気づくと病院で首のぐるりにすべすべの気色の悪い丸い形のものを嵌められていた。これでは毛繕いができない上、耳の後ろを掻くにも都合が悪い。そもそも吾輩は猫であってエリマキトカゲの真似などしたくない。早くこれを外してくれ大事なタマを返してくれとニャーニャー鳴いて訴えたが聞き入れられず、飼い主はタマを盗ったと思しき白衣の男に金まで払っていた。臓器売買どころの騒ぎではない話である。人間はつくづく野蛮で無慈悲な者であると吾輩は生まれて七ヶ月で悟った。


吾輩の飼い主は、おばさんという人間中では一番厄介な種族であるようだ。おばさんは時に、我々猫族に人間の着るような洋服を着せリボンを結び乳母車に乗せて見せ物にしたりする酔狂な者だと聞いた事がある。幸いな事に吾輩はまだその類いの屈辱は味わっていない。おばさんは吾輩に着せる事より自分が着る事で頭が一杯の様子である。或る静かな午後、誰もおらぬ部屋で寛いでいるとおばさんが入って来て洋箪笥の扉を開け次々と服を出しては試着を始めた。一着着ては姿見の前で横向きになり後ろ向きになり、腹に手を当てて引っ込め眉間に皺を寄せ溜息をつき乱暴に脱ぎ捨てるという所作を繰り返している。仕舞いに何が気に入らぬのか癇癪を起こして下着姿のままあたりに脱ぎ捨てた衣類を蹴飛ばし始めた。飛んで来たニットのワンピースが吾輩の頭にばさりと被さった。前が見えぬ。誠に鬱陶しい。吾輩は頭を振り前足でニットを払い除けると、次のものが飛んで来ないうちに退散することにした。自前の服を持たない裸の人間は哀れである。それに比較すると一生ものの毛皮を着て生まれて来る我々は何と合理的に出来ている事であろうか。おばさんを観察するうち、猫が人間より遥かに進化した種であるという確信を吾輩は得たのである。


おばさんには連れ合いのおじさんが居る。二人とも非常勤講師だそうだ。毎日朝から夕まで働いているわけではない。一人が朝出て行っても一人はまだ寝ている。その一人が昼過ぎ頃に出て行って暫くすると、最初の一人がもう戻って来る。たった半日働いただけで「疲れた」を連発し「飲まなやっとれん」と云いながら冷蔵庫からビールを取り出して飲んでいる。これは主におばさんの方で、おじさんは帰って来るや否や「腹が減って死にそうだ」と飯を大食いする。どちらも週に三日は家にいてごろごろしている。ここ最近は仕事が長期の休みらしく殆ど毎日のようにごろごろしている。ごろごろに飽きるとぶらぶら出て行く。温泉という熱い湯の沢山ある所や居酒屋という食い物の沢山ある所に行くらしい。居酒屋には一度行ってみたいので出掛ける素振りを見るとドアの前で待っているのだが、断じて連れて行こうとしない。そう云えば去年の今頃もお盆の頃も此の二人は怠惰な生活を送っていた。金が無くなったところで渋々働きに行くのだろう。吾輩は猫ながら時々考える事がある。非常勤講師というものは実に楽なものだ。人間と生れたら非常勤講師となるに限る。こんなにごろごろぶらぶらしていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでもおばさんに云わせると非常勤講師ほどつらいものはないそうで彼女は友達が来る度に何とかかんとか不平を鳴らしている。


この一週間、おばさんとおじさんは矢鱈とテレビを見ている。テレビの中では人間達が雪や氷の上で滑ったり飛び跳ねたりしている。つるつるの氷の上では爪もろくに立てられまいにと思いつつ、あまりに飛び跳ねるのでつい前足を伸ばして触ってみたが、やはりつるつるで気色が悪かった。我々猫族は走ったり飛び上がったり登ったりにかけては他の種族の追随を許さない存在である。人間など足下にも及ばぬ。だいたい脚の数からして違う。だから人間は逆に態々、あんなつるつるの危険なものの上を滑ってみたり曲芸をやろうと思いついたりするのであろう。ご苦労な事である。


吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、彼等は愚かなものだと断言せざるを得ないようになった。先日もおばさんとおじさんが何やら云い合いをしていた。テレビの中の人間の名前を正確に覚えないおじさんにおばさんが苛立っているとみえる。込み入った言葉はよく分からぬ吾輩でもここ数日の間テレビの音声を何度も耳にするうち、「プルシェンコ」くらいは覚えた。人間界ではずっと昔から有名な氷上の曲芸師らしい。ところがおじさんは口にする都度その名を間違えて発音する。「プロシェンコがさ」「プルシェンコ」。暫くすると「プルチェンコはな」「プルシェンコ!」。また暫くすると「フルチェンコが」「ちょっと。わざと間違えてない?そのうちフルチンコって云うつもりだろ」「それはお前が云いたいんだろ」「云いたかないわ、そんな事!!」。俄に剣呑な空気があたりを支配し始めたので吾輩はそそくさと食器戸棚の上に避難した。なまじ無駄な音を発せられる唇と口腔を持ったが為に、品の無い云い合いをせねばならなくなるのである。猫族と同じ言葉を使うようになれば、「プルシェンコ」などと舌を噛みそうな発音を覚える必要はなく「ニャンニャンコ」で済むであろう。そんな簡単な話であるところを人間はむきになって云い争う。実に愚かである。


愚かで思い出したが、おばさんの家には吾輩が来るより前から、一頭のみすぼらしい雄犬が軒先で飼われていた。毛の色は薄茶色とも砂色ともつかないぼやけた色でボサボサと狼の如く逆立っている。まあ不細工の類いだ。そのくせコロという可愛らしい名を貰っているのが滑稽である。此奴が玄関の前に居座っているお陰で近所の野良猫達が一切近寄らず、只でさえ家猫の吾輩は猫コミュニティから完全に隔離されて大層不自由している。何処に可愛い三毛猫がいるのか情報が何も入って来ないからである。尤もタマ無しの身では恋人は出来ぬであろうから、吾輩は童貞猫として一生を終えることになるのだろう。最近はそれも良かろうという諦観の心持ちになって来てはいるが、気になるのは童貞猫は何歳まで生きれば魔法が使えるようになるのかという事である。


それは兎も角、初めてこの家に来た時に思い切り威嚇しておいた為か、コロは吾輩を見ると尻込みするようになった。心配性のおばさんのせいで普段は家の中のみ徘徊している吾輩であるが、日に一度リードをつけられて猫の額のような庭に出る。おばさんを見て使い古しの竹箒に似た尾を振り立てて寄って来たコロは、おばさんの足元に鎮座している吾輩を見つけて後ずさりする。おばさんには撫でて貰いたい、さりとて猫には近づきたくない。その葛藤でウロウロと所在なげに犬小屋の前を右往左往する奴の前に、吾輩はごろりと優雅に横たわる。ごろんごろんと寝返りさえ打ってみせる。「コロちゃん、タマちゃんが遊びましょって」。いやはや、このおばさんは全く分かっていない。誰がそこらの駄犬に媚を売るものか。だらし無く舌を垂らしお座りして人間に服従する犬と、寝転んでいても言うことを聞いて貰える猫の身分の厳然たる違いを、此奴に教えてやろうとしているのだ。「おいコロ。人間には、ハアハアでは駄目だ。ゴロゴロだ。やってみな」「御主人様ハアハア」「お前だって喉くらい鳴らせるだろ」「御主人様ハアハア」。どうも頭の悪い奴である。その頭をおばさんは「コロ、可愛いねぇコロ」と猫撫で声を出して撫で回している。何故ニットのワンピースを投げつけてやらないのか解せない。


庭に出た折に吾輩の心を騒がす唯一のもの、それは電線や屋根の上に群がる雀どもである。ぺちゃくちゃと五月蝿くさえずっていたかと思えばパッと蜘蛛の子を散らすように飛び立ち、また別の電線にとまってぺちゃくちゃやっている。もう少し近くに来ればリードを振り切って飛びつき仕留めるのだが、如何せんどうにも手の届かぬ所にいやがる。吾輩は舌打ちし、奴らから目を離さぬようにしてそろそろと匍匐前進し少しでも距離を縮めようと試みた。「タマちゃん、ちゅんちゅんさんよ」。そんなことは知っておる。「ちゅんちゅんさんいっぱいいるねェ」。頼むから静かにしてくれ。「タマちゃんたらそんなにリード引っ張ったら駄目」。嗚呼、雀どもは一斉に飛び立ち何処かに行ってしまった。おばさんの馬鹿。


おばさんという人間中で一番厄介な種族は、喋らなくていい時に喋るものである。このおばさんも例外ではなく、テレビを見ているおじさんにしばしば関係ない話をしかけては露骨に嫌がられている。そのくせ吾輩が腹が減ったが飯はまだかとニャーニャー鳴いて催促しているのに、パソコンとやらに向き合ったままうんともすんとも云わぬ。仕方なく机の上に飛び乗り前足でおばさんの眼鏡に触って注意を促すと、漸く「はいはい」と重い腰を上げる。満腹した吾輩がソファの上でうとうとしかかると、今度は何を思ったか「タァマァ〜」と気味の悪い甘え声を出してにじり寄って来て、首の周りをくすぐったり耳を裏返したり額に頬を擦り付けたりする。特に酒を飲んで酔っぱらった時に寄って来られるのは臭くてかなわんが、おじさんに相手にされず友達も少ないおばさんをやや不憫に思い、臭いのを我慢して大人しくしていてやるのである。


夜更かしで気紛れなおばさんは時々夜中に吾輩を抱いて外に出る。一頃のような寒さも収まって来たが、深夜の外気はまだひんやりと冷たい。コロの奴も流石に昼間しっぽを振り過ぎて疲れたのか犬小屋に引っ込んでいる。「おんもの方に行こうか」と、或る時おばさんは吾輩を抱いたまま門を開けて通りに出た。昼間たまにトラックが耳障りな轟音を響かせる通りは深閑としていた。あちこちの家の明かりは消え音も消え、まばらな街灯の間に自動販売機が白くぼうっと光っている。雀もいないのに首を反らして上の方を見上げたおばさんが、「お星様出てるねェ」と呟いた。吾輩も空を見上げた。一面黒い大きなマントを広げた中にポツポツと幾つも小さな穴が開いている。穴から微かな光が漏れている。あのマントの向こう側は真昼のように明るい筈だ。一体誰がマントを操作して空に昼と夜を作り出しているのであろうか。惚けたように夜空を見上げているおばさんの横顔を眺めて吾輩は思った。この人も知らないだろう。同居して一年と五ヶ月、吾輩は彼女が年齢の割には案外ものを知らないという事に気づいている。知っているような振りをしているだけである。少々寒くなってきたので身じろぎすると「おうちに入ろうネ」とおばさんは云った。世の中の事についてあまり賢くないおばさんであるが、吾輩の気持ちは少し分かるようになって来たのかも知れぬ。



●参照:夏目漱石 吾輩は猫である